第32話 悪い男に引っ掛かる箱入り娘の構図
あの日のことは、今でも鮮明に覚えています。
王族専用に設えられた修練場に集められた私たち。
そんな私たちに手解きをするための指南役として選ばれたのは、騎士団長でした。
子ども用に与えられた木剣でしたが、それでも当時の私にとっては重く、振り回すだけでも一苦労でした。
そんな私を見て「へたっぴだな。おまえにはさいのうがねえよ!」と笑いながら指を差し、だけど「こうやるんだよ」と自分なりの方法で教えてくれようとしたリシュお兄様。
リシュお兄様は自分が王位に就くことを疑っていませんでした。
「おれがだれよりもつよくなって、このくにをまもるんだ!」
そう啖呵を切って騎士団長へと立ち向かい、何度転ばされてもリシュお兄様が立ち上がり続けました。
そんなリシュお兄様を騎士団長は手放しで褒めました。
素晴らしい才能だ。きっとリシュ王子は私よりも強くなる――と。
満足げに笑うリシュお兄様が下がるのを見届けてから、騎士団長はお兄様に言いました。
「ファイ王子。貴方もただ見ているだけではつまらないでしょう? 是非立ち向かってきて下さい」
――それが崩壊の始まりでした。
お兄様は木剣を握り、二度、三度と素振りをし、それから騎士団長を数秒間見つめ、次の瞬間には騎士団長の懐に飛び込んでいました。
慌てて対応する騎士団長を事もなげにあしらい、お兄様はその首筋に木剣を添えたんです。
誰も、何が起きたのか分かりませんでした。
騎士団長は油断してしまったようですな、と作り笑いを浮かべながら再戦を要求しました。
あの目は、本気だったと思います。
それでもお兄様は勝ちました。
よーいドンの状態から始まった再戦すらもお兄様は、騎士団長を圧倒したのです。
初めて木剣を握った八歳の少年が、当時国一番の騎士と謳われていた騎士団長を、ですよ?
剰え、愕然とする騎士団長にお兄様は『ここをこうした方が良いと思います』とアドバイスをしたんです。
以後、騎士団長はお兄様を狂信的に崇めるようになりました。
『ファイ王子! 貴方こそが最強だ!』
『貴方こそが国王になるに相応しい!』
『ファイ王子万歳! ラシュアンに栄光あれ!』
……元々、騎士団長は今の国王――お父様に良い感情を抱いていませんでした。
前に説明した通り、王位に就くのは、王練を最初に達成した王子です。
ですが、お父様はそうじゃありませんでした。
王練を一つも達成することすら叶わなかったそうです。
それでもお父様が王位に就いたのは、叔父たちが皆、王練にて落命したからです。
騎士団長からすれば、納得のいかない戴冠だったのでしょう。
だからこそ、お兄様への期待は異常なほどでした。
ですが――それを間近で見せられたリシュお兄様の感情は、きっと筆舌に尽くし難いものだったと思います。
それからです。
リシュお兄様が変わったのは。
◇◆◇
「それからリシュお兄様は、お兄様と競うようになりました。武術・勉学・馬術・マナー・芸術など、事あるごとに」
ですが、とエレイナはかぶりを振った。
「見事に全敗を喫したと」
力なく頷く。
「やがてお兄様への憎悪は、私にも向くようになりました。そして今に至ります。……きっとリシュお兄様は、もう昔のことなんで何も覚えてないでしょうね」
「そか。恨んでるか? 自分の兄を」
エレイナは儚く笑った。
「もしお兄様が自分の才能を鼻に掛け、私たちを見下すような人であれば、まだ嫌いになれたかもしれません。ですが、お兄様はそういう人ではありませんでした。常に優しく誠実で、物腰も穏やかに他者を立てるような人なんです」
そこには複雑な感情がありありと込められていた。
人間性に問題があったなら、行き場のない感情が生まれることもなかったのに、と。
「お兄様のことは心から尊敬しています。ですが、少し息苦しくも思います。私は、私も、お兄様ほどの才には恵まれませんでしたから」
天才の兄と凡才の妹。
どういう過去を送ったのかは、まあ想像に難くない。
数えるのもバカバカしいほど比較されてきたんだろうな。
「私と最初に知り合った人が、お兄様に夢中になる光景を何度も見てきました。そのたびに思います。私は誰かにとって『お兄様の妹』でしかないのだと」
兄というフィルターを通してでしか自分を見てもらえない。
残念ながらオレにその苦しみに共感することはできない。
オレは一人っ子だったし、そもそも持っている側の人間だったからだ。
きっと、色んな努力をしてきたんだろう。
その上でエレイナはこう言われ続けたんじゃねえかな。
『さすが彼の妹』もしくは『彼ならもっと上手くできたのに』と。
うん、やっぱオレに兄弟いなくて正解だったわ。
「あ! ごめんなさいっ。変な話をしてしまいましたね」
そこでハッと我に返ったようにペコペコとエレイナは頭を下げた。身分ェ……。
「別に構わねえよ。ま、少なくともオレがどっちを選ぶかって聞かれたら、間違いなくエレイナを選ぶから安心しな」
「……それは迅切さんがお兄様のことを知らないからです。お兄様と会えば、きっと迅切さんも」
「お前の兄はオレより強いのか?」
「え?」
「テレーゼの言動から、んなこたないってのは明白だけどな。なら、オレがそいつに興味を持つことはねえよ。お前の兄も、オレからすりゃその辺にいるただの凡人だ」
オレの言葉に愕然とするエレイナ。
今まで自分の兄を格下同然扱いする発言とか聞いたことがないんだろうな。
でも実際、『人類』ってオレの下位互換の名称みたいなところあるしぃ?
尊敬する兄と凡人呼ばわりしたというのに、エレイナの反応は笑い声だった。
「ふふ、あははっ。凄いですね。お兄様相手にそんなこと言う人、初めて見ました」
「コレ、面と向かってお前の兄に言うとさすがにキレるか?」
「いいえ。お兄様のことです。自分を超える人が現れたら『ならば僕も頑張らなければなりませんね』と、より精進するために励むと思いますよ?」
「そこまで完璧かよ」
「はい、お兄様は完璧なんです。――それでも迅切さんは私を選んでくれますか?」
さり気なく、それでもどこか祈るように。
「当然だろ。オレは顔が良くて髪が長くて胸の大きい女がタイプだからな」
「見た目ですか!?」
衝撃を受けるエレイナに、ケラケラと笑う。
「人間なんてそんなもんだよ。お前もブサメン、フツメン、イケメン、どれか好きなのを選べ。尚、中身は全員同じとするって言われたら、イケメンを選ぶだろ?」
「な、なんてことを聞くんですか!? もう、迅切さんなんて知りませんっ」
ぷくりと頬を膨らませて踵を返すエレイナの後ろ姿に言う。
「ま、明るくて優しくて、だけど臆病で――それでも前に進もうとするお前の健気さには素直な好感を抱くよ。だから自信持てよ。お前はちゃんと、人間として美しい」
「――――」
バビューンと去っていくエレイナの耳は、真っ赤に染まっていた。
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