第23話 化け物の正体②

 ハナに言われた通り、宇佐美は川沿いの道を全力で走った。

 高校生の時は千メートル走で四分を切れたが、今はどうだろう——。


 ハナから「ご近所」と聞いた幸吉の家は、いくら走っても見当たらない。

 どれだけ走れば駐在所につけるのかと不安になり始めた頃、やっと表札に『梅原』と書かれた家の前を走り過ぎた。

 ここからあと一キロ――。

 幸吉の言葉を信じ、宇佐美はさらにペースを上げた。

 すぐに『うねり橋』が見えてくる。

 駐在所の前に人影も見えた。




「——お待たせしました」

 息を切らしながら宇佐美は、隼人に謝った。

「すみませんが、シャワーをお借りできませんか?」


 隼人はしばらく目を丸くしていたが、ハッと気づいたように頭を下げた。

「あっ! 浴室使えませんでしたね! 気が利かず、申し訳ありません」


 宇佐美は息を整えながら駐在所の鍵を開け、中に入った。

 壁の時計を見ると、六時を数分過ぎている。


「お堂に行ってみましたが、鍵がかかっていました」

 宇佐美は隼人を中に招き入れ、パイプ椅子を勧めた。

えんじゅさんが、管理なさっているそうです」


「そうですか」


 隼人の声はそっけないが、どこか陰りがあった。

 

「これ、ハナさんから頂きました」

 宇佐美は紙袋から軽羹かるかんの箱を取り出し、机に置いた。

「鹿児島のお菓子だそうです」

 そう言いながら、隼人の表情を探るように見つめた。


「ハナさんの家から走ってきたんですか?」

 隼人は驚いた表情を浮かべたが、宇佐美と目が合うと不自然に顔を反らした。

「——何か、あったんですか」


「ただのパトロールです」

 無表情で答えながら、宇佐美の胸中には、隼人への疑念が芽生えていた。

「着替えを取ってきます」

 背中を向けたままの隼人を見つめつつ、宇佐美は紙袋を持って二階に上がった。




 二階に上がり、部屋の襖を開けた瞬間、背筋にうすら寒いものを感じた。

 視線を感じて横を見ると、蛇の面とが合った。

 気味悪さはないが、霊感のない宇佐美にも、面から何らかの意思が伝わってくるようだった。

 ――あなたと話が出来たら、いいんですが。

 蛇面に頭を下げると、紙袋を文机に置いて、着替えを手に階下に戻った。




 階下の駐在所では、隼人がパイプ椅子に座り、頭を抱えていた。


「二日酔いですか?」


 宇佐美が近づくと、隼人は俯いたまま立ち上がり、「大丈夫です」と低く呟いた。

 隼人の横顔は暗く、何か深い悩みを抱えているようだった。




 駐在所を出た隼人の背中を追いながら、宇佐美は声をかけた。


「隼人さん、二階にある蛇のお面ですが、駐在所を掃除した時は一階に落ちていたんですよね?」


 隼人は歩みを止めず、うなずいた。


「そうです。通用口に落ちていました」

「どうして二階に掛けたんですか?」

「掛ける場所がありませんでした——あの面は掛ける位置が大事なんです。蛇面を拝む時、神社に背を向けても、横を向いてもいけないんです。でも一階には面を掛けられるような釘が刺さっていませんでした」

「……二階には、お面を掛けるところがあったんですね」

「そうです」

「元は二階に掛けてあった物が、一階に落ちていたということですか?」

「そうなりますね」


 隼人の家に到着しても、宇佐美は質問を続けた。


「僕が来る前、駐在所の二階には他に何があったんですか?」

「何もありません。使われていなかったようで、畳の上にほこりがたまっていました。雨戸も閉じられたままで、開けるのに手間がかかりました。電球もありませんでした」


 言いながら隼人は、宇佐美を脱衣場へと案内した。


「では、あの蛇のお面も埃をかぶっていたんですか?」

「いいえ。全く」

「何もない埃だらけの部屋に、きれいな状態で蛇のお面だけが掛けられていた、ということですか?」


「そういうことになりますね」

 隼人は宇佐美にタオルを渡した。

「中のものは、自由に使って下さい」


 タオルを受け取りながら宇佐美は眉をひそめた。


「いったい誰が、お面を拭いていたんですか?」

「田所さんか、奥さんじゃないんですか」

「なぜ、そんなことをするんでしょう?」


 隼人は考え込むように首を捻った。

「……信仰、でしょうか?」

「信仰ですか……」


 信仰——そう言われてしまえば、不自然な点も納得せざるを得ない。

 宇佐美は服を脱ぎ始めた。


「田所さんたちが、その大事なお面を一階の通用口に置いたのには、何か意味があるんでしょうか?」


 隼人は目を反らしながら、短く「知りません」と答えた。そして、ぷいと脱衣場から出て行ってしまった。


 宇佐美は田所夫妻と面識がない。

 どんな人物で、どんな信仰をもっているのか、想像も出来なかった。

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