第3章 記憶
第14話 夏の日の観覧車
愛機オリンパスのPENを買ったころから、電気屋を巡るという行為そのものが恵眞にとって趣味のようなものになっていた。
日差しの強い夏の一日が終わり、湿度は高いものの多少は風もあって過ごしやすくなった。
夕方、恵眞は自転車を漕いで、日和田のケーズ電気に向かった。国道四号線を左に曲がる。
しばらく進むと目の前に見える大きな道路は国道四号のバイパス線だ。
本線とバイパスは、ほんの少し先で合流する。バイパスをくぐったさきは作りかけの十字路があるが、通行止めの立て札にふさがれることによってT字路となっている。
右に曲がると、地方のオアシス、ジャスコ日和田店。左に曲がればカーショップ、スポーツ用品店、それからケーズ電気の大きな店舗が並ぶ。
それと、駐車場には巨大な緑色の光を放つ物体があった。観覧車だ。
恵眞はほぼ真下の位置から観覧車を見上げ、視線をぐるっと周回させて確認する。誰も乗っていない。今日も。
郡山に来てからこの場所は何度も訪れているが、観覧車に誰かがのっているところは一度も見たことがない。
地方のショッピングモールはあちこちにあれど、駐車場に観覧車が居座っているのはここくらいだろう。
どこかの遊園地が廃業となった際に、遊園地のあった市町村から友好の証しという名目で押し付けられたらしい。
乗客はなくただの大きすぎるオブジェと化している。夜になると八山田からも緑色の光を見ることができて、いまやこの町の景観の一部としてなじみつつある。いざなくなってしまったらきっと寂しい気持ちになるだろう。
「一緒に乗ろうか」
観覧車をぽけーっと眺めていた恵眞は、横からふいに声をかけられて驚いた。
声の主が買い物袋を抱えた不来方ケイだったので、もう一度驚いた。
「あ、急に話しかけてごめんね。でもそんな顔をしなくても」
「お久しぶりです」
恵眞はケイの背後を確認する。誰もいない。彼女も一人だ。
「この観覧車は見て楽しむものだと思っていましたが」
「おかしなことを言うわね、恵眞。観覧車は乗るものに決まっているじゃないの。わたしは何回か乗ったことがあるわよ」
「はあ。まあでも、友達と乗ればそれなりに楽しいんですかね」
「ううん、一人で乗った」
「お?」
ケイは恵眞の反応を無視して、一人で観覧車の根元の位置にある自動券売所に歩いていってしまった。
「ほら、乗ろうよ」
二枚の切符を手にしたケイの笑みにはどこか逆らいがたいものがあって、仕方なく恵眞は歩みより、切符を受け取った。
係のおじさんに声をかけて、二人は観覧車に乗り込んだ。おじさんが「えっ、乗るの?」という顔をしたのが印象に残った。人里離れた、なのに無人駅ではない駅で務めているものならば、彼と気持ちを共有できるのだろうか。
二人は向かい合って座った。
高さが増していく。遊園地でもお台場でもないこの場所で観覧車にのると、人はどんな光景を目にするのか。恵眞には明確なイメージが浮かびづらかったが、実際のところそう悪くなかった。
観覧車がある日和田から駅前の市街地までは直線距離で四キロある。夕暮れ時の郡山駅前は美しい光を放っていた。なかなかの健闘を見せていた。
西の空はまだ透き通った青さが残っていたが、真上には闇が広がる。その下には住宅地の灯火がささやかに、ところどころは束になって、存在していた。
恵眞はその光のなかで生活する人々のことを思い、一人でこの景色を見つめたのだろうケイの背中を思った。
「これはなかなか良いですね。ケイさん」
「でしょ?」
観覧車の緑色の光にケイの姿が包み込まれて見えて、きれいだった。
「てっぺんまで上ったところでプロポーズとかされないですよね、わたし。もしくは一周して観覧車を降りたのはケイさんだけで、死体になったわたしは、ここで誰にも気付かれずにいつまでも回り続けていたのだった、とか」
後者をわりとリアルに心配していた。
「しないよう。単純に、純粋に、恵眞と観覧車に乗りたい気分だっただけ」
「何か情報でも入って、それで話がしたいのかと思いましたが」
「ああ、佐伯くんと二人で探りを入れてたみたいね。聞いているわよもちろん。でも今日は別にいいじゃない」
「おや、これは肩透かし」
気分しだいで憎悪を露わにしたり、親愛らしきものを示したりするのはいかがなものかと恵眞は思ったが、いやな気はしなかったので振り回されてみることにした。
ケイは落ちついたワインレッドのバッグのほかに、ビニール袋をひとつもっていた。
「ケイさんは何か買ったの?」
「うん、プリンターの用紙。L版サイズの写真用。ちょっといいやつを買っちゃった」
「へえ、わたしも最近カメラを買ったので、それは興味がありますね」
「カメラ買ったの? コンパクトなほう?」
「いえ、コンパクトじゃないほうです」
「そっか佐伯くんもカメラ好きだもんね。着々と彼氏の影響をうけてるわね」
「もう、そういう言い方しないでくださいよお」
ケイの言葉にいつものような濁りは感じなかった。なので恵眞も素直に照れることが出来た。
「わたしもね。持ってるのよカメラ。恵眞はカメラの機種とかは詳しいの?」
「あ、自分のを買うときにさんざん比較検討したので、名前はだいぶ覚えましたよ。スペックの違いはうまく説明できませんけど」
観覧車は頂上付近まできた。町の明かりが恵眞とケイを、物言わずにただ見上げていた。
「佐伯さんはニコンのD90。ミドルクラスの名機ですね。わたしがオリンパスのPEN」
「おお、カメラ女子の定番じゃないの」
「そのカテゴライズはあまり好きじゃないですけど、女性でもすんなり扱えるのは確かみたいですね。デザイン的にもシックでかつかわいいし」
「わたしはペンタックスよ。k―r」
「おおお、わたしが土壇場まで迷ってたやつだ!」
恵眞のよい反応に、ケイは満足げに微笑んだ。二人はまるで、仲の良い先輩後輩にでもなれたかのようだった。
「色はなんですか?」
ケイの言ったk―rとは、低価格の割には優れた実力を持つと評判の一眼レフである。佐伯のD90やケイのk―rが世間で一般的に言われる一眼レフで、恵眞のもつPENはフォーサーズ(3/4)と呼ばれる、いくぶん小ぶりのタイプだ。
一眼レフとは普通ボディーが黒いものである。理由は撮影の際、カメラ本体からの反射光が写真に影響をあたえてしまうことを避けるためだ。ところがこのk―r。そこをあえてくつがえしてみた。
カラーバリエーション120種類。
ボディとグリップとレンズの色を、好きにオーダーできるという暴挙。基本カラーのほかに迷彩柄などもあって、世界に一台のカメラが手に入る。
カメラ業界からは信じられないとの声が挙がった。とくに部材を管理している人たちからは、殺す気かと。
佐伯は教えてくれた。
「品質に自信があっても、ニコンとキャノンのメジャーなイメージには叶わない。そこで小規模メーカーのペンタックスは考えた。奴らに出来ない、やってはいけないことをやってみよう。そうすれば生き残れる」
「美しいですね」
そのとき恵眞は共感した。
「わたしが選んだ色の組み合わせはね。ホワイト×ホワイト×ホワイト」
「全てホワイトですか」
「真っ白いカメラがほしかったの。あとは名前が気に入った」
「k―r?」
「ケイのケー・アール。わたしのためのカメラなんだって感じがしない?」
「くだらないことをいう率が高い人間なんですね、あなたは」
「ひどっ」
また二人して笑ったところで、観覧車は一周して最下点に戻ってきた。
あとはもう、恵眞は当初の予定通り電気屋を覗きにいく。ケイは観覧車に乗ることができて、心置きなく家路に着く。
「つきあってくれてありがと、恵眞」
「ケイさん。わたしはあなたという人間がまだ分からずにいます」
「あらそんなのお互い様よ。わたしだってあなたが理解できないし、佐伯くんのことも理解できていない。多分」
蒸し暑さのなかにもひと吹きだけ風がそよいで、ケイの髪の毛を散らした。観覧車の緑色の輝きが逆光となって、顔がよく見えない。
「恵眞は、わたしをやっつけたいの?」
「違いますね。わたしはこの状況を終わらせたいんです。具体的にどうオチをつけるのかまでは分かりませんけど、あなたをやっつけるとか、そんな単純な話でないのは間違いないです」
ケイはうつむいた。
「恵眞は自慢のカメラで、またわたしにとってはやっかいな写真を撮って、ブログにでものせるんだろうね」
「いつか機会があればケイさんの写真も撮ってみたいです。あなたは優れた被写体だと思います。きれいですから」
「あはは、ありがとう」
じゃあいくね、とケイは歩き出した。
「またね、ケイさん」
ケイは振り返った。
「またね、わたしの好敵手」
声は僅かにかすれていた。
電気屋でカメラの備品などを眺めながら、恵眞の心は晴れやかだった。突然だったので戸惑ったけれど、ケイとの距離を少し縮めることができた気がした。この調子でがんばれば、自分の望む通りの結末を迎えられるかもしれない。
でもそれは儚い希望的観測に過ぎなかった。いつもと様子の違うケイに、恵眞は疑いの目を向けるべきだったのだ。
この日を境に、前田加奈子が姿を消した。
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