第10話 妹(義理)
熾烈な報酬の交渉は、オレの勝利に終わった。
地球の置かれている状況を鑑みれば、向こうは端から譲歩するしかなかったのだ。 ふへへ、これで完凸し放題だぜ。
「兄さん!」
「っと」
エレベーターを降り、ロビーに移動して間もなく。
懐かしさを感じさせる少女が飛び付いてきた。
烏の濡れ羽色のようにしっとり艶やかな長髪が舞い、爽やかなシャンプーの香りが鼻孔を擽る。
咄嗟に腕を広げて抱きとめると、その柔らかく華奢な身体は小刻みに震えており、耳元からは嗚咽が聞こえた。
オレを兄と呼ぶ少女は一人しかいない。
「久しぶりだな、夕姫」
「心配、しました……っ」
「そりゃ悪かったな。けど、ちゃんと帰って来ただろ?」
「そういう問題じゃありません……! でも……ご無事で、何よりです……っ」
「おう」
よしよしと頭を撫でる。
横下から、少女というよりオレに対して『誰?』という視線が突き刺さるが無視だ。
数秒間あやし続けると、静かに少女が離れ、見つめ合う形になる。
泣き腫らした顔だ。
真っ赤になった瞳の奥に、言葉にならないたくさんの感情が駆け巡っているのが分かる。
「随分と美人になったな」
横下から『キッッッッ』という視線が突き刺さるが無視だ。
ただいつまでも覚えておく。
「……こんな顔の時に言われても嬉しくありません」
スンスンと鼻を啜りながら眉根を寄せる。
「そりゃそうだ」
「……ばか」
飄々と返事をするオレに、夕姫はそう短く返すと、蕾が花開くようにふわりと笑った。
「こちらの子は……」
と、夕姫がフェイルーンを見遣る。
フェイルーンは、あり得ないものを見たと言わんばかりの表情で寒そうに両腕を擦っていた。
失礼な奴め。
オレだってちゃんと空気を読むっつーの。
「居候予定の化石ロリだ」
「え……居候……? 化石……?」
「其方はまともな自己紹介ができないのかしら? 妾はフェイルーン。薙刃に誘拐されてやって来た異世界の龍神よ」
「ゆ、誘拐!? 兄さん、いつかやるとは思ってましたが!」
フェイルーンが思いっ切り噴き出した。
「お前、兄のことを何だと」
「だって兄さんですし」
「ふ、ふふふっ。其方の妹は、正しく其方のことを認識しているようね」
「全く、不理解も甚だしい。こんな優しい人間が他のどこにいると言うのかね?」
「「見渡す限り」」
なぜこの国は殺人が罪に当たるのか。
「こいつの事は後で話すよ。で、だ。フェイルーン。こいつは紅葉夕姫。オレん家の隣に住んでる妹みたいな奴だ」
「紅葉夕姫です。この度は兄がとんだご迷惑を――」
「言っとくけど、誘拐しろっつったのはコイツからだからな?」
「だからと誘拐が許されるわけがないでしょうっ」
正論でワロタ。
「そこに関しては気にしないで頂戴。おかげで妾も救われたのだから」
「そう、なんですか?」
「ええ。それよりも本当の兄妹というわけじゃないのね」
「正しくは一個下の幼馴染だな。ま、半ば家族同然に育ったようなもんだし、別に良いんじゃね」
今更別の呼び方されても違和感しかねえし。
「そういう関係もあるのね」
「んな事よりさっさと帰ろうぜ。積もる話は帰りながらでもできんだろ」
どうもあちこちから視線を感じる。
まあSNSで世界トレンドの全部を掻っ攫うくらい大バズりしてたからな。
軽く手だけでも振っとこ。
目立つのは別に嫌いじゃないが、今はさっさと家に帰りたいという気持ちが強い。
そんなわけで早々にギルドを後にしたオレは、互いの三年間を話しながら帰途についた。
三年振りの我が家は何も変わっていなかった。
どこにでもある二階建ての一軒家。
物珍しいところがあるとすれば、そんな平々凡々とした一軒家の隣にズドーンと豪邸が鎮座している事だろう。
言わずもがな、夕姫の家だ。
姫という名に相応しく、彼女は大手企業の社長令嬢なのだ。
そんな人生の勝ち組から兄呼ばわりされているのがオレである。
ま、これは親同士がズッ友的な間柄だったのが原因だが。
何せ仲が良すぎて隣に引っ越してくるくらいだしな。
この話を聞いたときは流石に引いた。
友情が重すぎる。
そして金持ちのバイタリティを思い知らされた。
「懐かしいですか、兄さん」
「そりゃあな。ま、掃除の事を考えると、ちと頭が痛いが」
三年分の埃とか想像するのも億劫だ。
そう考えると面倒だな。オレは休みたいんだ。掃除とか絶対やりたくない。
しばらくは夕姫の家に泊めてもらうか?
「ご安心ください。兄さんの家は、時々私や使用人が行っていましたから今も清潔なままですよ」
「まじ?」
「まじです」
天才かよ。
「さんきゅ。すんげえ助かったわっ。よし、ここはお礼にデート三回分で手を打とう」
「……………それに何の価値が?」
やたら沈黙が長かったですね。
「ほら、オレって顔が良いし。何なら今は時の人だぜ?」
「本当に格好良い殿方は、自らにそのようなレッテルを貼りません」
「顔の良さを大赤字レベルで帳消しにする性格は致命的よね」
バチコーン!
テシテシテシ!
オレとフェイルーンは喧嘩した。女ァ!
「こんな往来で何をやっているんですか、早く家の中に……」
呆れた様子でこちらを見ていた夕姫がピタリと硬直する。
「お、お二人とも! 私、急用を思い出したので少しここで待っていて下さい! 良いですね!」
「何だよ、急に」
「な、何でもありません! ともかく、良いですね!? 絶対にダメですよ!」
だらだらと大量の冷や汗を流しながら一方的にそんな事をのたまった夕姫は、令嬢らしからぬ様子でオレん家へと突貫し――ドンドンドン! ガタガタ! ダン! ガラガラガラ! ドン!
「何をやっているのかしら?」
「さあ」
偶に悲鳴なようなものも聞こえた。
あのテンパり具合、まるでエロ本を隠そうとしている思春期男子みたいだな。
待つこと数分。大きな足音が響かせながらようやく玄関の扉が開いた。
「お、お待たせしましたっ」
ハアハアと息を切らせながら夕姫が出迎える。
その顔は紅潮し、衣服が肌に張り付くほど汗だくになっていた。
「大丈夫か?」
「え、ええ! もちろんです! 何もおかしなところはございません! 夕姫はいつも通り冷静にございます!」
一人称が名前呼びになっている時点で。
色々突っ込みたかったが、夕姫が機先を制するように背中を押してくる。ふうん。ふうん。
「夕姫、フェイルーンを空いてる部屋に案内してやってくれ」
「分かりました。兄さんは」
「ん」
と、アゴで示すと夕姫は神妙な様子を頷いた。
オレが向かったのは床の間だ。
襖を開き、静かに部屋の中へと入る。
畳の匂いが充満した静謐な空間には、二人の遺影を飾った仏壇があった。
「ただいま、父さん。母さん」
線香を立て、りんの縁を数回鳴らし、合掌。
三年も家を空けて悪かったな。
ちっとばかし異世界に行ってたんだ。
ご覧の通り五体満足だから安心しろ。
……まあ何回か爆ぜたりしたが。
合掌を解き、目を開ける。
二人は五年前、ありふれた悲劇の当事者になった。
即死だったのは不幸中の幸い……と言うべきなんかね。
明確なのは、飲酒運転はゴミカスって事だけだ。
多分、オレが酒を飲むことはないだろうな。
床の間を後にしたオレが次に向かったのは、二階のある自室だ。
途中「…………大丈夫よね? ちゃんと換気はしたし、大丈夫……大丈夫……」と呟く夕姫を見掛けたが、そっとしておこう。
ふう、と一息。
ゆっくり扉を開けると、最も馴染み深く、それでいて懐かしい光景が飛び込んできた。
漫画にゲームにパソコンと、何にも男子学生な部屋模様だ。
オレの記憶が正しければそこそこ散らかっていたはずだが、夕姫一行はオレの部屋もしっかりと掃除をしたらしく、部屋の隅まで埃一つ見当たらなかった。
ベッドはホテルのようにシーツがピンと張っている。
少し生活感が無くなっている事に苦笑しつつ、ふと肩の荷が降りた。
「……やっと帰って来たんだな」
感慨深く、呟く。
改めてその実感を得たオレは、ベッドにダイブした。
うおおおお……死ぬ……死ぬる。
あ、危ねえ。圧倒的解放感と抱擁感に解脱するところだった。
決めたよ、オレ、ベッドとも結婚する。
コーヒー牛乳とベッドを嫁にして怠惰と悦楽のハーレムを築くんだ。
「はああああああああああああ~~~~……」
波乱万丈な人生も刺激的で嫌いじゃないが、やっぱ自分の部屋は特別だよな。
ぐるんと寝返りを打ち、うつ伏せになる。
スーハーと枕の匂いを嗅ぐと、鼻孔を擽ったのは少し前に嗅いだばかりの匂いだった。
「ふうん。へええ。ほおお」
夕姫が何を隠したかったのか分かった。
普段は深窓の令嬢を体現した淑女そのものだが、あいつ、若干ムッツリなとこがあるからなぁ。
前にあいつの机の中に一人用の――うん、これ以上は言うまい。
……でも、流石にここでおっぱじめたりはしてないよな?
深くは踏み込むまい。軽いネタをゲットしたとでも思っとくか。
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