第23話 孤独の箱

 わたし、こんなふうになりたいんです。


 その赤い器を見つめて、恵眞が佐伯に語ったことがある。


 駅前からほんの少し歩いたところにある百貨店。二人で買い物に行った。


 郡山では高級店にランクされているだけあって、なにを見てもいちいち高かった。なのでその日の主目的だった佐伯の服はともかくとして、恵眞は美術館で鑑賞するがごとく、ウインドウショッピングに徹していた。


 佐伯の買い物が済んでから、食器売場に足を運んだ。彼のマンションには少しずつ恵眞の私物が増えてきていて、遠くない将来に恵眞本体が移り住む流れにあった。


 彼女がそのとき目を留めたのが、会津塗の赤い茶碗だった。一個一万円以上する高級なもの。


 赤と黒、両方美しかったが特に赤は格別だった。


 深みのある赤。恵眞の心の深い部分にある一番シンプルなもの。最後に残るもの。


 謎に包まれたブロガー『亀山シチュー』は一歩一歩郡山に近づいていた。台風のごとく北北東の方角へゆっくりと。この日亀山シチューは宇都宮に宿泊する事がブログにつづられていた。イベントはあさって。


「ブログにすごい勢いで写真がアップされてんね」


 日光東照宮。宇都宮城址。餃子の名店。ラーメンの名店。

それぞれに一言コメントがつけられている。視点が面白い。


「たいしたバイタリティです」

パソコンの画面を見つめる、佐伯と恵眞。


 二人は亀山シチューにネット上にてすでに数回の接触を果たしていた。


 それに対して炭水化物同好会側からのちゃちゃが何度か入れられていた。


 お互い目的を果たす前に亀山シチューに悪い印象をもたれたくなかったので、小競り合いに留めた。前哨戦という奴だ。


 そして、それをもって会戦の準備が進められていた。


「会戦って、なんだか会津戦争の略みたいですね」

 郷土愛にあふれる恵眞。


 イベント前日の夜10時から、ネット上にて会議を行うことで話がまとまった。


 議題はどうすれば『彼ら』から生電話をもらうことができるか。そのアピール方法についてである。

 

 結局、恵眞のハンドルネームは愛機の名前からとった。

 ケイに対しては、これで名乗ったも同じことである。


PEN:

『宇都宮城址の写真を拝見しました。わたしは歴史に詳しくはないのですが、ご先祖様たちがこの場所で懸命に生きて、何かを願い、何かをあきらめなければならなかった、その思いが今も留まっているように感じました』


 恵眞の素直な文章が心地よい。


PEN:

『今夜はわたしも予定どおり参加することができそうです。いよいよですね。よろしくお願いします』


 佐伯もコメントを投稿していた。


D90:

『もうすでに祭りは始まっているかのようですね。あなたのような、人生の楽しみ方を知っている人間というものを、僕は尊敬します。今夜お会いしましょう』


 佐伯も自分のカメラをハンドルネームにしてみた。


『なんだか、ゲームで仲良く遊んでいるみたいだなあ』

 佐伯は虎氏からのメールを「だとさ」と微笑みながら、傍らの恵眞に見せた。


「やっていることは画面で文字のやり取りをしているだけですからね、意気込んでみた所で。そういわれても仕方ないかもしれません。でもゲームというのは、あくまでも画面の中だけの点数や、画面の中でしか意味のない技量で争うものです。そうあるべきものです。それによって不幸になったり幸せになったりしちゃいけないんです。だから違いますよ、残念ですが。わたしたちはリアルな人間の生き方とその行く末に関わっちゃっているんです。すでに」

「なるほど」


 どうやら恵眞はゲームというものにたいして、確固としたポリシーを持っているようだ。佐伯はあまり興味がないのだが、彼の部屋でも一人で携帯ゲーム機をがちゃがちゃいじっているときがある。恵眞は宣言するように言った。

「これはゲームとは呼べません。呼んだらゲームに失礼だ」


 安積国造神社の山車はO歯科大の学生たちも数組参加することになっていた。その説明会が学内で開かれるので、佐伯と恵眞は行ってみることにした。


 恵眞などは山車にも興味を示していたが、目的はそうではなく、当日の状況について少しでも情報を仕入れておきたかったのだ。


 会場の大講義室にはすでに二十人ほどの参加者たちが集まっていた。佐伯と恵眞に気付いて、最前列の席に座っていた眼鏡の女性が振り返った。


「やっぱり来たんだ。ご苦労様」

 二人は前の方の席に並んで座った。


「わたしたちの素性は知られているってことですか?」

「全員に全部知られているわけじゃないけどね」


「あの人、実行委員ですね。苦笑いしてましたね」

「そりゃそうさ。向こうからしたら、俺たちなんてトラブルの火種以外の何者でもないもん」


 定刻になったので説明会が始められた。大スクリーンに表示される内容と同じプリントが各々に配られた。


「集合場所がここ。午前10時に集まってね」


 実行委員の女性の淀みない説明。それが十分ほど続いた頃、後ろの扉が開いた気配がした。


 佐伯たちは前を向いたままだったが、実行委員の女性だけが扉の方を見た。そして微妙な表情をした。


 恵眞が振り向き、そこにいる人間を確認する。

「あ、ケイさんですよ、佐伯さん」

「向こうも考えることは同じか。情報収集だ。恵眞、ここでケンカするなよ」

「しませんけど、多少目つきが悪くなるのはどうか了承してください」


 彼女は、ケイに対する怒りが収まっていない。加奈子は未だアパートに閉じこもったままなのだから、収まりようが無い。


 佐伯は横目でケイの姿を確認した。地味なクリーム色のワンピース姿の彼女は白い紙の箱を手にしていた。


「これ、シュークリーム作ってきたの。良かったらみなさんで食べて」


 恵眞はケイのその行動を抜け目の無いものと受け取ったかもしれない。でもそんな上等なものではないことを佐伯は知っている。


 ケイの言葉に対して誰も何も言わない。恵眞は周囲を見回す。思っていたのと違う反応だったのだろう。

 

 何人かが顔を見合わせて小声でささやきあった。薄く笑ったものもいた。

 

 いつまでもちゃんとした返事を誰もしないので、ケイはぽつんとたったままの状態になってしまっていたが、ようやく実行委員の女性が仕方なさそうに口を開いた。

「はあ、どうも。先輩は相変わらずですねえ」

「まめでしょ」


「ああ、そうですね。はは」


 恵眞が佐伯のほうに身体を寄せてきた。

「佐伯さん、あの人嫌な感じですね。もしかしてわたしと同じ理由で怒っているのでしょうか?」

「ちがうと思うよ」


 実行委員の女性がケイに尋ねた。

「最近は会ったりしているんですか? わが町のオノヨーコさん」

 恵眞以外の人間はその意味を知っていた。


「ううん、もういいのよ」

「なんだ。お菓子作戦失敗ですか」

 佐伯の後ろに座っていた女性がぷっと吹き出した。それにつられて数名の笑いが起こった。


「失敗というか」

 ケイは立ったままで、誰とも視線を合わせずに呟いた。


「お互いの存在意義が自然と形を変えて行ったっていう感じかな。収まるところに収まってんのよ、これでも。そういうのって貴方たちにもいつかは分かるわよ」


「ふん」

 周囲の数名は、ケイが僅かにでも反論したことで、気分を害したようだった。そして一人が口を開いた。


「だいたいさあ、わたし思うんだけど、あの人たちって、顔と名前がばれないことに、実はもうそんなにこだわってないよね。不来方さんは一人でムキになっているみたいですけど。だってあれだけ大物になったんだもの、芸能界の闇の力じゃないですけど、一般人一人くらい、本気でつぶそうと思ったら簡単ですよね。それをしないってことは、ばれたらばれたでしょうがないくらいに思ってるんですよきっと。それもわからずにさあ」


「へへ」

 ケイはただ頭を掻いて笑った。


 恵眞の顔が強張っているのが見なくとも分かる。信じられないものを見たかのように。


 ケイは佐伯たちの後ろの席に持ってきたシュークリームの箱を開いて置いた。そして自分はもう一列後ろの席に座った。


 説明会は続いた。一通りの話が終わったところで、質問を受け付けた。佐伯が手を挙げて、二、三の質問をした。


 シュークリームはその間、誰にも手に取られることなく人々の真ん中で孤独に耐え続けていた。


 ケイは自分が持ってきたシュークリームの箱にはいっさいの関心がないふうに、頬杖をついて説明を聞いていた。


 佐伯は自分の手帳に文字をいろいろ書き込んでから、シャープペンを机に置いた。それから自分の斜め後ろに手を伸ばし、シュークリームを一つ取って口にした。


「あ」

 それが誰の声だったのかは分からない。


 佐伯は手帳の文字を目で辿りつつ、シュークリームを食べた。それからケイのほうを振り返って「うまい」と短い感想を述べた。


「うん」

 ケイの返答もとても簡潔なものだった。


 周囲の人間は僅かに戸惑ったようだったが、佐伯とケイがそれきり何も言わなかったので、少しするとまた各々打ち合わせに集中しだした。


 説明会が終わるとケイはすぐに教室を出て行った。一個だけ減ったシュークリームの箱をもって。その早い足取りを「逃げるように」と受け取った者もいたかもしれない。

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