第3話 夜神楽が終わるまで③

「何か、隠していることがあるのでしたら教えて下さい」


 宇佐美がそう言うと、九我くがはムッとした顔をした。


「この件とは関係ない」

「複雑な任務に一人で向かうんです。知っていることは全て話して下さい」

「プライベートなことだ」

「情報は多いほうがいい。お願いします」


 九我が口を開くまでに、しばらく間があった。


「——二十年前、俺はこの村に行ったことがある」


 それだけの話だと、九我はまた。黙り込んだ。


「二十年前といいますと、九我さんが小学生の時ですか」


「……小学校に上がった年の五月だ。連休に、俺は親父と二人で夜神楽を観にあの村へ行った……そんなこと、ずっと忘れていたが、村の名前を見て、思い出したんだ……親父に確認したから間違いない……」


 九我はこめかみに手を当て、何か辛いことを思い出すように顔を歪めた。

 また沈黙。

 宇佐美は先を促した。


「二十年前の村の様子は、どうでした?」


 九我は視線を落としたまま、首を振った。


「……親父との会話は、はっきり思い出した……宿の人から近くの神社で夜神楽があると言われた——俺が『よかぐらって、なに』って聞いたら、『正語しょうごくんはまだ御神楽を観たことなかったね、観に行こうか』って、なったんだ——すぐに支度して、車に乗って——どんどん辺りが暗くなるのを眺めながら、夜のドライブにドキドキした。親父と、しりとりしたことも覚えている……だが、あの村に入ってからの、記憶は断片的だ……すべて夢だったんじゃないかとすら思える……」


 九我はまた黙った。


「あの村で何があったんですか?」

「……宇佐美、これから話すことは、誰にも話していない——親父にもだ」

「秘密は守ります」

「秘密というより、異常すぎて、自分の記憶違いじゃないかと思う……自分が見たと思っているものが、信じられないんだ」


 九我は右手で頭を抱え、再び黙り込む。


「あの村で何を見たんです? 僕の研修先ですよ。教えて下さい」


 宇佐美は思わず、机に置かれた九我の左手を、両手で握った。

 面倒な任務付きの研修より、こっちの方が面白そうだ。

 早く知りたい。

 

「……俺は、親父とはぐれて、暗い林の中にいた……一人で歩いていたら、遠くに明かりが見えて……明かりに向かって行ったら、お堂があったんだ……中からは、人の笑い声のようなものが聞こえた——」


 先が気になる。

 九我の手を握る宇佐美の両手に力が入った。


「それから、どうしたんです?」

「……俺は、お堂の戸に手をかけて、少しだけ戸を開けた——」

「中を見たんですか」

「見た」

「何があったんです」

「蛇だ」

「えっ?」

「大きな蛇が床を這いずり回っていた」

「……」

「……蛇の頭はいくつもあった……身体は一つだが、手足が何本もついているんだ……」


 ヤマタノオロチだろうかと、宇佐美は想像した。

 神楽は日本の神話を題材にしたものが多い。


「……驚いて動けなくなっていたら、突然、後ろから口を押さえられた……暴れても逃げられなかった……すごい力で抱えられて、どこかに連れて行かれた……川の音が近くなって、男は止まった……そして、俺を川の音がする方に投げようとしたんだ……荷物かなんかを捨てるみたいに……」


 九我は、槐省吾えんじゅしょうごの写真を見た。


「その時、この男に助けられた」


「そうでしたか……」


 宇佐美は九我の手を離した。


 なんだろう?


 そこは神楽で使う道具類を保管する場所だったのか?

 神聖な場所に部外者が入り、咎められたのだとしても、六歳の子供を川に落とそうとするだろうか?

 たとえ脅しだとしても——。

 

「……槐は俺を投げようとした男を『チュウザイサン』と呼んでいた。『チュウザイサン、やめてくれ』って……」


「では、その男は田所巡査長だったんですか?」


 村に三十年いるなら、二十年前にも駐在所にいただろう。

 だが九我は首を振った。


「違う。その時田所さんは、親父と一緒に迷子になった俺を探してくれていた——その男のあだ名か、なんかだったのかもしれないし、俺の記憶が間違っているのかもしれない」


(他の駐在所に勤務していた男かもしれないな……)


「槐は――省吾さんは、俺をおぶってくれて、そこから助け出してくれた……後ろで『チュウザイサン』と呼ばれた男が『そいつを殺さないと、お前がひどいめにあうぞ』って怒鳴ったんだ……その声が怖くて、俺は槐にしがみついた……」


(怖いなんて言葉、この人の口から聞けるなんて思わなかったな……)


「その後のことは、はっきり思い出した——省吾さんにおぶわれて神社の前の石段を降りたんだ——名前を聞かれて、『正語しょうご』って答えたら、僕と同じだって言ってた……どこから来たのかとか、親はどこにいるのかとか、色々聞かれたが、おぶわれているのが心地よくって、俺はろくに答えなかった……周りを花びらが舞っていて、いい匂いがして……もう大丈夫だ、安心だって……いい気分で、省吾さんの背中にしがみついていた——」


 アカシアの花が雨のように降る——確かそんな歌詞の古い歌があったと、宇佐美の脳裏に浮かんだが、すぐに消えた。


「——石段の途中のベンチに、省吾さんの友達がいた——女の子だったと思う。省吾さんは話したそうにしてたが、俺が早く帰りたいって言ったら、すぐにまた石段を降りてくれた。石段を降りきったすぐ横に、駐在所があって、そこでやっと親父に会えたんだが、俺は省吾さんの背中から降りたくなかった……甘えてグズる俺を、あの人は駐車場までおぶってくれたんだ……」


 これで話は終わりだと九我は顔を上げた。


「神社であったことは、お父上には話してないんですね」

「言ってない。その夜から俺は三日間熱を出した。熱が引いたら、親父と旅行に行ったことも覚えてなかったらしい」


「よほど怖かったんですね(あなた、お坊ちゃまですし)」


 九我はまた考え込むような顔をした。


「……あの後すぐに、あの人は、同級生にわいせつ行為をはたらいている。不処分になったが、同じ年に父親を刺してる……」


 なんだかやりきれない、と九我がぽつりと言った。


「……俺には、いい思い出しかないんだ」


 あんないい子がと言われる少年が犯罪を犯す例など、いくらでもご存知じゃないですか——とは、あえて宇佐美は口にしなかった。

 


 

  

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