第22話 化け物の正体①

 宇佐美は神社へ戻る道を選ばず、そのまま山を下って村へ戻ることにした。

 

 急な斜面を勢いよく降りていくうちに、木々の隙間から赤い屋根がチラリと見えた。

「いったい村のどの当たりだろう」と考えたのがいけなかったか、足を滑らせて、バランスを失い、尻もちをついた。

 体勢を立て直そうとするも傾斜が急すぎて無理だった。

 宇佐美はそのまま斜面を滑り落ちていった。




 遠くで犬の吠える声が聞こえる。

 手や服についた土を払いながら、犬が鳴く方へ歩き出した。

 荒れ果てた木造平屋が立ち並ぶ砂利道を進むと、一軒の家の前に黒い犬と小柄な老女が立っているのが見えた。

 犬は宇佐美が近づくと歯をむき出して唸った。繋がれていなかったら、確実に飛びかかられていただろう。

 玄関には『下沢ハナ』と書かれた表札がかかっている。

 ハナは驚いた表情で宇佐美を見つめた。


「おはようございます。駐在所に研修で来ている宇佐美です」


 宇佐美が名乗るとハナはすぐにホッとしたように顔を緩ませ、犬に声をかけた。

鈴介りんすけ、もう、大丈夫よ。静かにしてね」


「すみません。足を滑らせてしまって……そこで、お水をお借りできませんか?」と宇佐美は玄関脇の蛇口を指した。


「どうぞお使いください。拭く物を持ってきますね」とハナは玄関扉を開け放したまま、家の奥に消えた。

 家の中から、昭和歌謡の歌が聞こえてくる。延寿駅で耳にした曲だ。

 かつお出汁の香りも漂ってきた。


 犬の鈴介は唸るのを止めたものの、警戒心むき出しのまま睨んでくる。

 苦笑しながら宇佐美は顔と手を洗った。


 ハナがタオルとお茶を持って戻ってきた。

 タオルを使わせてもらい、玄関先に腰掛けて、ありがたくお茶を頂く。

 鈴介は玄関たたきで伏せの姿勢を取りながら、『ご主人に何かしたら、ただではすまないぞ」とでも言いたげな目つきで宇佐美を監視している。

 その姿が微笑ましく、宇佐美はつい口元をゆるめた。


「この歌、悲しい歌だったんですね。延寿えんじゅ駅でメロディは聞きましたが、歌詞は知りませんでした」


 宇佐美の言葉にハナは微笑んだ。


「ええ、歌そのものは、悲しいんです。でもね、私には楽しい思い出ばかりなんですよ。この歌が流行った頃、私はこの村に嫁いできました。同年代の女の子たちと神社の石段で声を合わせて歌ったんです。それはもう、本当に幸せでしたよ——村長さんのところにお嫁に来た皐月さんは、なんでもよく出来る人で、歌もとても上手でした」

「ハナさんも、他所から嫁いでいらしたんですか?」

「はい。十五でこの家に来ました」


 宇佐美は、ハナの静かな語り口に耳を傾けながら、周囲を見回した。廃墟のような家ばかりだ。


「ご家族の方は、今どちらに?」

「みんな亡くなりました。今は一人で暮らしています」


 優秀な番犬はいても、村の中心から外れたこんな場所に一人でいては、危険ではないかと思わずにはいられない。


「ご近所には、どなたかお住まいなんですか?」

「梅原さんが、すぐ近くにいます」

「幸吉さんですか?」

「はい。いつも助けてもらってます」


 ハナは何かを思い出したかのように、立ち上がって奥へ引っ込んでいった。


 幸吉は駐在所から川下に一キロ行ったところに住んでいると言っていた。

 ということは、ここから駐在所までも一キロか——。

 宇佐美はスマホで時間を確認する。時刻は五時四十五分。

 隼人と六時に駐在所で会う約束があった。

 走れば間に合いそうだ。

 宇佐美は茶碗を置き、立ち上がった。


「どうもごちそうさまでした」


 家の奥に向かい声をかけると、ハナが箱を持って戻ってきた。

「お一つどうぞ」と、ハナは化粧箱に入った菓子を差し出す。


 その四角い菓子を見た途端、宇佐美はドキリとした。


「……軽羹かるかんですね……」


 宇佐美は菓子を手に取り、賞味期限を確認する。

 鹿児島の銘菓、軽羹は日持ちがしない。


「……最近、鹿児島に行かれたんですか?」

「いいえ、幸吉さんから頂いたものです。一人では食べきれないので、ちょうど良かったです」

「幸吉さんが、鹿児島へ?」


 さあと、ハナは不思議そうな顔をした。


「……包装紙か手提げ袋は、まだお持ちですか? 僕、このお店の模様が好きなんです。もしまだお持ちでしたら、頂けませんか?」


「ありますよ」とにっこり笑い、ハナは奥へ行き、紙袋を手に戻ってきた。中には包装紙も入っている。


「みなさんで、召し上がって下さい」


 菓子が入った箱ごと渡され、宇佐美は恐縮しながら深々と頭を下げた。

 ハナの家を後にし、駐在所に向かって走り出した。




 駐在所まで走りながら、宇佐美は槐省吾えんじゅしょうごのことを考えた。

 軽羹の賞味期限から逆算すると、省吾が鹿児島の刑務所を出所した日と一致する。


 ――手土産を持って、故郷の村に帰ってきたのか?


 包装紙から省吾の指紋が検出されれば、警視庁が捜査を開始するだろう。

 だがそれを待つ前に、宇佐美は槐省吾に会いたかった。

 警視庁に渡す前に、会って訊きたいことがある。


 ——二十年前、あの崖で六歳の子どもが殺されかけた。その場にいながら、なぜ犯人を通報しなかったのか——。


 身内がからんでいたのか?

 大人から圧力がかかったのか?


『あねさんころがし』と呼ばれる崖の上に立った時、宇佐美の関心は変わった。

 殺人未遂の公訴時効は成立しているが、そんなことは関係ない。

 槐省吾が、と呼んだ男を突き止める。

 宇佐美は、そう腹を決めた。

 

 

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る