第25話 化け物の正体④
隼人から鍵はそのままでいいと言われたが、やはり不用心な気がした。
制服に着替えた宇佐美は、玄関前で隼人の帰りを待つことにした。
家を囲む壁はなく、新緑の木々の向こうから川音が聞こえる。
隣のいえからは、ラジオ体操の音楽の代わりに、朝の情報番組が流れてきた。
庭に置かれたガーデンチエアに腰を下ろしていたら、坂を上がってくる小春の姿が目に入った。
「おはようございます」
宇佐美が声をかけると、小春は顔を上げて目を細めた。
疲れたような表情だった。昨日一緒にうどんを食べた時のような快活さがみられない。
「……宇佐美さんか……何してるの?」
「隼人さんからシャワーをお借りしたんですが、ジョギングに出られたまま、まだお戻りになりません。戸締まりをどうしようか、困っているんです」
「そのままで、大丈夫だよ……」
駐在所を開ける時間が迫っている。
宇佐美は「そうですか」と答え、小春に軽く会釈をして、去りかけた。
「ねえ、あんた、山から落ちたんだって? ケガないの?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「ハナちゃんも、心配してたよ」
「ハナさんの家に行かれてたんですか?」
「まさか、あんな遠いところ行かないよ。ラインが来たんだ」
「ハナさんの周りは他に住んでいる方が、いないようですね」
「あの辺は土地が低いから、水害や土砂崩れがあって、みんな越していったんだよ。あたしも一人暮らしだし、ハナちゃんには一緒に住もうって言ってるんだけどさ、慣れたトコがいいみたいだよ。秋子さんの家、使ってくれって、隼人も言ってるんだけどね——」
急に小春は短くため息をつき、肩を落とした。
「なんだか疲れちまった」
そう小さく言うと、再び歩き出した。
「小春さん、あとで駐在所にお茶でも飲みにいらして下さい。ハナさんから頂いた
「かるかんって、なんだい?」
振り向いた小春の顔には動揺の色が一切なかった。
「鹿児島のお菓子です。ハナさんは、幸吉さんから頂いたそうです」
「あんた、甘党か。あとで小豆煮て持ってくよ」
小春はまた歩き出し、隣家に入って行った。
間もなくテレビの音が消える。
――テレビをつけっぱなしにして出ていくとは、あの年の婦人にしては珍しい。
宇佐美は少し訝しく思いながら、駐在所に戻っていった。
駐在所の鍵を開けて中に入ると、時計は八時近くを指していた。
駐在所を開けるまでには、あと三十分以上ある。
宇佐美はスマホを取り出し、上司の
「おはようございます。今、お電話大丈夫ですか?」
『ああ』
「村の方から軽羹を頂きました」
『なんだ、それ?』
「鹿児島の銘菓です。山芋が入っていて食感が面白いので、お饅頭に飽きているご年配の方にも喜んで貰えます」
『——そりゃあ、よかったな』
「ただ生菓子なので日持ちがしないんですよ、賞味期限からすると
九我が返事をするまで、間があった。
『——省吾さんは、その村にいると思うか』
「可能性はあると思います。祖母の皐月さんと二人だけになる時間が出来たら、探りを入れてみるつもりです。ただ、慎重な方のようですし、どこまで打ち明けてもらえるかは分かりませんが」
『俺の話をしてくれ。六歳の時に助けられた子どもが、今は警察庁にいる、と。お孫さんが何か困った状況にいるなら、力になりたいと伝えてくれ』
「わかりました(そうですよ! あなたは本当に殺されかけたんですからね!)」
『あねさんころがし』と呼ばれるあの崖の険しさを、九我に見せてやりたいと宇佐美は思った。
槐省吾は正しく、九我の命の恩人だ。
『——田所さんは、どんな方だ?』
虚をつかれた。
九我からの突然の問に、心臓が跳ねた。
「……まだ、お会いしていません」
『どういうことだ』
田所巡査長の安否確認は出来ていない。
捜索に当たっている延寿署からの連絡も全く受けていない。
そして――今の今まで田所の件をいっさい九我に報告していなかった。
「……地域課の
宇佐美は冷や汗をかき始めた。
梁取課長に深々頭を下げられて、強く出られなかった自分を悔やむ。
お堂探索などしている場合ではなかったのだ……。
『拳銃はどうした』
さらに追い打ちをかけられた。
『そこにある拳銃は、おまえが引き継いだのか?』
「……いえ、何も指示を受けていません」
宇佐美は慌てて保管庫に走った。
『すぐに石黒に連絡しろ! 署長には俺から話す! お前は、そこから一歩も動くな!』
電話が切れた後も、宇佐美はしばらく茫然としていた。
――拳銃を持ち出した警察官が失踪。
そんな事態に発展したら、すべての責任は初動捜査を遅らせた自分にある。
――とんでもない失態だ。
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