第55話 恋なんてするもんじゃない⑮

 認めよう。

 どうやら、この人を好きになってしまったようだ。


 隼人はぼんやりとした頭で、目の前の男を眺めた。

 宇佐美は、まるで隼人が存在しないかのように黙々と箸を動かしている。


 何を考えているのか知りたい。

 だが、自分のことでないことだけは確かだ——。

 そう思い、隼人は苦笑いを浮かべた。


 それでも、問いかけずにはいられなかった。


「宇佐美さん、何を考えているんです?」


 宇佐美が顔を上げた。

 酔いが回ったせいだろう、隼人の視界はほんのり霞んだ。妙に心地よく、そして物悲しい。


「田所さんの死体の在りかでも考えていましたか?  誰も田所さんが亡くなっているなんて思っていませんよ。」


「そうですか」


「私の考えをお話ししてもいいですか?」


「どうぞ」


 隼人は、自分の仮説を語り始めた。

 今起きている田所の失踪は、酔いつぶれた彼を警察庁から来た宇佐美の目に触れさせないために、田所の仲間が画策したのではないか——というものだ。


 話しながら、隼人の頭に過去の教訓がよぎった。

初対面の女性を「いい女だ」と思い、関係を持ったものの、期待外れで興ざめした経験が何度もあった。


「本気でそんなことを考えているんですか?」


 宇佐美が、わずかに顔をしかめた。

 その表情に、隼人は背筋がゾクリとするのを感じた。


 だが、これも一時の迷いに違いない。

 この男のことを深く知れば、きっと冷めてくるはずだ——。

 そう思うことで、隼人は自分を納得させようとしていた。


「——宇佐美さん」


 愚かなことを言って、またこの男の顔をしかめさせてみたくなった。


「はい」

「私、髭を剃ったんです」

「そうですね」

「髭があるのとないのと、どちらがいいですか?」

「ない方がいいですよ」

「あなたがそう言うなら、もう二度と伸ばしません」


 宇佐美は眉を吊り上げて立ち上がった。

 怒った顔がなんともそそられる。


「隼人さん、もう遅いですし、どうぞお引き取り下さい」


 隼人は空になったワインボトルとグラスを持って立ち上がった。


「宇佐美さんは、明日、神社に行くんですか?」

「ええ、秋子さんの地図をお借りしていいですか?」

「私もお供させて下さい」

「分かりました。明朝六時に出発しますから、早く帰って休んで下さい」


 断られると思っていた隼人は、意外にも宇佐美が承諾したことに驚いた。


 のろのろと駐在所を出たものの、どうにも名残惜しい。

 宇佐美と離れるのがつらかった。


 怪訝そうに眉を寄せ、自分を見上げる宇佐美の顔が、昼間見た淫らな夢と重なる——。

 宇佐美が飛び退き、身構えるまで、隼人はその顔に触れようとしていたことに気づかなかった。


「……すみません……酒のせいです……」


「でしょうね」


 隼人は頭を下げた。

 自分の犯した失態に、頭がおかしくなりそうだった。

 もう二度と会うのは、やめよう——。

 そう思いながらも、隼人は最後に皐月との約束だけは守った。


「——掃除をしていたとき、田所さんの車のキーを見つけました。栞里さんはそれを持って、車で田所さんを探しに行ったんです。田所さんが駐在所に戻ったと見せかけるため、警官が置いたのかもしれません。流しにはタバコの吸殻がありましたが、田所さんは吸いません。それから、蛇のお面が通用口に落ちていました」


 駐在所を掃除していたときに見つけたものを宇佐美に告げると、隼人は急ぎ足で坂を上がった。


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