終章 雪夜

第42話 手紙

Dear加奈子ちゃん


 原口恵眞です。

 あなたがこのアパートにまだいるものと仮定してこの手紙を書きました。


 わたしはこの手紙を書くのが遅すぎたことを反省しています。去年の秋わたしの身にちょっとした事件がおきました。そのせいで入院したり、ちょっと日常生活に戻る元気を失ってしまったりでひと冬を棒に振ってしまったのです。痛恨の極みと言わざるを得ません。


 進級もぎりぎりでした。というか、留年を覚悟していたのに、なぜか進級できてしまったというのが本当のところです。この学校の度量の深さ、おおざっぱさ、とにかくそのへんのところに感銘を受けずにいられません。


 ああそれと、ごめんね、気になったので調べさせてもらいました。加奈子ちゃんも進級できたんですね。とりあえずよかったです。


 さて、わたしはあなたの身に昨年の夏起こったことを知った上でこの手紙を書いています。わたしは哀れみと同情から、あなたにアパートの扉を開けて外の世界に出てきて欲しくてこのような行動を取っています。


 わたしが同じ立場ならば、そんなことをされるのはいやです。でもわたしはいまそうせずにはいられません。なのでこうして先んじて白状することと、わたしの巻き込まれた事柄について少々語ることで、どうか勘弁してください。


 わたしは去年の秋、安積国造神社のお祭りのときに、不来方ケイさんにナイフで刺されました。

この通り生きてはいますが、なかなかの重傷を負ってしまい一ヶ月入院しました。ケイさんはいまもこの町で仕事を続けているはずです。


 彼女の近況については、意図的に耳を塞いでいるので、はずとしかいえません。でも事件にしないよう各所に手を打ってもらったのは、わたしからお願いしたことです。深い理由はありません。ケイさんを憎むことができなかったから、そうしたのです。


 それからですね。加奈子ちゃんには目撃された覚えがあるのですが、わたしにはつきあっている人がいました。歯科医師助手の佐伯さん。彼とのおつきあいを、現在進行形で語ってよいのか、それとも過去形とすべきなのか、判別が難しいのが現状です。


 佐伯さんとわたしは、おおむねうまくいっていたと思います。でもわたしが根性なしゆえに先送りにしていたことがありました。彼とケイさんの関係です。ここから先は本来トップシークレットなのですが、あえて語ります(お気づきかもしれませんが、わたしは加奈子ちゃんに、王様の耳はロバの耳に出てくる井戸の役割を求めてもいるのです)。


 佐伯さんはかつて『彼ら』の一員でした。ほんとに初期のころの話です。リーダーを務めていましたがメジャーデビューしたころにはもういませんでした。


 理由は二つ。

 ひとつめは、求める音楽にズレが生まれて、ほかのメンバーから戦力外通告をされたこと。


 もうひとつはメンバー間の恋愛絡みのトラブルです。


 『彼ら』の現在のリーダーは、いまはもう結婚して子供がいると聞きましたが、その頃ケイさんとつきあっていました。


 ケイさんは『彼ら』と行動を常にともにして、彼女のとても幸せな時代だったようです。オノヨーコにも例えられるような、まぎれもない郡山の有名人だったのです。  


 そのケイさんを佐伯さんは好きになってしまいました。これから羽ばたこうとするミュージシャンにとってそれが御法度であることはわかっていましたが気持ちを止められませんでした。


 佐伯さんはそのころすでに自分の限界を感じていて、そのいらだちからの救いをケイさんに求めたのです。結果として佐伯さんは『彼ら』から去りました。そしてケイさんも決して円満とはいえない形で、『彼ら』から離れていったのです。


 二人がいなくなり、やがて『彼ら』は大きく羽ばたきます。


 ケイさんの心に憎しみが宿りました。『彼ら』の作り出した清らかな秘密を憎み、否定して、それは自分が破壊するべきものであると考えるようになりました。


 一方で佐伯さんはわたしに『おとぎばなしを守りたい』と語りました。でもその話をしてくれたときの彼の寂しげな瞳を覚えています。


 普通の人が一生巡り会うことのないほどの幸運をつかみかけたのに、彼はおいてけぼりにされました。けれども彼は言ったのです。『それでもあいつらの音楽が好きだ』って。彼が自分の中でその結論をだすまでにどれほどの逡巡があったことか。


 わたしは佐伯さんにとって、ケイさん以上の存在ではありません。残念ながら今はまだ。


 知り合ってからの年月でそもそも叶わないし、敵対という形であっても深く関わってきた二人です。


 佐伯さんはわたしがケイさんに刺されたとき、とても怒りました。彼女の元に怒鳴り込み、警察沙汰にすることも辞さない勢いでした。それをわたしがどうにか押しとどめたのです。


 わたしは自分のことが原因であの二人の関係が進展を見せることが怖かった。二人が会ってお互いの心根を吐露した果てに、なにが起こるのか知るのが怖かったのです。


 佐伯さんは賢い人です。きっとわたしのような小娘の考えていることなど、お見通しだと思います。だから、わたしが怪我をしたあと少しずつ佐伯さんと距離を置きだしたとき、なにも聞かずにわたしの思うようにさせてくれたのだと思います。


 でもわたしは今でも佐伯さんが好きです。ねえ、井戸たる加奈子ちゃん。どうかわたしの叫びを聞いてください。わたしはどうしても佐伯さんを失いたくないのです! 


 わたしはこれから、どうやら勇気を奮い起こすことになるでしょう。そして成すべきことは、佐伯さんをケイさんから奪い取るということなのだと思います。勝手に長々といいたいことを言うばかりでごめんなさい。でもわたしにできることは、わたしの決意をあなたに宣言して、そのとおりのことをやり遂げることなのだと感じました。その果てにわたしはようやく、あなたの決意を促すわずかばかりの権利を得るような気がするのです。なのでもう一度宣言します。せっかくなので選手宣誓風にしましょう。


 わたしは愛しい佐伯さんを、ケイさんから勝ち取ることをここに誓います。


2011年 3月11日 選手代表原口恵眞


PS. 朝っぱらからこんな暑苦しいお手紙を投函してしまい、ほんとにすみませんでした。

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