第二部

第41話 恋なんてするもんじゃない①

 子どもの頃から、何者かになりたかった。

 群衆の中の一人ではなく、抜きん出た特別な存在に。

 誰かに影響を与え、憧れられる成功者に。

 最初は漠然とした夢だったが、それは次第に渇望へと変わり、隼人にとって生き抜くための絶対条件となった。


 隼人の母親は既婚者との間に生まれた彼を両親に預けると、そのまま村には戻らなかった。

 封建的な価値観が残る小さな村で、父親のいない隼人は直接的な悪意を向けられることはなかったが、いつも憐れみの目で見られていた。

 行事の際、大人が菓子を配るときも「隼人は可哀想だから」と余計に渡される。

 小学校に上がると、担任の教師が「隼人くんの家はお父さんがいなくて、お母さんが遠くで働いているから大変でしょう」と言い、給食の余りのパンを袋に詰めて手渡してきた。

 胸の奥が熱く詰まるような感情に襲われたが、隼人は悔しさを言葉にできず、黙ってパンを受け取った。

 そして村に戻る前、川へ向かうとそのパンを投げ捨てた。


 担任は書面でしか隼人の家庭環境を知らなかったが、実際には隼人の祖父母は村の中でも裕福な部類に入る家だった。

 だからこそ、隼人の母親は自分一人で育てるよりも、実家に息子を預けた方がよいと判断したのかもしれない。

 ただその家は、横暴な祖父に支配された息のつまる場所だった。厳格な祖父は何かと理由をつけて隼人や祖母に辛く当たった。

 優しいが気弱な祖母、秋子は、横暴な夫に口答えすることもなく、ひたすら頭を下げ続けた。

 隼人もまた、祖母と同じようにじっと耐え、嵐が去るのを待った。


 隼人の人生に転機が訪れたのは、彼が十歳の時だった。

 実の父親の本妻が亡くなり、隼人の母がその後妻として再婚した。

 隼人は村を離れ、初めて実の父親と顔を合わせた。


 実業家である父親は隼人を後継者として厳しく育てた。

 彼が何度も隼人に言い聞かせた言葉がある。

「世の中には二種類の人間しかいない——己の役に立つか、立たないかだ」

「快楽を求めて時間を浪費するな」

「貧乏人とは付き合うな」

 隼人はこの父親を全く好きになれなかったが、その哲学は彼に深い影響を与えた。


 隼人が強く影響を受けたもう一人の人物、それがコロンビアの麻薬王、パブロ・エスコバルだった。

 中学生の時に彼について書かれた本を読んだ隼人は、ある一文に身体が震えた。


『パブロは22歳までに100万ドル稼げなければ自ら命を断つと決意した』


「強く決意するとは、こういうことだ!」

「決断とは文字通り、『決めて断つ』ことなんだ!」


 隼人は心に誓った。もう二度と惨めな思いはしない、と。

 その日を境に、目標に関係のないものをすべて断ち切った。

 付き合う人間は慎重に選び、女からどれほど言い寄られても、時間と金の浪費と考え、必要以上の関係を持たなかった。


 高校生で起業し、大学を卒業する頃には父親の年収を軽々と超えていた。

 一部の人々から「日本のイマン・ガジ」ともてはやされたが、隼人はマスコミには一切顔を出さなかった。

 隼人にとって、大衆に顔を知られることは無駄以外の何物でもなかったからだ。


 三十歳の誕生日を迎えてから二ヶ月後の五月、祖母の秋子が亡くなった。

 隼人は急いで蛇神村に向かった。

 母親は葬儀が終わると、後のことは隼人に全て任せ、すぐ東京へ戻っていった。

 彼女は九十を超え認知症を患った夫を施設に入れ、本宅で若い愛人と楽しく暮らしているという。


 祖母のガンが見つかったのは昨年のことだった。

 その後、祖母は少しずつ身辺整理をしていたのだろうか、隼人が幼少期を過ごした家は整然としていた。

 手紙や日記、アルバムのようなものも見当たらなかった。

 隼人が教えて始めたブログ『アカシア日記』の記事だけが、晩年の祖母の心情を知る唯一のものとなった。

 

 

 

 


 


 

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