第27話 ブライアン・ジョーンズの独白

 宇佐美の突然の発言。

『僕はブライアン・ジョーンズなのです』


 掲示板上にどよめきの文字列が起こった。


k―r:

『ちょっと事態を整理しましょう。kissさん。あなたの言葉の意味は、音楽を愛するものならば誰もが知るところです。つまりあなたはかつて『彼ら』のメンバーだったということですか?』


kiss:

『突然皆さんの話し合いを乱すことになってしまって申し訳ありません。でもその通りです。僕はかつて『彼ら』と同じ夢を見て、そしてはかなく破れました』


「宇佐美くん、何を言い出すの?」

 恵眞にはこの状況が理解できない。


kiss:

『でも僕の痕跡はすべて消え去ったわけではありません。みなさんが耳にして、口ずさんでいる曲のなかには僕が手掛けたものがいくつかあります』


 宇佐美はいくつかの曲名を書き込んだ。どよめきはますます強まる。


kiss:

『僕は『彼ら』との和解を望みます。亀山シチューさん。どうか僕を利用してください。そのかわりあなたは僕の背中を少しだけ押してください』


「これはなんですか。一体何が起こっているのですか。……佐伯さん?」

 恵眞が心配していた。でも佐伯は自分の感情を抑えることができなかった。吐き気がした。彼はどうにか自分を落ちつけようと、グラスを傾けて飲み物を口にした。


「大丈夫さ恵眞。俺は事態をちゃんと把握している。宇佐美の標的は俺だ」

「なぜ?」


「本当は君へ最初に言っておくべきことだった。でもなんで俺をこんな目にあわせるんだ」


 そのとき佐伯側の人間にしか所在を教えていないはずの掲示板に突然宇佐美の書き込みが来た。


kiss:

『続きはお願いして良いですか? ジョーンズさん』


「え、何これ、宇佐美くんだ! どうして?」

「涌井がここを覚えていたな。パスワードを変えておけばよかった。くそ、俺の不精のせいだ」


 宇佐美の書き込みには画像のリンクが添付されていた。

「わたし、開きますね」

 恵眞は佐伯の返事を待たずにスマホを操作した。


「これは」

 画面を見つめる恵眞。佐伯は彼女の表情からその目に映っているものを読み取ろうとした。心細そうな恵眞の目。


「開いてみてくださいよ、佐伯さんも」

 それは若者たちが並んで写っている写真だった。


 CDのジャケットに使えそうな、少し気取って、少し照れくさそうで、その目は彼らの向こうに広がる未来を恐れながらも憧れをもって見つめていた。

 人数は五人。四人ではなくて五人。


 『彼ら』四人と、佐伯敏雄。


「佐伯さん、若いですね」

 搾り出すように笑みを作る恵眞。


「今見ると、だいぶイキがっているな」

「カッコいいです」


「俺は昔、『彼ら』のメンバーだった。元々は五人だったんだ」


 宇佐美からのメッセージが佐伯と恵眞に向けてまた届いた。

kiss:

『さあ佐伯さん。してくださいよ、面白い話を』


*:

『そうだそうだ!』


 また別の投稿者が佐伯の掲示板に現れた。


*:

『話してくださいよ!』


 一人、二人、どんどん増える。


*:

『がんばれ佐伯さん!』


*:

『いまこそ、あなたは過去と決別すべきなのだ! すべてをさらけ出すことによってのみ、それはなされるのです!』


 がんばれ。


 がんばれ。


 未来のために、努力をするんだ。


「ひどい、何これ。怖いよ佐伯さん」

 恵眞がうめく。


 本会場の掲示板ではケイの言葉が流れた。


k―r:

『素晴らしい。どうです、みなさん。キセキは起きましたよ! わたしたちは今、歴史の生まれる瞬間に立ち会っているのです。聞こうじゃありませんか、彼の物語を』


「ふざけるな、不来方ケイ!」

 恵眞の声は震えていた。うつむく彼女は拳をテーブルにたたきつけた。お客の何人かが彼女を見た。


「恵眞」

「夕方、学校の駐車場で宇佐美くんに言われました。ブライアン・ジョーンズの役目を終わらせてあげるよって。……どういう意味か今頃わかった」


 恵眞は顔を上げた。涙が浮かんでいた。


「ごめん、いままでこのことを話さずにいて」

「謝らないでください。言いたくなかったんでしょ?」


「今も話すのが少しつらい」

「悔しい、これがケイさんのやり方ですか。こうなったら佐伯さん、わたしたちも相応の反撃をすべきではないですか。あなたもケイさんの過去を知っている」


「恵眞やめよう。それは言わなくていい」

「情けをかけるに値する相手でしょうか?」

 佐伯はテーブルに置かれた恵眞の手にそっと触れた。


「不来方がこんな状況になったのは俺のせいなんだ。うまくいっていたあいつらの関係を俺がめちゃくちゃにした」

 恵眞の顔がかっと赤くなった。意味は明白だった。


「そんな、そんな。佐伯さん、どうしてそんな目でわたしを見るんですか。どうすればいいのか分からない。でもなんとかしなきゃ。そもそもこんなことを亀山シチューが望むでしょうか」


 掲示板上でも道義上どうなのかと亀山シチューに尋ねるものがあった。


シチュー:

『名乗り出てくれたことに対して嬉しい気持ちはあります。この場所を選んでくれたということはとても光栄です。でも、『彼ら』の触れたくない過去を聞いてしまうことによって、シチューの心は喜ばない。それはシチューが望むものではない』


 亀山シチューの言葉にはモラルが感じられた。しかし次の発言はそうではなかった。


シチュー:

『でもこれは必ず効果があります。ここにいるみんなが望むのならば、シチューがそれを拒むのは我儘というもの』


「どっちよ!」

 恵眞はいらだちに任せて文字を打ち込む。


PEN:

『kissさん。いい加減にしてください。あなたは偽物でしょう』


kiss:

『これは心外だな』


 宇佐美の言葉の温度が少し低くなった。銃口がゆっくりと恵眞のほうを向くのがわかった。


PEN:

『本当に『彼ら』の仲間だったものが、少なくともこんなかたちで現れるわけがない』


kiss:

『疑う気持ちはわかります。証拠を見せればいいのですね。そう、例えばこんな話。僕の主担当はキーボードでした。でもギターもそこそこ弾くことができて、ごく最初の時期はライブでギターを奏でることもあったんですよ。その姿を覚えているものがたぶんいます。でも僕にギターの才能はなかった。どんどんほかのメンバーに技量で抜き去られていった僕は、キーボードに専念することに決めました。そしてギターはある雨の日、粗大ごみに出してしまった。中古屋に売り払って自分のギターがほかの誰かに触れられることすらいやだった』


 宇佐美は事実を言っていた。

 佐伯はあの日のことを思い出す。雨に濡れるギターを見つめる自分。後ろからそっと傘を差していてくれたのはケイだった。


「いや」

 恵眞はかぶりを振った。


「ケイさんがわたしの知らない佐伯さんを知っているのがいや。佐伯さんが彼女との思い出に飲み込まれていくのがいや」


 佐伯も恵眞も、敵の思惑通り悪意に蝕まれていた。


 そのときだった。画面では虎氏の言葉が本会場のほうに今日初めて表示された。

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