第13話 親愛なるものたち

 残る一人の住むアパートに佐伯の車で一緒に向かった。


 ごみ屋敷だった。ごみを回収日に定期的に出すという、人間のごく基本的な生活習慣を失ったものの末路がそこにはあった。食事が終わって一息ついたら食器を洗うという行為についても同様である。


 テレビ局が取材に来てインタビューを受けたこともあるそうだ。顔にモザイクをつけて。


「なんですかこの臭いは。あ、何かけっ飛ばした」

 玄関から居間に向かう暗い廊下にはCDがびっしり積まれていて、悪臭のため足取りがふらついた恵眞はそれに足を引っ掛けた。


「おい、ケース割れてないよね」

 奥から男の声。ケースは割れなかったが、ジャケットの写真はビンや、皿が粉々になっている写真だった。


 これが、あれである。マイナー音楽界の総大将的存在。ノイズ。


 カーテンは無造作に閉められていた。部屋の明かりはついていない。カーテンの端から外の光が漏れはいってきて、この部屋の住人のシルエットを形作っていた。


 彼は年齢が虎氏と佐伯さんの中間くらいなのだが、はげていた。そのへんの会社のオフィスを覗けば六十人くらいいそうな、残存する頭髪を無理やりいじってスペースをうめる、すだれ頭という奴である。


 メガネをかけていて、頭から上は完全な中堅サラリーマンなのに着ているシャツが原色の妙に若々しいもので、そのアンバランスさ加減がはっきりいって気持ち悪かった。


 先日の撮影の際は、ニット帽と、おしゃれなメガネで随分化けていたのだ。


「この人のCDコレクションは質も量もちょっとしたものだ。いまはまっているのはノイズだけど、ジャズとかも、日本でここに一枚しか存在しないような輸入版まである」

「それはすごい。でもその一枚しかないCDは聴いて面白いものなのですか」


 浸透しないのには相応の理由があるはずだ。


「希少価値だけを重視するコレクターにはなりたくない」

 すだれた彼は聞き取りづらい声を発した。


「聴いてみて、いいと思ったものだけを残す。どんなに珍しいものでも気に入らなければ売っ払う。上手くやればオークションで買ったときの何倍もの値で売れるから、それはそれでOK。僕が死んでから、どういう人間だったかを知りたがる変人がもしいるのならば、ここにあるCDを全部聴かせればいい。それで分かるようになっている」


「聴くことに特化した人生」

 恵眞は溜息をもらした。あっぱれだとは思うが、もう少し他の物事に心を配ってもバチは当たらないのではないだろうか。


 佐伯はしばらくすだれた彼と話をして、CDを二枚借りて帰ることにした。恵眞は携帯の番号を、彼には聞かれなかった。

 

 外に出ると、日差しはまだ強い。


「恵眞から見てどうだった? 変な人であることは否定しようが無いけど」

「まず間違いなく、警察から何らかの理由でリストアップされていますよね。女性に対する免疫もなさそうだから、ケイさんに誘惑されたらひとたまりもないかも」


「クロということ?」

「そうは思いたくないです。人生を音楽に捧げちゃってる度合いは、誰よりも強烈で純粋な方だと思いました。勝手な願望の押し付けですけど、目先の損得なんかに負けずに音楽に殉ずる強さを持つ人だと信じたいです」


「ふむ。するとこれで全員に会ったわけだけど、どういうことになるのかな」

「疑おうと思えばいくらでも疑えますけど、わたしの結論は全員シロです。大丈夫。素敵な人たちですよ」


「分かった。その線で行こう」

 佐伯と恵眞は歩道を歩きながら、どちらともなく手をつないだ。


 恵眞は嬉しそうに微笑む。


 佐伯の車はこの先の空き地に停めてある。角をもうひとつ曲がれば車の止めている場所というところで、見覚えのある金髪が二人の前に現れた。宇佐美だ。


 彼は前田加奈子と一緒だった。


「あ、恵眞ちゃんだわ、宇佐美くん」

 加奈子の高い声が両者の間に響いた。彼女以外の三人はなんともいえない表情で歩を止めた。


「こんにちは、宇佐美くん」

「うん」

 恵眞と宇佐美は駅での一件以来、完全に交戦状態となっていた。


 加奈子は、佐伯と恵眞のつないだままの手に注目し、それから佐伯の顔をうかがい、恵眞の顔をうかがい、最後に再びつないだ手を見つめて、にこっと笑った。

「いいですね」


「えっと、恐縮です。加奈子ちゃんたちも、いい感じに見えるけど」

 恵眞の言葉に、加奈子の頬がわかりやすくポッと赤く染まった。


「やだな、そんな、ちょっと買い物に付き合ってもらっただけよ。ね、宇佐美くん」

「まあね」


 宇佐美は冷静だ。彼は恵眞たちが来た方角に立つ、すだれた彼の住むアパートを見つめていた。


 加奈子はいまだに炭水化物同好会の真の姿を聞かされていないのか、思わぬ遭遇に、心底嬉しそうだった。


 宇佐美たちと別れ、佐伯の黒いサーフに乗り込んでから恵眞がシートベルトを締めつつ尋ねた。


「何をしていたか、宇佐美くんに読まれたでしょうか」


「もう不来方に伝わった頃かもね。別に構わないよ」

 佐伯はサーフのエンジンをかけた。


「そうですね。惑わされないって決めたんだから」

 恵眞は笑顔を作った。車が低い音をたてて走り出した。


 でも本当は。


 誰にも裏切られずに、仕事を進められるとは恵眞は思っていなかった。佐伯もきっとそうだ。

 三人を訪ねることによって固まった心とは、『彼らになら裏切られても仕方がない』という覚悟にほかならなかった。

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