第51話 エピローグ② いつかのファミレスにて
去年の九月の夜。八山田のファミレスで会戦があった。
それは遠い昔のことのように思えた。様々なものがあの頃とは違っていた。
その場所に恵眞が現れた。一人だ。
茶色いセーターに、木の首飾り、エキゾチックな柄の長いスカートという格好。
「えっと、待ち合わせです。先に来てると思うんですけど」
入り口で店員に告げて、彼女は店の中を見回した。昼食時を少しはずした時間帯だが、お客は多い。学生や家族連れでとても賑やかだ。
探していた相手を見つけると、店員に会釈してからそこへ向かった。一番奥の席。
「お待たせしちゃってすみませんでした」
恵眞が声をかけると、相手は振り向いて片手をあげた。
彼女はソファー側の席に座った。
向かいに座るのは、『彼ら』のリーダー。
「お久しぶりです」
「どう、少しは生活落ち着いた?」
「学校もなんとか始まりましたからね」
「好きなの頼みなよ」
「ではお言葉に甘えて。む、とはいってもこれは」
メニューはあちこちに『販売中止』のシールが貼られている。
震災の影響でいまだに材料が揃わず、一部のメニューのみで営業している状態なのだ。
「じゃ、パンケーキとドリンクバー」
恵眞はドリンクバーからホットコーヒーをセルフで持ってきた。
リーダーはホットコーヒーのみ。
「まだまだ元通りになるには時間がかかりそうですね。こういうのを見るとそう思います」
「コンビ二もようやく品揃えが戻り始めたね」
「おでんのタネをパックで売り出したときはどうしようかと思いましたよ」
「うまかったけどね、あれ」
リーダーはコーヒーをすすった。
「明日の朝、出発するよ」
「そうですか。どうかお身体にだけは気をつけて」
「うん、ありがとう」
彼は歯科医師として、津波で犠牲になった遺体の検死に向かうことになった。
損傷がはげしく、身元の確認が取れない遺体がまだたくさんあるのだ。
彼の役目は、遺体の歯形と歯科で記録している治療記録を見比べることにより、身元を特定することだ。被災地での診療にもあたるという。
このことは先週、ブログでも本人のコメントとして発表された。
「ファンの皆さんは応援してくれていますよ」
「ありがたいよ」
地震の直後はわずかだが『彼ら』に対する非難の声があがった。
ブログに、自分たちが郡山市内で無事なことを報告したのだが、一部の人間にとっては、それが気に入らなかったのだ。
「『お前らのことなんてどうでもいい』とか言われてもね。そりゃそうかもしれないけどさ」
「『ほかにすることはないのか』と書かれているのを見たときにはちょっとあなたたちに同情しました。わたしは少なくとも、あの夜にあなたたちが何かしようという意思を見せたことを知っていますからね」
「そういってもらえると救われるよ。佐伯になにか伝えることは?」
一般人なので話題にはもちろんなっていないが、佐伯もリーダーとともに、検死に向かうことになった。
「特にないです。メールで激励くらいは自分でしておきますので、いいです」
地震のあと、二人は一度も会っていない。
「わたしは状況がまったく理解できていなかったんですよ」
「そうでもないだろ、恵眞ちゃん。あんまり自分を責める必要はないと思うよ。君は良くやった」
「わたしはケイさんの不毛な行いをやめさせたかった。ずっと、この状況を終わらせたいと思っていました。それが彼女を救うことだと信じていましたから。でも佐伯さんは違った。ケイさんのなかで何かが整うまで、彼は勝つでもなく、負けるでもなく、彼女をああいう形で見守るつもりだったんです。うまくいくはずが無かったんですよ。佐伯さんのパートナーになれたつもりでいたけれど、わたしは実は、最初から最後までずっと部外者だったんです」
「ケイが姿を消してから、なんだか状況が変わってきたよね」
「そうですね。わたしはもう手を出しませんけど、たまにネットで見て廻ることはあります。ケイさんがいなくても、あなたたちの素顔を晒そうとするものは定期的にあらわれる。やり方が稚拙な分だけ、たちが悪く感じるものもあります」
「いきなり目の前で写真を撮られたことが、あれから二回あったよ」
「今にして思えば、ケイさんの存在は、そういった連中に対する抑止力になっていたんですね」
「ああ、面白い考え方だね、それ」
「あなたたちは気付いてなくて、わたしも分からなかったことですけど、ケイさんと佐伯さんの力で、あなたたちの周辺はバランスが保たれていたんですよ。佐伯さんが正しい存在でいられたのはケイさんという悪が存在したからだとも言えるかもしれません」
「アンパンマンとバイキンマンの理論だね。ふたりは表裏一体。バイキンマンが生まれた理由は、『アンパンマンが生まれたから』なんだ」
「ええ、それです。あなたたち四人と、佐伯さん、ケイさんの六人が支えあった世界ですね。むかし佐伯さんに、今日からわたしは四つの『e』の仲間だといわれたことがあったけれど、七番目の『e』に結局わたしはなれなかった」
「あんまり根詰めて考えるな。時間をかけて、休み休み、自分の答えを見つけるべきだよ」
「そう努めます」
「俺にも心残りはあるしね。あれだけ色々あったのに、恵眞ちゃんにファンになってもらえなかった。好きじゃないでしょ、俺たちの曲」
「ああ、そのことですか。まあ、そうですかね。あ、でもわたしなんだかんだで、あなたたちのCDを全部そろえたんですよ。いえね。わたしはあなたたちの本質が何も見えてないんだろうかと思って、研究を重ねているんです」
「ありがたいけど、わからないならわからないでいいんだよ、本当に。誰が何といおうと、自分が好きだと思うものを好きでいることが、人間一番幸せなんだから」
「そういうもんでしょうかね」
恵眞はコーヒーカップを揺らしながら穏やかに微笑んだ。
「帰ってきますよね、この町に」
「もちろんだ」
「無理してませんか?」
「どういうことさ?」
「ニュースを見ると、どんどん人が他県に流れて行ってるようですからね。わたしは会津の人間ですから福島県から退くつもりはありません。故郷が滅びていくというのならば、運命を共にして沈み行くのみです。でもあなたたちは、福島の生まれではない。もし去りたいというのなら、それを押し留めてはいけないと思っています」
「なめるな、といわせてもらう」
リーダーの視線は鋭かった。
「確かに、事務所からは東京に来いと何度も言われている。もっともそれは地震の前からちょくちょくあった話だけどね。でも俺たちだって人生の大部分をこの町で過ごしているんだからさ、生まれがここじゃないなんてのけ者にしないでくれよ、寂しくなる」
「へえ、もっとビジネスライクな人なのかと思ってましたよ」
「だいたい東京に行ってしまったら、素顔を隠して生活するなんてできるかどうか」
「そうでしょうか? むしろ簡単ではないですかね」
「この町だから、成り立っているキセキのような気がしていた」
「とことん人というものを信じる人なんですね。少しうらやましいです。わたしは近頃、みんながうそつきに見えて仕方がない。なにが本当なのかわからないんです」
「ああ、うん、恵眞ちゃんのいうことは分かる」
「人はそんなに綺麗なものでしょうか。綺麗な部分があったとしても、同じぶんだけ、汚さ、残酷さもあわせもっているんじゃないでしょうか。ケイさんがそれのためにどれほど傷ついてきたことか」
「君の言うとおりだよ。同じ人間が浅ましい行いと、崇高な行いの両方をこなしてしまう」
三月十一日に見た光景が恵眞の中に浮かんだ。停電で真っ暗なコンビ二の中で黙って並んだ人々のことを。
いまも、すぐ隣に天下のヒットメーカーが座っているというのに、見向きもせずにそれぞれが食事を楽しんでいる。
彼らはけれども、時に人を傷つける。
「ふしぎな人たちですね、確かに」
「もう少し見ていたいんだ。だからこの町に戻るよ、必ず」
リーダーは伝票を手にして、すっと席を立った。
恵眞にほんの僅かに手を振って、背中を向けた。
ゆっくり去っていく彼の姿を恵眞が見つめていると、あたりのざわめきが静まっていることに気がついた。
お客たちが振り返り、無言で、リーダーの歩く姿をじっと見つめていた。
そして誰かが拍手をした。
一人の拍手はすぐに二人となり、大きな森に風が通り過ぎたような、たくさんの拍手に変わった。
八山田の人々は、使命のためにこの町をはなれる青年を、幾重もの拍手で見送ったのだった。
特別に、一度だけ知らないふりをやめて。
リーダーは店内の端まで歩いたところで、振り返り、ぺこりと会釈をした。拍手が一段と大きくなった。
「ずるいな。どうしてあの人ばかり」
涙で滲む恵眞の視界から、静かに彼は消えていった。
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