第49話 決着



 ぼんやりとデュークは空を眺めていた。

 思い返すのは、自分が歩んだ軌跡。

 ひたすら運命の女神から見放された人生だった。


 物心が付いた頃には、既に剣を握り、血溜まりの中で突っ立っていた。

 剣闘士奴隷。

 それが昔のデュークの身分だった。

 

 戦って、戦って、戦って。

 殺して、殺して、殺して、殺し続けて。


 時には自分と同い年の子どもを斬った。

 時には自分より年下の子どもを斬った。

 どういうわけか生まれたばかりの赤子を対戦相手として用意され、やはりデュークは躊躇なく斬った。


 盛り上がる観客。

 暇を持て余した貴族にとっては、この上ない娯楽なのだろう。


 だから飼い主の望むままに戦った。

 男も、女も、子どもも、大人も、老人も、赤子も。

 誰が相手だろうと問答無用に。


 幾百の屍を築き上げても、デュークは特に思わなかった。

 それがデュークの知る世界だったからだ。


 デュークは命の尊さを説かれたことなど一度もない。

 人の温もりも、言葉を交わす喜びも、心という慈しみも、何一つとして知らなかった。教えられなかった。


 そんなデュークだったが、彼はある日、運命と出会った。 

 それは新しく入荷された剣闘士奴隷で、感情豊かな少女だった。


 少女はデュークの知らなかった世界を存分に語った。

 デュークが自分の境遇を話すと、少女は怒り、哀しみ、そしてデュークにここから出ようと手を差し伸べた。


 二人は地下の闘技場から脱出した。

 そうしてようやく平穏を――とは行かなかった。

 何せ、デュークは当然外の世界のことなんか何も知らず、少女もまた子どもでしかなかったのだ。


 善人と出会えるような巡り合わせに恵まれず、何度も何度も騙されながら自分たちなりに知識を蓄え、試行錯誤を重ね、安寧の日々を掴み取った頃には、既に二人とも大人となっていた。


 二人が夫婦になるのは必然だった。

 子どもも生まれ、子育てにまた四苦八苦とした日々を送りながらも充実した日常だった。

 それが突如として終わりを迎えたのは、娘の五歳の誕生日だった。


 ――仙幻秘薬という製薬組織がある。


 製薬と言えば聞こえは良いが、その実体は不死の霊薬を作ることを至上の目的とした犯罪組織だ。


 不老不死に至るためならあらゆる犠牲を容認し、寧ろ生贄となった栄誉に感謝すべきと断言する狂信者で溢れ返っており、その目的のために何百万という命が使い潰された。


 その悪名は名高く、数多の国や世界、〝スターオーシャンコミュニティ〟もA級のブラックリストに登録を行っているのだが、未だ駆逐は叶わず、色濃い影が残っているのが現状である。


 何せ、不老不死というテーマは、とかく権力者たちに人気だ。

 仙幻秘薬もそれを分かっているから権力者には一切手を出さず、無辜の民こそをターゲットに絞っていた。


 権力者は仙幻秘薬に資金提供と隠れ家とモルモットを。

 仙幻秘薬は自分たちが持ち得たデータの提供を。

 最悪なwin-winが仙幻秘薬の完全消滅を許さなかったのだ。


 話を戻そう。


 デュークたちが暮らしていた街が、仙幻秘薬の実験場に選ばれた。

 頭上を陣取った艦から放り投げられたのは、実験サンプルのガス。

 瞬く間に濃霧に包まれた街は、混乱の坩堝となった。


 街から逃げることは叶わない。

 その世界には危険なモンスターが野山に生息しており、街は背の高い外壁によりぐるりと覆われているのだが、それが仇とあった。


 仙幻秘薬にとって住民はモルモット。

 研究者がモルモットを逃がすわけがなく、仙幻秘薬は事前に門を制圧していたのだ。

 

 こうしてパンデミックの牢獄は、完成した。


 ガスの効果が見え始めたのは、一時間後のことだった。

 突然、住民の一人が身体を掻きむしりながらのたうち回ると、骨や肉が砕ける音を響かせながら異形のバケモノへと変貌したのだ。

 理性を失ったバケモノは、お約束のように周囲の人々に襲い掛かった。


 それが街の色々なところで見られるようになったのだ。

 まさに地獄の顕現と言えよう。


 デュークは家族や友人と力を合わせて脱出しようと奮闘したのだが、脱出口は潤沢な武器を装備した仙幻秘薬に抑えられており、武力行使も不可能だった。


 友人がバケモノになり、デュークは殺すしかなかった。


 それでも一縷の希望を見つけるために足掻いた。


 友人が脇から現れたバケモノに食い殺された。


 それでも脚は止めなかった。


 また友人がバケモノに変貌し、明後日結婚するんだと仲睦まじげに寄り添い合っていた婚約者の首をもぎ取った。

 だからデュークは殺すしかなかった。


 それでも、それでも、それでも――


 遂にデュークは膝を付いた。

 心が折れたのは、必死に守ってきた妻も同じだった。

 だから二人は諦観の中で決断する。

 それは逃避に近い――しかし、せめてもの救いある決断だった。


 ――どうせ助からないのなら、せめて人間として生を終えたい。

 人間としての尊厳だけは、手放したくなかった。


 最後に泣き笑いを浮かべながら娘の誕生日を祝って――デュークは妻と娘を殺した。

 その後、すぐに二人の後を追おうとした、まさにその瞬間だった。

 

「ポイっとな!」


 地獄に不釣り合い、可憐な声が響いた。

 近くを通り掛かった少女が、空に球体のようなものを投げた。

 途中で破裂した球体から大量の煙が放出され、一気に街全体へと拡散した。

 すると、どうだ。

 異形のバケモノと化した人々が、瞬く間に元の姿へと戻っていったではないか。

 あっという間にパンデミックを収束させた少女は一言、


「ワシってば天才ね!」


 外見だけは少女のソレ。

 錬金術の開祖にして、〝至高の探求者トリスメギストス〟という、世界の全容を暴かんとする天才集団に属する、《錬金》のヘルワースである。


 一たび人前に姿を見せれば、破壊か救済かのとちらかしか生み出さない――仙幻秘薬すら縮み上がる真性のサイコパス。

 つい先ほど実験のサンプルで一つの惑星を死の惑星へと変え、そこに生きとし生ける全ての生命体を毒殺した帰り道、気まぐれにこの街を救済した。


 だが、デュークには何の慰めにもならなかった。

 寧ろ、この救済はデュークを絶望たらしめた。

 当然だ。

 デュークが救いたかった人々は、とっくに死に絶えた後だったのだから。


 自身の手で殺めた友人を思い出す。

 殺す必要はなかった。

 手足をふんじばって動きだけを封じていれば、まだ彼は生きられる未来があったのだ。


 自身の手で殺めた家族を思い出す。

 あと数秒さえ決断を遅らせていれば、彼女たちも救われていた。


 何もかもが手遅れ――否。

 決断が早すぎたのだ。

 

 あと数秒。

 あと数秒さえ。

 そうすれば今も――


「――――――――ッッ!!!!」


 絶望に満ちたデュークの絶叫は、歓声に掻き消された。






 デュークは再び剣を取った。

 向かう先は、星間領域。

 ここを踏破すれば、膨大な力が手に入るからだ。

 

 市民からの反乱を恐れ、軍人以外がゲートを通過することは固く禁じられていたが、デュークは阻む者全てを斬り殺して星間行路に足を踏み入れた。


 半分は復讐心。

 もう半分は自棄だ。


 ここで死ぬなら、それはそれで良い。

 所詮はその程度の存在だったということ。


 普通はこんな自暴自棄に陥った冒険など成功するはずがないのだが、デュークには人類最高峰と呼べるほどの戦いの才があった。

 でなければ、幼少期に生き残ることは出来なかった。


 信じられない速度で星間行路を踏破したデュークは、天地を鳴動させるほどの力に目覚めていた。

 そしてデュークは復讐者となった。


 猟兵としての名を上げながら、執拗に仙幻秘薬の殺戮に奔走した。

 幾千、幾万の屍を築き上げ、血の雨の中を歩き続けた。

 仙幻秘薬の組員はもちろん、パトロンにも容赦はしない。

 王族だろうと例外はなかった。


 当然、デュークはお尋ね者となった。

 しかし、その全てを返り討ちにした。


 星間領域に名を馳せる強者もデュークの前では形無しだ。

 寧ろ、強者であれば強者であるほどデュークは優位に立ち回れた。


 何せ、デュークの天賦は『当てを外すチカラ』を持つ、因果系の天賦なのだ。

 自分の技に、力に、天賦に自信のある者にこそ真価を発揮する。


 『絶対に当たる』、『絶対に防げる』、『絶対に成功する』、『絶対に勝つ』、『絶対に――』。


 そうした絶対の自信を持つ者の『絶対』を、デュークの天賦は許さない。強制的にファンブルを起こさせる。


 強者に対しては極めて強大なチカラを発揮する天賦だが、自身の傷を掘り起こされるという重いデメリットがあった。

 因果系の天賦持ちなら、誰もが持ち得る悩みだ。


 天賦を使うたびに、心の傷が表面化する。

 お前は失敗したのだと、お前の判断がお前の大切な人を殺したのだと囁いてくる。


 反吐が出るような天賦だ。

 使えば使うほど死にたくなる。

 実際、因果系の天賦持ちの死因の多くは、自殺だったりするのだから何とも報われない話である。


 自身の邪魔をする者を屠りながら仙幻秘薬の組員を殲滅する作業に没頭すること、三百年。

 膨大なエーテルを保有する者は、その分だけ老化も遅くなる。

 デュークほどのエーテルの持ち主なら、五百年は生きられるだろう。


 この性質こそが、仙幻秘薬が不老不死の霊薬を求めるようになった原因だ。

 数百年も生きている人間がいるという事実は、寿命に怯える人間を狂気に走らせるには充分過ぎた。

 デュークがその恩恵を受け取っているのは、何とも皮肉な話である。


 これほど寿命があれば、仙幻秘薬の完全消滅も可能かもしれない。

 だが、三百年という歳月は、あまりにも長すぎた。

 いつの間にかデュークの復讐心は燃え滓となっていた。

 無論、今でもその名を聞けば率先して殺戮に向かうが、当初ほどの熱量はなく、ほとんど受け身となっている。


 気付けば猟兵団なんてものが出来ていて、気付けば《獅子王》なんて異名が付いた。

 拾った赤子に娘の名を与える辺り、もう限界だったのかもしれない。


 そんなことをぼんやりと思いながら過去の余韻に浸り、大量の血を吐いた。

 よろよろと自分の身体を見れば、腹から下が無い。

 少し離れた場所で無造作に転がっていた。

 道理で感覚がないわけだ。

 デュークは負けたのだ。


 だが、なぜ負けたのだろうと反芻する。

 デュークの天賦はしっかりと発動していた。

 薙刃のワームホールの発動を無効化し、トドメの一撃を放ったはずだった。

 

 しかし、その一撃が放たれることはなかった。

 何かしらの意思の介入を受けたかのように、一瞬、身体が硬直したのだ。

 それは見覚えのある光景だった。

 何せ、同じような光景に陥った者を何人も見てきたのだ。

 下手人は他ならぬ自身であり、故に、この硬直がデューク自身の天賦によるものだと理解するのは簡単だった。


 だが、原因は何だ。

 このようなデメリットを宣誓に入れた覚えはない。

 とすれば犯人は薙刃しかあり得ないのだが、薙刃は空間系の天賦だったはずだ。


「お前さん……空間使いじゃなかったのか……」


 掠れた声で問い掛ける。

 思い浮かんだのは、相手の天賦をコピーするという天賦だ。

 それなら薙刃が空間を操りながら自身の天賦をも発動したのも頷ける。

 しかし、ゆっくりこちらに歩を進めていた薙刃の返答は、更にその上を行った。


「そうだな。冥途の手向けに教えてやる――オレに天賦は存在しない・・・・・・・・・・・

「な、に?」

「厳密に言うと、まだ創ってないと言うべきかな」

「あり得ねえ……じゃあ、何でお前さんは天賦を……」


 それに対し、薙刃は遠くを見ながら口を開いた。


「アビリティってのは、努力次第でできるようになる技術の、努力の部分を省略したアプリケーションだ」


 しかし、それは返答とは異なるものだった。

 眉根を寄せるデュークに構わず薙刃は続ける。


「そして天賦とは、星間行路を踏破した者にのみ与えられるギフトであり、努力の領分から逸脱した――いわゆる固有能力というのが通説だ」


 だが、と薙刃はデュークを見下ろす。


「それはお前たち凡人の答えだよ。オレからすればアビリティも天賦も何も変わらない。二度見れば充分だ。それだけでオレはどんな技術も天賦も再現できる」

「――――、」


 絶句するしか無かった。

 薙刃からすれば、一子相伝の秘術だろうと、唯一無二の特異体質だろうと、血や遺伝子に由来する特殊能力だろうと関係ない。


 二度見れば、それだけでありとあらゆる能力を会得できるのだ。


「それじゃあ空間系の天賦を使っていたのは……」

「空間系の天賦使いを装っておけば、誰もがワームホールを注視する。オレは自分を最強と疑わないが、ジャイアントキリングが起こり得るのが天賦というものだ。ブラフも張るだろうよ」

「なるほど……そいつぁ確かに最強だ」


 三百年も生きてきたが、そんな話は一度も聞いたことがなかった。

 最強を自負するのも納得だ。

 

「まさか天賦すら創ってないとはな……」

「他人の天賦をただの技術として無制限に修得できるからな。ご覧の通り、ノーリスクで因果系の天賦も再現できる。創る意味がねえだろ」

「ハッ、こっちは使うたびに死にたくなるってのによ……」


 因果系が背負うデメリットすら薙刃には無いのだという。

 その理不尽さには、さすがのデュークですら文句を言いたかった。


「もしオレが天賦を創るとしたら、オレより強いヤツが現れたときだよ。そんなヤツが本当に現れるかは分からんがな。だが、もしも現れた場合は、そいつを徹底的にメタった天賦を創ればオレが負けることは無い」


 その自信満々な姿にデュークは苦笑した。

 そして再び吐血する。

 徐々に意識が遠のいてきた。


「これで俺も終わりか……」

「言い残すことは?」

「聞いてくれんのか?」

「オレほど優しい人間はこの世にいないからな。善人過ぎて申し訳ない」

「幻聴が聞こえて来たか」

「殺したろか」

「もう殺したようなもんだろうが」

「草」


 死に際とは思えないほど軽いノリだが、嫌いじゃなかった。


「……お前さん、やたら雪姫を気に入ってたな」

「? まあ男なら普通じゃね?」

「アイツをお前さんにやるよ。雪姫にも、もし俺が死んだら俺を殺したヤツに付いて行けって言ってるからな」


 雪姫はデュークが教えた弱肉強食の摂理を忠実に守っている。

 薙刃が求めれば、雪姫はついて行くだろう。


「どういうつもりだ?」


 薙刃は訝しげに眉根を寄せた。


「俺が死ぬ以上、〝極北の旅団〟の解散は避けられねえからな。アイツを守る後ろ盾が欲しいのさ」

「必要か? 充分実力はあると思うが」

「アイツは狐妖族の生き残りとして仙幻秘薬に狙われてんだよ」

「……チッ、不快な名を聞いたな」


 その反応で、デュークは雪姫を預けることを確定させた。

 目の前の青年は善人とは程遠いが、筋を通す人間なのは間違いない。

 デュークは薙刃を気に入っているのだ。


 ――狐妖族。

 生まれながらに豊富なエーテルと、その制御に長けた性質から、仙幻秘薬が率先して人体実験に選んでおり、元々数が少ないことと相俟って絶滅の危機に瀕している種族である。


 デュークが雪姫を拾ったのも、連中の実験施設だ。

 無垢な瞳に娘の幻影を重ねたデュークは、幼い少女に娘の名を与え、施設から連れ出した。

 猟兵として身を守る術を教えてきたが、それでも限界がある。

 何より、


「いい加減アイツには、陽の光を歩いてほしいのさ」


 娘の名を与えたのがデュークの過ちであり、そして、唯一残った善性だったのだろう。


「……分かったよ。あのクソ共からは絶対に守り抜くとオレの名に誓う」


 その返答に笑みを浮かべる。

 心残りが無くなれば、あっという間に意識が薄れてきた。

 意識を繋ぎ止める気が無くなったと言うべきか。

 不意に、デュークは数日前に殺した男のことを思い出した。

 正しくは、そいつへの手向けの言葉。


『男だろ? 今際の際くらい格好良く締めようや』


 デュークは、力なく笑った。


「あんな事を言っときながら、何とも情けねえ最後だな」

「何のことかはサッパリだが――ま、親としてなら充分じゃね」

「――……! ………そうか…………そうだな…………」


 満足げに目を閉じる。

 その肉体が動き出すことは二度とない。

 こうして《獅子王》と謳われた男の長い人生は幕を閉じた。


 同時刻、エレイナが最後の試練たるモンスターの討伐に成功。

 ラシュアンと〝極北の旅団〟との戦いも終着を迎えるのだった。






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