第40話 宴の終わり①

 人気ボーカルグループによる生ラジオ放送は無事に終わった。


 『彼ら』に興味のないものからすれば、拙い番組だったのだろうが、郡山駅前に集まったファンたちにとっては、きっと生涯忘れえぬ一時間となっただろう。


 『彼ら』と番組のスタッフが最上階から撤収を始めたとき、通り道には上から下まで誰もいなくなっていた。


 トラブルなどひとつもなかったのだ。


 足元では祭りの暖かい光が消えていこうとしていた。


 風が冷たい。


 月から眺めているようだと亜季は思った。


 地球の光はあまりに遠い。自分とは別の世界の出来事。


 彼女は一人、白く大きな建物の屋上にいた。低い外壁のふちを、長い金髪をなびかせながら歩いていた。


 十センチ横にずれたらそこは中空だったが、彼女の足取りはよどみなく、まるで我が家へと続く通りなれた道を行くようだった。


「お邪魔しまーす」

 彼女だけの世界に、異物が入り込んだ。やたら明るいノイズだった。


 恵眞。


「おお、こりゃ美しいわ」

 地上をひと眺めして、恵眞は困惑する亜季を気に留めないかのように、外壁の端に無造作に腰掛けた。そして両足をぷらぷらさせる。


「靴を落としちゃったら、これ面倒なことになるね」

「あ、危ないよ。そんなところに座ったら……」


「あなただってこんなところを歩き回っていたくせに、何をいまさら」

 亜季は戸惑っていたが、やがて、恵眞の隣に腰掛けた。


「PENこと原口恵眞です。宇佐美亜季さん」

「永井……です。苗字は」


「あ、そうなんだ」

「両親が子供の頃に離婚しちゃったので。わたしは母についていったんです」


「じゃあ、弟くんとはあまり会えないんだ」

「はい。実際に顔を合わせたのはほんとにひさしぶり。弟が大学に入ってからは初めてです。七ヶ月、いや、九ヶ月だったかな。えっと……」


 それきり亜季は黙ってしまった。恵眞はうつむいてしまった亜季を、横から興味深げに覗き込んだ。


「あの、ごめんなさい!」

「え、何が?」


「わたし、こうして実際にあっちゃうと、上手く話せないんです」

「人見知りさんなんだ。別に謝るほどのことじゃないと思うけど」


 それきりまた沈黙。


「ふむ」

恵眞はスマホを取り出していじりだした。亜季は、恵眞のその態度を『お前つまんないから、どっか行け』と言われているように感じた。なので哀しみとともに立ち去ろうと腰を浮かしかけたが、そのとき恵眞が、スマホを指差してにやにやと笑った。


 亜季が怪訝な顔で彼女をうかがっていると、恵眞はもう一度電話を指差した。


「ん!」

「あ、ひょっとして……」


 亜季は自分のスマホでブログを呼び出した。

 亀山シチュー。昨日までの話し合いで使った場所。


PEN:

『あらためましてご挨拶。亀山シチューさん、わが町郡山にようこそ!』


シチュー:

『やはりここでしたか。お気遣いありがとうございます。あなたもD90さんも、これだけお手をわずらわせてしまったこのシチューにかくも親切にしてくださり、感涙を禁じえません。あなたたちはわたしに宝物をくれました。郡山は『彼ら』の住む町として、以前から崇拝していましたが、それに加えてこれからは、町の名を聞くたびにあなたたちのことを思い出して、暖かい気持ちになることができるのです。ありがとう』


PEN:

『うわ、滝のように喋り出した! 良いね、君。でも背中がむずがゆくなるから、お礼なんていいよ。ところで『彼ら』が番組をやっている姿を、影からそっと見るくらいは良かったんですよ? 佐伯さんもあなたになら構わないと言ってました。どうして断っちゃったの?』


シチュー:

『そういわれるといまさらながら惜しくなってしまいますね。でもやはり、『彼ら』の姿をずっと知ることなく、どんな人なのだろうとあれこれ想像しながら生きていくことが、シチューの望みなんです。こういう人もいるってことで、勘弁してください。だいたい、『彼ら』のお姿を目の当たりにしたら、シチューは足が震え、その場にへたりこみ、心臓は時を刻むことをやめてしまうかもしれません。生電話のときも、弟は姉に電話を代わろうとしましたが、姉は動揺してしまい、結局涙ながらに断ったのですよ』


PEN:

『そういえばあのときへんてこな間がありましたね。わかりました。嫌いじゃないですよあなたの考え方。それにしてもあなたのブログは凄いですね。弟くんと分担しているにせよ、すごい活動量ですよ』


シチュー:

『ひまなんですよ。シチューは学校に行かなかったし、働いたこともありませんから』


PEN:

『へえ、そうなんだ』


シチュー:

『社会不適合者なんですね、シチューは。中学の途中から学校にほとんど行けなくなりました。理由は、色々です。自分に責任が無いとは思いませんが、他者の迫害はひどいものでした。ブログを始めようと言い出したのは弟です。わたしたちは住むところが離れてしまっていましたが、ブログの作成を通じて、毎日画面の中で会えるようになりました。家に閉じこもっていたシチューはブログのネタを採取するために少しずつ外出するようになり、元々の偏狭な性格も手伝って深くのめりこみ、やがて日本中をバイクでまわるようになりました。あまり地元の人との交流はもてなかったんですけどね、性格がこんなですから』


PEN:

『アクティブな弟さんが引っ張りあげてくれたんだ』


シチュー:

『それは少し違います。シチューたちは本来似たもの姉弟です。弟も学校に行かない時期が長くありました。でも彼は自分の力で立ち上がりました。そして彼は姉を救うことで自らをさらに高く飛ばす推進力を得ようとしたのです。髪を染めたのも彼の強い覚悟、自分にレッテルをはろうとする世間への反発の表れでした。シチューは彼のロケットの隅のほうに乗っけてもらっていただけなのかもしれません』


PEN:

『わたしたちの大学に弟くんが入学したのも、あなたのためということになるのですか?』


シチュー:

『そうですね。そして愚かなシチューは今日までそのことに気付かず、ただ彼のことをうらやましく思っていました。今日のイベントの情報を弟が手に入れて、『彼ら』と話すチャンスだということで、我らシチューは万全の準備を進めました。でも、ただ『彼ら』にほんのすこし近づければいい姉と、『彼ら』の秘密を壊そうとする弟の思惑は、実は最初からまるで違うものでした。それすらも愚かな姉はまったく気付かなかったのです。PENさんたちはやさしいです。でもどうかシチューを責めてください。愚かな姉と道を誤った弟のことを。我らは責められるべきなのです。でも一番の愚者はきっと姉です。姉は弟のやさしさに甘えました。彼の提供してくれた居心地のいい場所から動こうとせず、それは結局閉じこもるかたちがほんの少し変わったに過ぎませんでした。弟の願いが、ブログの活動を通して、姉が社会的に自立することにあると分かっていても、姉は克服すべき物事に対して一歩も踏み込もうとしませんでした。だから弟は、自分が作り上げてしまった怠惰の巣を壊さなければならなかったのです、このような形で』


 恵眞はスマホをそっとポケットにしまった。そして地上の、もうほとんど引き上げてしまったお神輿に目をやった。


「ただぼんやりと生きてきたわたしに、口を挟む余地はない話ですね」

 足をぷらぷらさせながら、恵眞は言葉を続けた。


「亜季さんのためにわたしが何かできることはないか、問いたい気持ちがわたしの胸の中にあります。でもそれはどう考えても、わたしが気軽に口にしていいことではない。だけどせめて、ブログを通じてでも、これからもあなたとつながっていさせて」


 亜季は横に座る恵眞を精一杯、しっかりと見つめた。

「ありがとう原口さん。ブログは続けられないかもしれません。でもあなたの申し出は本当に嬉しい」


「ブログは違う形を模索すればいいんじゃないの。名前を変えてもいいし。ああそうだ。技術的なことならば、有能な人材に心当たりがあるから紹介するわよ。彼らは『世界の一番底』であなたを待っているわ」


 亜季は笑った。

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