第24話 この町が良く見える場所
大学の正門を出たところに、関係者用の駐車場がある。
そこに停めておいた佐伯のサーフのところにたどり着いたとき、校舎からの五分ほどの道のりの間一言も口を聞かなかった恵眞が普段より少し高いキーの大声とともに駆け出した。
「わ、すごい」
夕焼け。
大学のある場所は高台になっていて、駐車場からだと郡山の町並みが一望できる。その向こうに夕日が落ちて行くところだった。二人の視界一杯の範囲が真っ赤に染まっていた。
「この景色がお気に入りだってやつは、うちの学校に多いよ。俺も学生の頃、きっつい試験が終わった後でこの場所の夕焼けを見ることが出来ると、それだけでもう報われたような気持ちになれたよ」
「でしょうね。山のラインもくっきり見えて素敵です。とっても絵になります」
「ふむ。感想がそれだけということは、恵眞は相変わらず『彼ら』の音楽そのものについてはあんまり興味がないんだな」
「え、どういうことですか?」
「この夕焼けを歌った曲があるんだよ、アルバム曲で。だからこの場所も、熱心なファンの間では聖地のひとつとされている」
「そうなんですか。あとで聞いてみますよ。この景色を歌った歌か。わたしそういう話を聞くと、実際に聴いてみる前に、どんな曲なのか自分のなかで想像してみるのが好きなんですよ」
「それって、創作者に必要な素養のひとつだよ」
「おやそうですか。わたし、自分の中に素養がありすぎて、もてあましているんですが」
「よくいうよ。ちなみにどんな曲だと思う?」
「そうですねえ。夕日に向かっていまここで熱唱してみてもいいですけど、まずいですかね。人がそれなりにいますね」
「いやまあ、馬鹿だと思われるだけだと思うけど。よければボリュームを常識の範囲内に抑えてみてはどうだろうか?」
恵眞はくすっと笑った。
「歌いませんよ、ただ」
「ただ?」
佐伯の相槌に、恵眞はすぐには答えなかった。自分の中に考えが降りてくるのをまっているようでもあった。
「自分ならなんのために曲を作るのかって言うのはちょっと考えますねえ。単に締め切りがあるから、身近にあった良さげなネタを拾ってみたって言うだけなのかもしれませんけどね。売れっ子ミュージシャンならばそういうこともきっとあるでしょう。でも自分に置き換えれば、例えばどうしてこの風景を写真に収めるんでしょうか?」
佐伯はもう一度、紅く染まった町並みを見渡した。
「きれいだからとりあえず撮る場合もあるけど、いい写真が撮れるときってのは大抵そうじゃない」
「そう。撮らなければならない理由が自分の中に生じたときなんですよね。被写体と、自分の中の感情と、技量のバランスが上手く組み合わさった時に作品は生まれるんだと思うんです」
語りきって満足げに頷いてから、恵眞ははっと佐伯のほうを向いて、照れくさそうに囁いた。
「釈迦に説法?」
「いや、為になった」
「本当に? よかった。私でも佐伯さんに良い影響を与えることがあるんですね」
「いつも与えられっぱなしだよ」
「あはは、それは嘘ですね」
おや、と佐伯は思った。いつもの彼女らしからぬ物言いだった。
「夕日が遠いですね。なんでだろ。そう感じます」
「同じ景色でも、気分によって見え方はかわるからね」
「わたしケイさんのあんな顔はじめて見ました」
佐伯は恵眞の表情を伺った。夕日に照らされているからというだけでなく、彼女には憂いが感じられた。
「弱気な不来方は意外だった? あいつは目立つからね。敵も多いさ」
「『彼ら』が素性のばれることにもうこだわっていないと誰かがいったとき、ケイさんは何も言い返しませんでしたね。ただ笑っただけだった」
「あれは、そのまま俺たちにも当てはまる話だから、俺も少しだけ気に障ったよ。そういうのではポリシー揺らいだりしないけどね」
「ケイさんはどうなんでしょう」
「そんなぬるい相手だったら、こんなに何年もてこずっていない」
「理解していますね、彼女のことを。そして佐伯さんは知っているんですよね、ケイさんの過去を」
「知ってるよ。聞きたい?」
恵眞は答えない。自分の意思を判別しかねているように見えた。
「ひとつ言っておきたいのはさ。彼女は人気者であるかのように自分を取り繕ったりしたことはないよ」
ケイは今、どこで何をしているだろう。佐伯は思った。もう家に帰りついた頃だろうか。
窓からは彼が見ているのと同じ夕日が差し込んで部屋の中を紅く染めて、彼女はパソコンに入っている大好きな昔のゲームであそんで、時間をつぶすのかもしれない。
それとも彼女は違う星にいて、佐伯が見ているのとはまるで違う星座を眺め、時としてそのほほにキレイな涙は流れるのだろうか。
「そう言われてしまうと、やはり、佐伯さんがどこまで知っているのかという話になりますね」
「さっき、あいつがオノヨーコって言われていたのは聞いてた? 正確にはオノヨーコになり損ねたんだ。不来方は」
オノヨーコ。
ジョンレノンの妻。
ビートルズの活動期間における後期から彼らに関わるようになり、解散の原因のひとつとも言われている。
「わたしでもジョンとの出会いの逸話は知っていますよ。天井に書かれた米粒ほどの小さな文字。傍らに虫眼鏡。覗いてみると、YES」
「不来方は良い聴き手だったよ。『彼ら』の成長に彼女が果たした役割は小さくない。出来上がった曲を聞かせると、価値のある意見を与えてくれた」
「でも、現在ケイさんは『彼ら』の側にはいない。過去とは随分違う、真逆の立場として『彼ら』に関わっている」
恵眞はそこで一度言葉を区切り、迷いを残しつつ「何故ですか?」と訊ねた。
「不来方は『彼ら』の中の一人と、つきあっていた。しばらくはうまくいっていた。最後にはうまくいかなくなった」
「メンバー間で恋愛がらみのトラブルがあったということですか」
「あいつは『彼ら』にとって邪魔な存在になっていった」
「そんな」
「彼女は『彼ら』から離れるほかなかった。初めてのCDを自分たちで売り込みしていた時期からそれほど時間のたっていない、グループとしていまだよちよち歩きの時代のことだ。あいつらだって、あの頃は、こんなに売れて一流ミュージシャンの仲間入りができるなんて思っていなかったろう。強く強くそれを願ってはいただろうけど。『彼ら』はキセキのような出世を成し遂げていった。そしていま、不来方ケイは俺たちの前に妨害者として存在している」
西の空の赤い輝きは、終わりを向かえようとしていた。最後の強い光を搾り出すように放つ。恵眞は手すりから身を乗り出して、大きく息をついた。
「佐伯さん。わたしいま改めて思いました」
「何?」
「わたし、こんなこともう終わらせたい。ケイさんを楽にしてあげたい」
「楽に、か」
「佐伯さんの魅力を駆使して、ケイさんを惚れさせちゃうってのも解決方法のひとつかもしれませんね」
佐伯は恵眞のことをじっと見据えた。恵眞は目を逸らさなかった。
「冗談ですよ」
「なんだ」
恵眞が先に顔を背けて、彼女は、去り行く夕日をもう二度と会えないかのような眼差しで見つめた。
「冗談に、決まっているじゃないですか」
「分かってるよ」
「きっと日和田の観覧車にいますぐ乗ったら、この世の楽園がごとき景色が見られますよ。ああ、どこでもドアが実用化されていないことが今ほど悔やまれたことはありません」
「夕日をバックに緑色に光る観覧車も、すげー綺麗だよ」
「何ですかそれは。写真にとりたい」
「あんまり露骨に綺麗すぎる景色ってのは、写真にするとなんだか安っぽくなる場合があるから注意が必要だけどね」
「なるほど。佐伯さん、いつか二人で観覧車に乗りましょうね。カメラを持って」
「そうだね」
恵眞は笑った。寂しそうに。
「佐伯さん、ひとつ訂正をしておきます。わたしはさっき言いました。『ケイさんのあんな顔を始めて見た』と。あなたは彼女の卑屈な笑いを指したと思ったようですが実は違います。わたしが言ったのは、佐伯さんがケイさんのシュークリームを食べたときの、彼女の表情です。誰にも見向きもされなかったシュークリーム。それを手に取ったあなたを見つめたケイさん。吹きすさぶ風の中、孤独に舞い続けていた一枚の枯れ葉が、ようやく地に降りることを許されたような、安らいだ顔でした」
街から消えていく夕日の光は、恵眞の心のようだった。
「そうだったかな」
佐伯はそれだけ答えて車に乗り込んだ。エンジンをかけても恵眞が助手席に来ないので、窓越しに外を見た。彼女は夕日ではなく、駐車場の、佐伯たちから少しはなれたところにたつ人影を見ていた。
赤いベールを抜けて別の世界から突然現れたかのようなその男は、宇佐美だった。
恵眞がようやく助手席に乗って、車が宇佐美を横目に走り出してから、「何か言われた?」と佐伯は訊ねた。
恵眞は「いいえ、なにも」と答えた。
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