第40話 意思と矜持




「あんまテレーゼのことを悪く思うなよ。あいつもお前と同じで立場ある人間だから言わずにはいられなかったんだ」


 コーヒー牛乳の紙パックを飲む工程を挟みながら薙刃は言う。

 私情を挟んだ結果が数年前のアレだ。

 裏で起きていた悲劇に長年テレーゼは気付くことができなかった。

 だからエレイナが同じ過ちを犯さないよう厳しいことを言うしかなかったのだ。


「はい、大丈夫です。テレーゼが私のためを思って言ってくれたのは分かっていますから」

「そいつぁ重畳。……何気に重畳とか初めて使ったな」


 そんなことを嘯く薙刃。

 そのことを言うために来たのだろうか。

 エレイナはテレーゼが羨ましくなった。


「……薙刃くんもテレーゼと同じ気持ちですか?」


 答えが分かっていても尋ねたのは、否定してほしかったからか。

 そんなわけないのに。

 彼は日本とラシュアンとの間に国交を結ぶために来ている。

 エレイナを護衛しているのも、その一環。

 薙刃としては、リシュを勝たせるわけにはいかないのだ。

 しかし、


「選ぶのはお前だよ、エレイナ」


 どこか突き放すような、それでいて透明な響きだった。

 心の内を見透かされたようでエレイナの目が翳る。


「でも、薙刃くんは」

「そーだな。オレとしちゃあ是非ともお前に王練を勝ち上がってほしいよ。その方が都合が良いからな。でもそれはオレの事情だし、オレのミスだ。お前が気にすることじゃない」

「薙刃くんのミス、ですか?」

「そらそうだろ。オレの抱えてる問題は、ほとんどオレの自業自得だ。要は波風立てないよう立ち回っておけば良かったんだからな」


 そう、薙刃が他者に遜り、礼儀正しく振る舞っておけば、帝国とのいざこざに端を発するアレコレや、リシュと対立することもなかった。

 つまりリシュが王練を勝ち抜こうと何も問題なかったのだ。


「でもオレにはそれができなかった。我慢できなかった。エレイナ、オレはな――この世でオレより優れた人間なんて一人もいないと確信しているんだ」


 突然のオレ様発言だったが、薙刃は本気だった。

 人類という種がこの世に誕生してから今まで。

 そしてこれから先、人類が滅亡するだろう遥か未来まで範囲を広げても、自分こそが頂点だと、天上天下古今無双の存在だと、薙刃は断言できる。


「だからオレは基本的に全人類を見下しているし、命令されるのが大嫌いだ。例え相手が大国の皇帝であろうとオレは自分が上だと思っている。でも、だからってただ好き勝手に振る舞っちまえば、それはただの思い上がり。痛々しい勘違い野郎の誕生だ」


 ――だから結果で黙らせる。

 そう言い切った薙刃からは揺るぎない信念が感じられた。

 だが、それだけだと、ただの自己中心的かつ不快な人間だ。

 結果を出したから好き勝手に生きますね、は少しダサい気がした。

 故に、薙刃は好き勝手に生きながらも矜持を持つことにした。


 要は『こんな奴が……』ではなく『お前ほどの男が言うなら』と人々に認めさせようと思ったのだ。


「オレには誰よりも優れた存在として生まれ、それを自認する以上、誰よりも優れた証を示し続ける義務がある。じゃないとオレ以外の人間の立つ瀬がないだろ?」


 迅切薙刃という人間は俺様至上主義な人間だが、同時に英雄気質な人間でもあった。

 でなければ今頃は自宅で悠々自適な日々を過ごしている。

 周りの声を一切聞き入れず、ただただ自分のためだけに生きていただろう。

 

 しかし、そうはならなかった。

 薙刃は念願の帰郷を果たすや否や、久しぶりの日本を堪能する暇もなく、即座に星間領域へとトンボ帰りをした。


 普通に放っておけなかったというのもあるが、理由の大部分は彼の矜持に由来する。


 薙刃は強者には強者にあるべき振る舞いがあると考えていた。

 凡人たちの立つ瀬を失くすような、チカラを隠匿する人間が大嫌いだ。

 為すべきことも為さず、隣にいる者が懸命に足掻いている傍らで利己的に手を抜く姿勢を心の底から嫌悪する。


「オレはオレの意思を誰に憚ることなく押し通すための矜持がある。エレイナ、今のお前に意思はあるか?」


 ――私の、意思……?

 エレイナは心に問い掛ける。

 自分は王女だ。王族の人間として国民に安寧を齎せる義務がある。

 そしてリシュが道を踏み外してしまった以上、それを正すのも自分の責務なのだ。

 それこそが王女たるエレイナの意思であるべきだ。


「なら、やっぱり――」

「それはお前の矜持だろ」

「え?」


 エレイナはドキリとした。


「意思と矜持は別物だよ。意思は自分のしたいこと。矜持は自分を支える柱だ」

「……薙刃くんは心が読めるんですか?」

「お前が分かりやすすぎるの」


 仕方ないと言わんばかりに薙刃は腰に手を当てる。


「それで、本当はどうしたいんだ? このまま流されるように王練に挑むか、それとも別の答えを出すか。もう一度言うが、選ぶのはエレイナだ」

「道を示してはくれないんですね」

「生憎、男に縋らなきゃ生きていけない安っぽい女は好きじゃないんだ」


 そんな薙刃の物言いに苦笑しながら、改めてエレイナは自身の内側と向き合った。

 リシュを思い浮かべたとき、必ず最初に脳裏を過ぎるのは、自信満々の笑みを浮かべ、こちらに手を差し伸べる幼い頃の姿だった。

 それが答えだった。


「――私は、リシュお兄様と昔のような関係に戻りたいです。もしもそれが叶わないのなら、もう一度、新しく始め直したいです」


 そう言ったエレイナの瞳には、不安はあれど迷いはなかった。


「よく言った。お前はあの王子に、自分が抱えている物を全部ぶちまければ良いんだ。兄妹喧嘩ってのは、そうもんなんだろ。知らんけど」

「……でも、大丈夫でしょうか。リシュお兄様は私なんかよりずっと強いんです」


 そう、確実性を得るために暗殺という手段を取ったが、元々リシュはエレイナより強いのだ。

 だが、薙刃は動じない。


「安心しろ。お前にはオレがいる。この世にそれ以上頼もしいことなんざ存在しねえよ」


 寧ろ、そう不敵に笑うのだった。









「――ありがとうございます、薙刃くん」


 薙刃が去った後、再び静寂さを取り戻した部屋でエレイナは囁いた。

 本当は直接言えばよかったのだが、あのあと薙刃から出された提案がとんでもなくて、お礼を言える空気ではなかったのだ。


 明日、改めてお礼を言おう。

 とても明瞭な気分だった。

 王練が始まって以来――否。

 リシュとの関係がギクシャクするようになって以来の気分だった。

 頭の靄が晴れ、胸のしこりも払拭できた。


 もちろん、まだ上手くいくと決まったわけじゃないが、それでもエレイナの心境は晴れやかだった。

 今日はきっとよく眠れる。

 床に就いたエレイナはゆっくり目を閉じた。


 心地良い微睡みに浸りながら胸に手を当てる。

 何だかとてもポカポカしているような気がした。

 うつらうつらと揺蕩いながら、不意にエレイナの脳裏を過ぎったのは、薙刃に勧められて読んだ漫画だった。


 優秀な家族との才能差にコンプレックスを持ったお姫様が、チョイ悪系のイケメン冒険者と出会い、旅をしながら恋に始まり、色々なものと向き合う物語。


 エレイナは、お姫様が抱える苦しみが痛いくらい分かった。

 だから冒険者と出会い、様々なものを乗り越える姿には感銘を受けた。

 冒険者との甘酸っぱい恋愛模様にはドキドキした。


 いつか自分にもこんな出会いがあるのかな、と乙女らしく想いを馳せたこともあった。

 そう言えばお姫様が自分と似ていたように、冒険者もまた薙刃に似ていたなとふわふわしながら思い至り――――次の瞬間、お姫様と冒険者の姿がエレイナと薙刃に置き換わった。


「~~~~~~っ!???」


 覚醒。

 エレイナは顔を真っ赤に染めて飛び起きた。


「え? え? え? え? ど、どうして薙刃くんが……!?」


 自分が一体どんな想像をしたのかと恐る恐る振り返り、ボフンと一層赤みが増した。

 しかも薙刃がしたとんでもない提案を思い出し、それが更に拍車を掛ける事態となる。

 胸の中に去来する様々な感情に振り回され、エレイナはジタバタと暴れた。


「う~……!」


 よく眠れるとは何だったのか。

 結局エレイナは悶々とした時を過ごし、寝不足となった。



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