第5話 時間は飛びに飛んで




 地球にファンタジー要素のテコ入れが入り、早くも三年という月日が流れた。



 無数の輪っかが折り重なった中心に浮かび上がるのは、青い輝きを放つ球体。

 それは世界各地に出現した『ダンジョン』への入口だ。


 広大な迷宮は、獰猛なモンスターの坩堝と化しており、当初は不運に見舞われた者や好奇心に負けた者の多くが還らぬ人となった。


 未曽有の事態に世界中が大パニックとなり、政治家の胃にダイレクトアタック。

 真剣な顔で現代ダンジョン物を読み漁るという名状し難い光景が後を絶たなかった。


 尚、そのうちの二割が「ステータスオープン!」と叫んだ。バカがよ。


 きっと碌に娯楽を摂取せず、勉強や仕事に打ち込んだ弊害だろう。

 色々と面倒臭い権力争いで疲れ切った精神に、頭を空っぽにして読めるネット小説は癒やしだったに違いない。


 国会でどの作品が参考になったかと語り合う姿には、涙を禁じ得なかった。


 巌の如く官僚が真剣な顔で「この『底辺ダンジョン配信者の俺がうっかり超大物配信者を助けた結果 ~え? またこんな可愛い子からコラボの誘いが来たんだが~』は中々参考になる設定が――」と語ったのだ(尚、序の口である)。

 公開処刑か?


 その日の国会は、伝説となった。

 笑ってはいけない国会スペシャルである。

 そんな政治家で大丈夫か?

 大丈夫じゃない、大問題だボケナス。


 ――とまあそんなコミカルな話題や、道徳や倫理観に基づいた話題など当初はかなり混沌たる様相だったが、三年が経過した頃には大分落ち着きを取り戻した。


 今では『冒険者』という職業が確立され、数多の人間がダンジョンに足を踏み入れるようになった。


 眼下に広がるのは断片すらも読み解けない完全なる未知の世界。

 アニメや漫画キャラのような身体能力。

 握りしめるのは命を奪うための本物の武器。

 そこに住まうモンスターとの命懸けの戦い。

 戦地を共に駆け抜け、勝利の美酒を分かち合ったが故に築かれた、仲間との篤い絆。


 子どもの頃、誰もが一度は思い描いただろう夢物語が目の前に降りてきたのだ。

 かつての憧憬を再燃させられた人々は平穏のチケットと引き換えに冒険の列車に乗り込んだ。

 今日も何千何万という冒険者がダンジョンへと冒険に向かう。

 世はまさに、大冒険時代の幕開けだった。



   ◇◆◇



「ちょっとおおおおおおーーーーっ!!」


 周防凛音は冒険者だ。

 ある事情から冒険者になり、既に二年。

 途中からダンジョンストリーマーとしての活動も始め、そのチャンネル登録数は三桁万人に達しており、現在も伸び続けている。


 日本国内で活動している日本のダンジョンストリーマーの中ではトップクラスの数字を誇っていた。


 その理由は、実に様々だ。

 まず凛音が初期から活動中のベテランであること。

 幼い頃から学んでいた剣術がピタリと噛み合い、凛音はストリーマーになる以前から日本最高峰の実力者として有名だった。


 それだけの実力を持ちながら容姿も整っていた。

 緩く編み込んだ焦げ茶の長髪をルーズサイドテールに流し、二重まぶたのパッチリした瞳が眩しいほどの光を放っている。


 しなやかに鍛えられた身長が纏うのは、桜を彷彿とさせる着物だ。

 黒の袴に、黄色の帯。

 腰には刀を佩き、足元は編み上げブーツ。


 大和撫子という言葉の響きを体現したような美少女だった。

 

 それらを一切鼻に掛けず、初心者のありがちな質問にも真摯に答える精神性。

 かと思えば稀に偏見や配慮に欠けた畜生発言が飛び出すなどエンターテインメント性も持ち合わせており、人気の秘訣は多岐に及ぶ。


 それが周防凛音というストリーマーだった。


 ――が。

 そんな凛音は現在、命の危機に瀕していた。

 薄暗い洞窟内をなりふり構わず全力疾走しながら振り返る。

 そこにはモンスターが徒党を組み、津波のように押し寄せていた。

 モンスターの足音と鳴き声による合唱で洞窟内が鳴動している。

 足元にも注意を払わなければ転んでしまいそうだ。


 応戦という選択肢はない。

 一体一体の強さは凛音基準だと大したことないが、如何せん数が多すぎる。

 確かに地球はファンタジーになったが、数の暴力は未だに健在なのだ。


「もー! ぜえったいに許さないんだからああああーーーーっ!」


 普段の彼女なら絶対にこんなハプニングには遭遇しない。

 ならば、なぜ凛音がこんな目に遭っているのか。

 それは数十秒前に凛音とすれ違った冒険者パーティが原因だ。

 彼らにモンスターの大群を押し付けられたのだ。


「普通ならこんなにモンスターが湧くなんてあり得ないのに、何やったのさ、あの人たち!」


 そんな凛音の泣き言を拾い上げたのは、この様子を画面越しに眺めていた視聴者たちだ。


 :ええからはよ逃げろ、ちゃんリネ!

 :やばいやばい追いつかれる!

 :何でこんなことになったんだよ!

 :あいつらマジでゴミ

 :自分の命が大事なのは分かるけど、せめて一言くらい言ってけよな

 :俺、あいつら知ってるわ。ダンジョンでわざと問題行為を起こしてるそれをネタにしている炎上系ストリーマー集団だよ

 :は?

 :は?

 :マジモンのゴミじゃねえか!

 :調べたら今、あいつらも配信中だった。しかもモンスタートレインしたことをケラケラ笑ってやがる。〇ね


 と、軽く真相が語られたのだが、今の凛音にスマホを覗き込むような余裕などあるわけがなかった。


「フム、これがいわゆるゼッタイゼツメーのピンチというヤツデスね、凛音!」

「どうしてそんなに余裕そうなの、ランジュ!?」


 凛音の横を並走する少女に堪らず叫んだ。

 星宮ランジュ。

 日本人と外国人のハーフであり、燦然と輝く黄金の御髪が眩しい美少女だ。


 抜群のプロポーションが纏うのは、クノイチ風の衣装である。

 深紅のロングマフラーに、ノースリーブかつ股下二十センチの藍色の着物。

 着物は幅広の赤い帯で留められている。


 短い丈から覗くのは、艶やかな曲線美を描いた細長い脚だ。

 黒のハイソックスは尚更脚の美しさを強調しており、短い丈との合わせ技により絶対領域の形成へと至っている。


 白く瑞々しい肩先から二の腕を辿れば、その先は黒布のアームガード(曰く、指貫きは絶対外せないとのこと)。

 頭にはハチガネを付け、長い金髪をシニヨンに纏めている。


 腰の後ろには忍者刀。蠱惑的な太ももにはピストルを装備していた。

 どうやら現代の忍者は銃器も使うらしい。忍術は?


 アニメバウンド、またはコスプレにも見える戦装束だが、それが違和感なく似合うほどの美少女だった。


 ランジュは凛音と同じダンジョンストリーマーだ。

 今日は所用によりこの場にいないが、普段はもう一人の仲間と共にスリーマンセルで活動している。


「丁度配信していることデスし、リスナーの皆さんに遺言を託しマス。どうかパパとママにこの言葉をお伝えクダサイ」


 スッと目を閉じ、一拍。

 カッと目を見開いたランジュは、凛音のアクションカメラに向かい思いの丈を叫んだ。

 十六年という時を共に歩んだ、大好きな両親へ――。


「ぬるぽッ!」

「ガッ! ――やってる場合!?」

「リンネなら乗ってくれると信じてマシタ」

「もう! もう!」

「お牛さんデスか?」

「さすがにグー出るよ!?」


 握り拳を向ける。

 しかしランジュは、何故か含みのあるキメ顔だ。


「フフ、ご安心召されよ、リンザブロウ」

「誰?」


「ワタシ、この展開ラノベで見たことありマス! この後チート系主人公が颯爽と現れてモンスター相手に無双。『俺何かしましたか?』ヅラでワタシたちを救うんデス! そしてそんな主人公にワタシたちはトゥンク。その後はひたすら主人公にメス顔を向けて何かあるたびに『主人公SUGEEEE!』と持ち上げるクッッソみてえな全肯定ハーレム要員に成り下がるんデス!」


「ラノベ読み過ぎてアンチに転生でもしたの??」


「ヒロインを主人公のアクセサリー化してる昨今のラノベ業界に異議申し立てたいワタシが筆を取った結果~コミカライズにアニメ化、劇場版と躍進が止まらない件。今更路線変更してももう遅い~――連載開始デス!」


「私たちの命が打ち切りに遭いそうなんだけど!?」


 そんな会話をしながらも速度は落とさない。

 しかし、先陣を切る獣型のモンスターの脚は二人よりも速かった。

 俊敏な脚力を活かして距離を詰めると、一足飛びに掛かって来る。


 バッと左右に跳んだ二人は、流れるように攻撃を仕掛けた。

 左に跳びながら身体を捩じったランジュがピストルのトリガーを引く。

 銃口から飛び出した弾丸は、的確にモンスターの眼球に突き刺さった。


「ハワイがオヤジに以下略デス! リンネ!」

「任せて。あと接続詞がメチャクチャ!」


 大きく仰け反ったところへ滑り込むように凛音が肉薄。

 深く沈み込んだ体勢から跳ねるように刀を振り抜いた。

 その刀身は淡く輝き、岩石より堅いモンスターの頑強な肉体を豆腐を切るように切断する。


 虚空に三日月が咲いた。


 その後も踊るように攻撃の乱舞を踏む。

 蝶のようにランジュがモンスターの攪乱し、蜂のように凛音が鋭く急所を穿つ。


 一つ、二つ、三つ、四つ……二十、三十とモンスターの屍を道中に築き上げていく。

 それでもモンスターの数が減ったようには見えなかった。

 同胞の亡骸を踏み越え、時には喰らいながらも怒涛の進行は止まらない。


 戦いになれば当然逃げ足は鈍くなり、第二、第三のモンスターとの接敵を許してしまう。

 それが悪手だと理解しつつも二人にはそれ以外の対処法がなかった。

 完全なイタチごっこ。

 まるで深い泥濘に嵌ってしまったかのようだ。


 ――気が付けば二人はモンスターの大群に包囲されていた。

 共に満身創痍。身体の至るところに傷を負っており、血と汗に塗れながら必死にモンスターを迎撃する。


「コレは、さすがにキツいデスねー……」

「ランジュ、大丈夫……?」

「頑張りマース」


 だが、弾薬は底を尽きており、トリガーを引いても空撃ちの音が響くだけだった。


「退路が私が切り開くから、何とかその隙に」

「それは無粋というものデスよ、リンネ」

「ごめん。ありがと」


 ランジュは「うに」と力なく笑う。

 さしものランジュも無駄口を叩く余裕は無くなっていた。

 いつも誰かに元気を分け与える、天真爛漫という言葉が最も似合う少女だ。

 そんな少女の苦悶に満ちた顔を初めて見た視聴者は非常に多いだろう。

 

 自分たちの声は彼女たちに届かない。

 視聴者の多くが冒険者を統括する『ギルド』に救援要請を送ったが、これだけのモンスターの規模だ。

 しかもそれなりに深い階層にいる。

 まず間に合うまい。


(死ね、ない……!)


 それでも凛音は必死に刀を振るう。

 死への恐怖はない。

 自分にそんな資格はない。

 これだけの傷も事務所に所属するまでは日常茶飯事であり、むしろ懐かしさすらあった。


(死ねない……!)


 ランジュが倒れた。

 重い身体に鞭を打ち、彼女に襲い掛かろうとしたモンスターを斬り伏せる。

 ここまで良く頑張ってくれた。そのことに凛音は敬意しかない。


(まだ、死ねない……! 絶対に死ねない……!)


 警報を鳴らす勘に従い、鞘を盾代わりに使う。

 衝撃。腕から嫌な音がした。

 木っ端のように身体が吹き飛び、壁に叩き付けられた。


「――――っっハッ」


 肺から空気が絞り出される。

 身体が爆発したのかと思うほどの衝撃だった。

 霞む視界の中、大木のように太い腕を薙ぎ払った大トカゲを見た。

 べしゃりと地面に倒れ、咳込む凛音の耳が徐々に大きくなる地鳴りのような足音を捉える。


(死ね、ないんだ。『彼』を探し出すまで、絶対に、絶対に……ッ!)


 奥歯を噛み締める。

 途切れそうになる意識を強靭な精神力で強引に繋ぎ止め、高く跳び上がった。

 羽虫を潰すように振り下ろされた巨腕が、彼女の居た地面を叩き付ける。

 その様子を大トカゲの頭上から見下ろす。


「――――ッ!!」


 声なき裂帛。

 落下と共に閃いた刃が大トカゲの首を寸断する。


 :や、やりおった

 :ナイスぅぅう!〉

 :やっぱチャンリネしか勝たん!

 :アホ! まだモンスターはぎょうさんおるやろうが!

 :あ

 :あ(絶望)

 :頼むからはよ逃げてくれ!

 :つーかコレが配信で流れてる現代日本さん、価値観ヤバくね?

 :前にそれ系の考察を見たな。ダンジョンにミーム汚染されてるとか

 :今そんな話しとる場合ちゃうやろ!


 ワッと湧き上がり、即座に急転直下するコメント欄。

 無様に落下した凛音は何とか動かそうとするが、今度こそ指先一つ満足に動かない。

 ただぼんやりと群がるモンスターを眺めるしか出来なかった。


 それでも抵抗の意思だけは手放さず、刀だけは手放さず。

 それだけが自身の存在意義だと言わんばかりに。

 それが凛音にできた最後の悪あがきだった――が。


 突然、一条の光が彼方から迸り、今にも二人を喰らわんとするモンスターを逆に喰らい尽くし、蒸発させた。



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