第17話 あねさんころがし②

「さっき、お堂のことを調べてきました」


 と、隼人は一枚の紙を広げた。

 それは蛇面へびづら神社境内の手書きの見取り図だった。


(……なんだ、普通にあるのか)


 隼人から地図を見せられた宇佐美は、内心がっかりした。

 九我くがから、お堂に棲む蛇の化け物の話を聞いて以来、なにか摩訶不思議な村の秘密が隠されているのではと、神社を探索するのを楽しみにしていたのだ。


(現実の世界にファンタジーを求めるのは難しいか……)


「どうしました? もう興味ないですか?」


「いえ、そんなことありません」と宇佐美は笑顔をつくった。気落ちが表に現れてしまったのかと、顔を引き締める。

「どこにあるんですか」


「私の記憶では、この辺りに何かお堂のような建物があった気がします」隼人は本殿の奥を指さした。「さっき見てきましたら、本殿の裏はロープが張られて、通行止めになっていました」


「そこには近づけないんですか?」


「庵主さんに聞きましたら、足場が悪いので立入禁止にしているそうです。山に入るなら明るいうちにした方がいいと言われました」


「庵主さん? お寺もあるんですか?」


「私は二十年前にこの村を出たので、詳しい経緯はわかりませんが、数年前に皐月さんがお寺を建てて、知り合いの尼さんをお迎えしたそうです」


「宮司さんは、いらっしゃらないんですか?」


「私が子供の時からあの神社は無人で、村で管理してきました——祭事には他所の神社から宮司さんをお呼びしたのかもしれませんが、よくわかりません」


 宇佐美はじっと手書きの地図を見た。


「この『あねさんころがし』って、なんですか?」と地図の右端に小さく書かれた文字を指した。


「私も気になり、庵主さんにお聞きしました。人柱を立てた跡だそうです」


 人柱と聞き、宇佐美は顔を上げた。

 隼人はぼんやりした顔で、グラスの底に残ったワインを見つめている。


「大昔の風習です。この辺りは水害が多く、生活が厳しかったようで、生きた人間を川に捧げて鎮めようとしたみたいですね——たいてい、他所から嫁いできた女性が選ばれたと、庵主さんがおっしゃっていました」


 ——嫁は替えがきくということか……。

 暗い話だ。


「……この地図は、隼人さんが書いたんですか?」

「いえ、祖母です。祖母は生前、村の様子や歴史をブログに書いていました」

「『アカシア日記』ですか?」

「読んでくれましたか」と隼人は微笑んだ。「立ち上げまでは私がしました。閲覧数が増えるのを祖母はとても楽しみにしていました」


 この村に入る前に参考にしようと『アカシア日記』のブログ記事は全て読んだ。

 丁寧な暮らしぶりの発信者に好感を持っていた宇佐美は、その書き手がもうこの世にいないことを知り、しんみりしてきた。

 駅前で売られていた香水——秋子が作った最後の一本を買ったのは自分だ。

 いまこうして『お堂』へ導く地図も残してくれている。

 秋子との深い縁を感じ、宇佐美は地図上の秋子の手書きの文字に手を添えた。


(……一目お会いしたかったな)


「宇佐美さん」

「はい」

「いつ東京に戻られるんですか?」

「(あなたが村から出たら、僕の任務は終わりですよ)こういう状況ですから、いつになるか分かりません」

「——東京に戻ったら——一緒に食事しませんか」

「いいですね」

「——適当に答えていますね。私は真剣ですよ」


 宇佐美は顔を上げた。

 この非常時になに呑気なことを言っているのかと呆れる。


「食事どころじゃないでしょ! 田所さんの件が片付くまで村から出ないように、延寿えんじゅ署から言われませんでしたか?」


 隼人はなぜか、ガックリと肩を落とし、頭を抱えた。


「——何も言われていません——私のところに警察は来ませんでしたし……」

「……そうなんですか」


 宇佐美は延寿署の対応に驚きつつ、急にしおれだした隼人が心配になってきた。


(お酒が回ったのかな……倒れる前に帰ってくれないかな……)


「……警察が来たら言おうと思ってたんですが……私が朝見たのは田所さんではありませんでした。別の人です——槐さんの家に向かって自転車で走って行くのは見ました。紙袋を持っていました——」


 それはそうだろう。

 今朝この村を出たのが田所でないことは、宇佐美にも分かる。

 田所が生きてこの村を出たと思わせたがっている者がいるだけだ。


 では酔いつぶれた格好で駐在所に運ばれた田所は今、どこにいるのか?

 田所がと偽装されたなら、田所はということなのか——。


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