第28話 虎氏乱入
虎氏こと成瀬はハンドルネーム『t』として掲示板に投稿した。
t:
『横槍失礼。間違った方向に話し合いが進んでいるようなので、僭越ながら正させてもらう』
k―r:
『そうでしょうか? もしそうだとしても、みんなの言葉によって導かれる結果なのであれば、わたしは尊重すべきと思います』
t:
『なるほど。この点について亀山さんも同じ考え?』
シチュー:
『亀山さんといわれてしまうと、昔の阪神の外野手みたいですね。他人の思い出をわたしたちがもてあそぶ権利はないと考えます。しかし、この場限りのことであるのならば、聞いてみてもいいのではないかとも思います。あまりにまずい内容であれば、シチューが制して却下するつもりでした』
t:
『亀山さんを責めているのではない。あなたの立場ではそれでいいだろう。議事進行を好意でやってくれているものがいる以上、大筋は任せるべきというのは道理だ。わたしはこの混乱の原因が、進行役の能力の欠如によるものと考えます。ですから変更を要求します。リコールだ』
「佐伯さん」
「成瀬さんは、揉め事をべつな揉め事で上書きしてしまうつもりかな?」
「どうでしょう。……虎氏、文章だと少し人格が違いますね」
さきほどからケイに反感をもっていた参加者が数名、虎氏のリコールに同意を示した。
シチュー:
『シチューはk―rさんに完璧を求めてなどいない』
k―r:
『ありがとうシチューさん。で、tさんでいいのかな? 実に適当な名前ですね。あなたはわたしをリコールして、議事進行の代わりはどうしようというのですか? 話の感じからすると、ご自分がかわってさしあげようとでも、考えているのですか?』
t:
『そのとおり』
k―r:
『自分が仕切って、目立ちたいだけに見えますが?』
t:
『違う。わたしとて、完璧な進行ができるとは思っていないが、おそらくあなたよりは経験がある。そして、郡山に長く住むものとして、いま何かをすべき義務があると考えている。亀山さん、もしかするとルール違反なのかもしれないが、わたしの素性をここで明かすことを許していただきたい。わたしは郡山にある安積高校で国語の教員を務めているものです』
「虎氏、嘘つきましたよ! しかもなんて無茶な」
「成瀬さん」
安積高校は福島県ではトップレベルの名門進学校だ。
「郡山でのネームバリューはもの凄いって聞きますからね、安積高校。効果はあるでしょうけど、ばれるよ虎氏、その嘘は」
「落ち着こう恵眞。これね、本当のことだよ」
「へ! 嘘だ! げぼっごぼうおっ」
恵眞がエスプレッソでむせた。
「だから落ち着けって」
「鼻の中が苦い」
虎氏に向けて、何件かの質問が寄せられた。安積高校の卒業生と現役学生が何人か紛れ込んでいたようだ。イニシャルを交えた会話のあと「あ、本物だ」「N先生だ」と、続いた。虎氏は『別に本名でいいんだぜ』と返す。
*:
『先生なんで『t』?』
t:
『いいだろなんでも』
*:
『ミスターTに似ているから?』
t:
『似てねえ』
虎氏は否定したが、彼と面識のない参加者の脳内では『t』の姿はモヒカン頭で定着してしまったろう。ロッキーⅢの彼。特攻野郎Aチームの彼。
「信じられない。本当なんだ」
恵眞はショックを受けているようだ。
k―r:
『さて、安積高校の先生様。お忙しいでしょうに、今夜はお越しくださってありがとうございます。でもわたしはあなたと長話をするつもりはありません。時間がないんです。まだなにも決定できていないのですから。わたしとあなた、どちらが議事を行うことが適切か、それをシチューさんに決めてもらいましょう。速やかに』
亀山シチューの言葉は少し間をおいてやってきた。
シチュー:
『不本意ながら議事権を一時的にシチューがあずかります。どっちが取り仕切るか揉めていますが、要するに『彼ら』の過去、幻のメンバーについてここで話し合い、明日のイベントでそれを利用することについての是非が問題なのでしょう。違いますか、成瀬先生』
あたりは静かになった。
「文字だけの世界でも固唾をのむ雰囲気ってのはあるものなんですね」
恵眞は緊張の面持ちで、画面を見守る。
t:
『そのとおりです』
シチュー:
『ならばここは、ミンシュシュギの真似事でもして収めませんか。元々、最終的にはそれで決するつもりでしたが、アンケート機能を使うのです。ただ質問はちょっと工夫をしようと思います』
「アンケートか。どっちが優勢かな」
亀山シチューが言っているのは、設問に対して画面上で即座に回答の集計結果を表示する機能のことだ。
「純然たる外野のみなさんだけ見れば、たぶん虎氏を支持する人間のほうが少しだけ多いように思います。ケイさん、途中からはほんとにぐだぐだでしたから。ただ、ケイさんの手勢がどれだけいるのか」
k―r:
『ああ、うざい』
「あ」
ケイの言葉。本会場にではなく、佐伯たちの裏掲示板にそれは来た。恵眞が返信する。
PEN:
『ケイさん、本音はこっちで吐露ですか? ま、別にいいですよ』
k―r:
『余裕ね。思惑通りに話を進めているつもり? こんなので? 甘いわよ。知らないのかしら、選挙なんてものは始まる前に勝負は決まっていることがほとんどなのよ。親愛なる恵眞ちゃん、その黄色いワンピース、かわいいじゃない』
恵眞が無言で佐伯を見た。ケイと昼間に会ったとき恵眞は緑色の服を着ていた。汗をかいたので、着替えてここに来たのだ。
「ちっ」
佐伯が舌打ちをした。
「不来方もこの店にいるのか」
壁を背にしていて店内全体を見渡せる位置にいる恵眞が、ゆっくりと視線を動かす。向かいの椅子に座る佐伯は、彼女の表情から、状況を読み取ろうとする。
恵眞の目が見開かれた。可愛らしい目に恐怖の色が浮かんでいる。
佐伯は思わず振り返った。
こちらを見ている。
全員が。
店内にいたお客全員。
「うわ」
佐伯はうめいた。冷ややかな敵意を帯びたたくさんの目がこちらをじっと見つめ続けている。
佐伯たちと一番遠い、反対側の壁際、禁煙席のゾーンに、赤い毛糸の帽子を深くかぶり、グレーのパーカー、伊達の黒縁メガネをかけたケイの姿があった。
その向かいに座った、こちらを見て微笑を見せているのは、宇佐美だ。
不気味な、集団としての憎悪。さきほど、佐伯たちを案内してくれた女性店員が、状況の異常さに気付いて戸惑っている。あと、端っこのほうに、一人だけ部外者らしいメガネをかけた男性がいて、あたりをきょろきょろしていたが、やったほうがいいのかな? とでもいうふうに、周りに合わせてこっちを見た。いや見るなよ。
「やだな、さすがに」
隣の席のお客もしっかり佐伯のほうを睨んでいたので、軽く会釈しておく。
「佐伯さん、この人数はまずい」
「うん」
シチュー:
『ではシチューは提案します。ちょっとしたお遊びです。シチューはさきほどからのギスギスした空気に嫌気が差していました。だから遊びます。内容は以下の通りです』
佐伯たちは亀山シチューの次の言葉を待った。
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