第33話 郡山駅前に集う

シチュー:

『この時間は誰も掲示板を見ていないだろうけど、一応リアルタイムで伝達。シチューはこれから白河市を出発』


シチュー:

『昨日はシチューも色々と疲れました。でも夕方にはベストコンディションで望みます』


シチュー:

『みなさんの助力で、シチューの行動スケジュールはばっちり』


シチュー:

『すばらしいことです。しかし一方で、臨機応変さが決めてとなる、そういう一日になるような気がしています。誰も見ていないでしょうけど』


 それぞれが普通の一日を送った。昼ごろに、虎氏から佐伯と恵眞にメールがあった。

 

『俺は教職を退くことになるかも知れん』


 どうしたと二人は訊ねた。どうしたもこうしたもあるかとすぐに返信が来た。


 昨日、匿名であるべきネットの世界で、一人だけ身元を明かす羽目になってしまった虎氏は、突如として学校の人気者になった。


 ホームルームで生徒から突っ込まれ、廊下ですれ違う生徒にも質問攻め、くすくす笑いながら通り過ぎていく生徒も多かった。


 駅前で横浜のハエ的ないでたちで踊っていることは、前から周囲に知られていた。それだけでイロモノ教師として世間からは見られていたのだ。そこにさらに新しい要素が加わってしまった。


 情報は同僚の教員たちにも生徒経由ですぐに伝わり、午後には教頭から、「夕方には駅前に行かなければならないのでしょう。早く帰ったほうが良いですね」とありがたいお声を掛けていただいた。


 平時からその教頭は虫の好かない男だったが、それにしてもあまりに目が笑っていなかったという。


 まあそれはいいとして。


 郡山駅前は夕方ただでさえ交通量が多い。祭りの最終日であり、しかも並行して超人気ボーカルグループの特別なイベントまで行われる今日は、かなりの混雑が起こることは確実だった。


 佐伯が仕事を終えた後に車で向かえば、道路が一番込み合う時間帯に直撃する。虎氏も同様である。


だから恵眞は、学校の授業が終わった時点で、単独で駅前まで向かうことになっていた。


 午後の授業は宇佐美も選択しているはずだったが、教室に彼の姿はなかった。早い時間から駅前で待ち受けているのかもしれない。


 稀に、前日に飲みすぎて、二日酔いの為に丸一日学校をさぼる不届き者もいたが、まさか宇佐美に限ってそんなことはないだろう。


 授業が終わると恵眞は自転車をかっ飛ばした。機敏に動けるよう、今日は水色のシャツとジーンズ。


 大学から駅前に向かう最短距離の道は歩道が無い場所が多く、若干危険を感じたが構わずに恵眞は自転車をこいだ。


 目印は、はるか向こうにそびえ立つ、ランドマークタワーの『ビッグアイ』だ。


 駅の駐輪場についたとき、時刻は五時をまわっていた。あたりは薄暗いが日はまだ大分残っている。


 山車が出発するのは五時半。『彼ら』のラジオ番組が始まるのは七時からだ。


 恵眞は駅前広場に向かった。


 アーケード通りにはたくさんの屋台がならび、中高校生や親子連れで賑わいを見せ始めていた。


 春先に虎氏を初めて見かけたステージ前のスペースを通り過ぎて、『彼ら』のオブジェを少し眺めた。


 それらに向かって拍手を打って、無事今夜を乗り切れるよう祈りたい気持ちになったが、『彼ら』のために労苦を負っているのだから、本来こっちが拝まれてもいいくらいである。なのでやめておいた。


 手形。ベンチ。それから緑色の未来への扉。


 どこでもドアにそっくりなそれを、恵眞はくぐってみた、くぐってからあたりを眺めて、元の場所から移動していないことを確認した。そしてちょっとがっかりした。


 どこでもドアは、どこにもないのだ。


 後ろから彼女と同じように扉をくぐる人がいたので、恵眞は脇に逸れた。


 これらのオブジェは、設置されてから割りと日が経っているので、いつもはそれほど注目を集めてはいないのだが、今日は祭りのさなかということを差し引いても人が多い。


『彼ら』のイベントのためにやってきているものが予想通り大勢いるようだ。


 恵眞は赤いスマホを取り出して、亀山シチューが生放送を行うサイトを開いた。


 画面はまだ準備中のままだった。


 しかし四十分前の亀山シチューからのメッセージで、郡山駅前に着いたとの報告があった。


「恵眞」

 後ろから野太い声。振り返るまでもなく、虎氏だった。


 今日の彼はシックなスーツに、サングラス。いつもここで踊っている時に着用しているサングラスよりは角度が幾分マイルドなものだった。大きなバッグを持っている


「思ったよりも早く到着したじゃないですか」

「おう、ほかの教員に、早く帰るよう促されたからな。なんでだろうな?」


「ふ」

「何が可笑しい」

 虎氏が、恵眞の首を絞めようと太くて毛深い両手を伸ばしたとき、恵眞のスマホに佐伯からメールがあった。今出発。


 おそらくこっちに到着するまで三十分はかかるだろう。


 二人はアティという駅ビルに入った。郡山駅を守るように建つ二つの大きなビルのうちの一つ。そしてアティの道路向かいには、かつての老舗デパートが、相変わらず看板を全て取り外された真っ白な姿を晒していた。


 アティの六階に向かう。CDショップと楽器店。楽器店にはあの偽物作戦で協力してくれたうちの一人が勤めていた。


 恵眞と虎氏は彼に挨拶をしにいった。すると、すだれ頭の彼も楽器店にいた。真っ赤なトレーナーを着た彼は、相変わらず中年サラリーマン風の頭部とバランスがまるでとれていなかった。


 昨晩ファミレスで恵眞たちが争っていた時、ドレッドヘアの彼は仕事中だった。すだれた彼は、コメントを一言も発せず黙々と投票だけはしていた。


「お久しぶりです」

「昨日は危なかったようだね」


 すだれた彼は別に非難するようではなく、ただ眠そうにぼそぼそっと言葉を吐いた。


 その隣には、ドレッドヘアに迷彩柄のパーカーを着た彼が片手を挙げて、浅薄な笑いを浮かべていた。


 虎氏が歩み寄ってドレッドの彼の手に軽く、その大きな拳をあわせた。

「曲作ってるかい?」

「ああ、ぼちぼちな」


「隣は繁盛しているようだな。怪しい奴は見なかったか」

 CDショップでは『彼ら』の新曲を買い求める人々が、店を少しはみ出す程度の行列を作っていた。


「あの人数だからな、色んな奴が来ていたけどこれといって。亀山シチューだっけ? ブログは俺もある程度読み込んでみたけど、どうも文章から本人の姿形が浮かんでこないんだよね」


「あ、やっぱりそうですか?」

 恵眞が虎氏の大きな身体の横から、ひょこっと顔を出した。


「音楽の趣味もどうも均一性がない」

 すだれた彼が『彼ら』のCDを手にして眺めた。


「それ買ったんですね」

「いや、もらった。ほら、彼らの直筆サイン入りだ」


「『彼ら』から直渡し?」

「いや、マネージャーの小僧が、ここに来た」


「あのマネージャーはいけすかねえ奴だよ」

「俺あいつ嫌い」

「あいつはなにも分かってはいない」


 反骨精神に富む男性三人組に、『彼ら』のマネージャーは評価されていないようだ。


 『彼ら』の新曲が隣のCDショップからもれ聞こえてきた。


「立場上、わたしも買ったほうがいいんですかね」

「気乗りしないんなら、その必要は無いだろう。限定版という以上の価値はない」

 すだれた彼はなおもCDを眺めていた。


「良くないんですか?」

「僕の主観は抜きにしても、一般論としてこういう特典つきの売り方をすれば、石ころだって売れるわけだから。自信作をわざわざここにもってくる必要が無いだろ」


「なるほど。でも別の考え方をすれば、いつものパターンから外れた野心作をリリースしたいのならば、いい機会だと思うんですけど、うーん、いつもと同じですね」

 彼女は隣からの歌声をある程度聞いたうえで、そう結論付けた。


 恵眞と虎氏はアティのビルを後にした。


「あの二人はちょっとやってもらうことがあるから別行動だ」

「へえ、そうですか」

 恵眞はCDを結局買わなかった。

 駅構内の喫茶店では『彼ら』がすでに待機しているはずだった。でも恵眞たちは見張られている可能性があるので、喫茶店に立ち寄るわけにはいかない。 


 ほどなく今日の本来の主役、山車の行列が始まった。

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