最終回 エピローグ③ 次の冬

 次の冬が来た。

 

 粒の大きな雪が降り注ぐ夜。見る間に道に降り積もっていく。


 八山田と市街地を結ぶ、大きな陸橋。


 オレンジ色の街灯が連なっている。陸橋の急な坂を登って、その向こうまでずっと。


 肩に積もる雪を少し進むたびに払いながら、佐伯敏雄は陸橋の足元を歩いていた。


 彼がこの町に戻ってきたのはつい先週だった。


 被災地での仕事は秋には終わりを迎えた。しかし、検死作業による心労は自分で思っているよりも深く彼を蝕んでいた。


 だから彼は歯科医の仕事をしばらく休んだ。


 日本のあちこちをまわった。全部一人で行った。

 

 ケイの生まれ故郷を訪ねてみた。しかし彼女の消息を掴むことはできなかった。消えてしまったままだった。


 高知にも行って、永井亜季に会うことができた。


 彼女はまだ、以前と同じようなアクティブな引きこもりとしての生活を続けていた。


 しかしそれだけでなく、高校の授業内容を独学で勉強し始めたと、佐伯に照れくさそうに教えてくれた。


 遅ればせながらの勉強でなにがどうなるものか、不安は尽きないだろうが、それでも彼女は笑っていた。昔佐伯が見たものよりも、ずっと上手な笑顔だった。


 それでいいと佐伯は思った。


 一日を笑って過ごすのだ。


 それを二日、三日と重ねていくことが出来たら、遠くから眺める他人からは、きっと幸せな人生というものに見えることだろう。


 『彼ら』の秘密を守る役目からは、長い間離れていた。ひさびさにネットを覗いて、その荒れように目を覆った。決定的な暴露は無かったが、『彼ら』に対する的外れな罵倒が、まるでいつか見た黒い波のように、荒れ狂っていた。


 自分がいなくとも最低限の秩序が守られる世界を彼は望んだが、まだ早すぎたようだ。


 このままだと、いっそ素顔を晒してしまった方がマシといえる状況にきっと陥っていく。


 佐伯はそれを拒絶する心が自分の胸の中に、再び宿っていることに気付いてしまった。


 しかし、同じことの繰り返しだ、と悲鳴を上げる自分もそこにはいた。


 陸橋の辺りには誰もいない。こんな大雪の晩に歩き回るものなど、そういるものではない。


 町の放射線量は相当下がったが、それ以前の問題である。


 足跡のひとつもない歩道を、佐伯は登り始めた。


 目の前にいっぱいのオレンジ色の光。その向こう側からやってくる雪を浴びながら佐伯は語りかけた。


「ここでやめたら、ただの馬鹿で終わる。どうせなら、比べるものの無いくらいのひどい大馬鹿になってやるのも悪くない」


 彼はもう一度正義の味方となる決意を密かに固めた。


 すると。


 風がないからまだ何とかなっている状況だったのに、突然雪の軌道が大きく乱れて、斜度のある陸橋の上から下まで、無遠慮な突風が吹きぬけた。


 佐伯は片手で顔を覆った。何も見えない。風が収まるまで、佐伯は耐えるしかなかった。


 ようやく雪が整然とした音の無いものへと戻ったとき、佐伯は陸橋の頂上部分に白い人影を見つけた。


 さっきまで誰もいなかったのに、突風と共にどこからか舞い降りてきたのだろうか。


 それともいま、天命を帯びて生まれたのだろうか。


 ケイはオレンジの光と、雪のシャワーを見上げていた。


 そして視線を下に移し、佐伯のほうを見た。


 キレイな彼女の笑顔。


 世界で一番憎い相手を見つけた喜びに、彼女は打ち震えているようだった。


 二人は歩き出した。距離がゆっくりと縮まっていく。


 頬に当たる雪がきもちいいのだろう。一歩一歩歩きながらケイは目を細めた。


 そしてまたオレンジ色の街灯を見上げた。


「きれいでしょ。これがわたしの人生よ」

                

               〈了〉

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