第41話 宴の終わり②
やがて白いビルの屋上からは亜季が去り、恵眞以外誰もいなくなった。
下から聞こえてくるざわめきが小さくなった。縁日も片づけを始めているのだろう。
恵眞は止まったエスカレーターを、ゆっくりと降りていった。
スポットライトは撤収されたので、もう真っ暗だ。ご丁寧に張られたロープをめんどくさそうにまたいで、そして恵眞は囁いた。
「このエスカレーターが、いつかもう一度動き出すときはくるのでしょうか。ねえ、ケイさん」
「知らないわよ」
一条の光が遠くの窓から流れ込み、ケイの姿を美しく照らし出していた。
彼女は下のフロアから恵眞を見上げる。
「ケイさん、どうしてそんな目でわたしを見るの?」
「そりゃ見るでしょう」
「いいえ、今日に限ってはにらまれる筋合いがわたしにはありません」
「ふうん、かみ合わないわね、話が」
まとわりつく光が煩わしいかのように、ケイは手で前髪をはらった
「どうあってもあなたは美しいですね。まったく腹ただしい」
「手から血ぃ流して、美しいもないもんだわ。どうしたの? やたらからむじゃない」
「さっきまでいい気分だったんですけどね、宇佐美くんのお姉さんと語らうことができて楽しかったです」
「あのニートと話したのがそんなに嬉しかったんだ?」
「あなたの顔を見てしまったせいでぶち壊しですよ。どうしてそんなに被害者面ができるんですか?」
「なんですって」
「状況の説明が必要ですか? いいですよ。あなたは確かに宇佐美くんに裏切られました。でも宇佐美くんもまた、亜季さんに裏切られたといっていいでしょう。だから今夜の宇佐美くんはプラスマイナスでゼロということになります。そして亜季さんはケイさんに裏切られたので、彼女もまたゼロということになります」
「いいたいことがよく飲み込めないけど、そしたら、このわたしもゼロということでしょ?」
「正しい計算をするには全ての条件を洗い出さなければダメですよ、ケイさん。あなたはプラスです。だって佐伯さんが、宇佐美くんに刺されそうになったあなたを身を厭わず守ろうとした。あなただけが、尽くされた」
「おかしなことを、いいだしたわね」
「何度でも言いますよ。あなただけがプラスであり、わたしだけがマイナスです。あなたのために必死になる佐伯さんを、わたしがどんな気持ちで見ていたと思っているんですか。一番被害者から遠い人間が事実誤認しているようなので、頭に来ているんです。なにかおかしいでしょうか?」
恵眞の震える声が空っぽの建物の中を響き渡った。
「じゃあさ」
ケイは両手を広げて、恵眞に問うた。
「じゃあ聞くけどさ、恵眞。それならどうしてわたしはこんなに寂しくて仕方がないのよ」
「亜季さんは違う方法を探していくといったじゃないですか。苦しいでしょうけど、違うやり方をこれからきっと彼女は、あの姉弟は、模索していくんです。あなたは違う。いつまでそこに留まるつもりですか。亜季さんよりもあなたのほうがよっぽど閉じこもっているじゃないですか! あなたが出てきてくれないと、佐伯さんがいつまでも扉の前から立ち去れないんですよ」
ケイは恵眞の言葉が終わると、うつむきながら歩き出した。恵眞に近づいてきた。
「なるほどねえ」
二人とも今は闇の中。顔が見えない。
「信じなくてもいいけどさ、恵眞。わたしはあなただけは傷つけたくなかった」
ケイは恵眞の目の前に立った。
「でもね、恵眞。自分でもどうにもならないの。わたしの胸の中の炎が屈するな、屈するなと叫ぶのをやめないのだから。それに佐伯くんもね、いくら突き放してもわたしに関わろうとする。あいつは馬鹿だからきっと」
恵眞の体にケイは身を投げ出すように寄りかかった。
「こんなことをしても、わたしを怒りやしないのよ」
そしてケイは通り過ぎていく。残された恵眞はゆっくりと崩れ落ちた。
またどこからか、僅かな光。ケイの手にしたナイフが赤い光を放った。
シチュー:
『忘れ得ぬ一日が過ぎていきます。眠ると明日になってしまうことが惜しい。素敵な記憶が少しずつ遠ざかり、過去へと変わっていくことが惜しいのです。生きていれば、こんなシチューにも、そういうミラクルな一日が巡ってくる場合があるのですね』
シチュー:
『多少喋りすぎな気はしたものだが、当初の目的は変則的であるにせよ、果たせたといえる。なのでOK。でもやっぱり喋りすぎだとシチューは思う』
シチュー:
『怒った? シチューは怒ったのでしょうか』
シチュー:
『怒ってはいない。シチューは怒ってはいない。いろんなものを失ったのでその戸惑いがわずかにあるだけ。でもそんなものは寝れば消える。シチューは今日という日から離れたい。リセットされた明日が早く来ることをシチューは望みつつ、寝る』
シチュー:
『えーもうちょっとお話しようよー』
シチュー:
『ZZZ……』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます