第6話 コンビニの駐車場、どんぐりと缶コーヒー
恵眞と佐伯がその後きちんと話したのは、駅のさわぎから三日が過ぎてからのことだった。
夜のコンビニに、彼女は呼び出された。時刻は十時をまわっていた。
住宅街の中心にあるそのコンビニは、平日の遅い時間でも客足が途絶えることはない。恵眞は佐伯が現れるまで、店内を散策していた。
飴とお菓子を買って、会計を済ますと雑誌コーナーに立ち寄った。『今年の夏こそ水着になる!』と赤い太字で書かれた見出しに目を留め、その雑誌を手にとった。
恵眞の隣には、漫画週刊誌やゴルフ雑誌を立ち読みしている男性客が三人いた。茶色いチェック柄のシャツを着ている人。ゆったりした長袖のTシャツに野球帽を斜めにかぶった、ヒップホップな感じの人。薄いクリーム色のセーターを着ている人。
それから恵眞が雑誌を読んでいる間にもう一人、グレーのスーツをきた男性が入ってきて。立ち読みの横列に加わった。
ダイエット情報の記事にさらっと目を通して、こんな時間に飴とお菓子を買い込んでいる時点で問題外であることを再認識してから、雑誌を男性客の間から手を伸ばして元あった場所に戻した。
地方のコンビニは駐車場が広い。とくにここはこの近辺でもひときわ広い。窓の外のだいぶ離れた場所に、黒いRV車がとまるのが見えた。
黒いセーターを着た佐伯が車から降りるのを確認して、恵眞はコンビ二の外へ出た。
「こんばんは」
「よっ、お待たせ。この場所で大丈夫だったかな。いまさらだけど」
「どうしてですか?」
「ここらは大学の連中があちこちに住んでるじゃん。知り合いに見られたらすぐ噂になっちゃうよ。俺は恵眞となら別に構わないけどね」
「ああ、そうですね。非常に不都合です。帰ってもいいですか」
今夜の佐伯は、恵眞が嫌悪感を抱くいつもの佐伯だった。
「あの駅での出来事はいったいなんだったのですか」
そしてあの時の、ちょっとかっこよかった佐伯は一体なんだったのか。
「ちょっと買い物してきていい? のどが渇いちゃったよ」
佐伯は店の中に入っていった。飲み物売り場の前で少し背中を丸めて、立っている彼を、恵眞は外から眺めていた。その手前には先ほどからの立ち読み客が各々の手にした本のページをめくり続けていた。
缶コーヒーを二本買って佐伯が出てきた。彼は袋からそれをとりだし、両手に持って恵眞に見せた。
「どっちがいい?」
同じメーカーの微糖とブラック。
「……こちらを」
恵眞はブラックの方を指差した。
「渋い」
「糖分は別に確保しておりますので」
恵眞は自分の持つコンビ二袋を僅かに掲げて見せた。
二人は空いている駐車スペースの、車輪止めに並んで座った。
「かわいい格好してんね」
佐伯は微糖コーヒーの蓋を開けた。恵眞は赤黄緑の織り交ざったワンピースにどんぐりのネックレスをつけていた。
「これがわたしの部屋着なんです。別によそ行きなんかじゃありません。これを着て寝る時すらあるほどです」
言外に自分と会うために着飾ってきたのだろうというおごりが感じられて、心外だった。
「先日はちょっとかっこよかったのに、またそんななんですね」
「そういわれても困る。こっちが本性だ」
恵眞はコーヒーを一口飲んだ。
「かっこよかったんだ、俺」
「ええ、かっこよかったです。さあお話を伺いましょうか」
「この前の男は恵眞に多少は感謝していたみたいだよ」
「多少ですか。今思えば、結構危ない橋だったんですが」
「ケーキをおしゃかにさせちゃったしね。あれについてはいずれあらためて埋め合わせをさせて欲しいな」
「別にいいですよそんなの。で、彼はいったいどういう人なんですか?」
「俺の古い知り合いさ。大学に通っていたときからの」
その先の言葉は一度途絶えて、歩行者信号が点滅する様子を見つめる彼の目にはかすかな寂しさが浮かんだ。恵眞はさっき買ったパイの実の箱を開けて、それを無言で佐伯に向けて差し出した。
「甘いものが好きそうだね、恵眞は」
「炭水化物同好会へのお誘いは僅かに心が動きました」
恵眞は敵意と憎悪に満ちたケイの表情を思い出していた。子供のころ絵本で見た、冬の女王のようだった。
佐伯はパイの実を一個つまんで口に入れ、コーヒーで流し込んだ。
「恵眞はあれが嫌いなんだよね? 正直なところ」
佐伯はあのグループの名を口に出した。恵眞の先輩。
「好きではないってだけですよ。実際そこまで根を詰めて考えたこともない」
「興味をひかない?」
「みんなが騒ぐような流行ものを敬遠しがちなんですよね、わたしって。食わず嫌いはいかんと、歌詞とか目を通してみたこともありますけど、そうじゃないだろう、って感想をもっただけでした」
「音楽性の違いってやつか」
「いやいや、わたしはそんな大層なことを述べるような立場じゃありません。んー、なんていえば伝わりますかね。雪の清らかさを描きたいなら、白い絵の具を使うべきではなくて、むしろ黒い絵の具でそれを表現するのが作品というものなのではないかと、僭越ながら思うのですよ。彼らの音楽はそうじゃないんです。駄目だ、分かりづらいですね」
「いや、よく分かった。いい例えだと思う。でも嫌悪していないのなら、俺としては充分さ。彼らのグループ名には『e』の文字が四つ並んでいる。その意味は聞いたことがあるだろ?」
「メンバーの四人を表しているんですよね。それから、笑顔のときの歯並びをイメージしているとか」
「この前の男性は四つのeの一人だ」
「え?」
「恵眞。君に頼みたい。彼らを守るために力を貸してよ」
沈黙が二人の間を流れた。それに耐え切れなくなったかのように、信号が赤から青に変わり、何台かの車が動き出した。
「へえ」
「反応が、想像をはるかに超えて薄いな」
「佐伯さんが重大なことをさらっというから戸惑ったんです。驚いていますよ。非常に」
佐伯がそんな発表をするのであれば、いつかの居酒屋でのときのように、自慢げに、大々的に言い放ちそうなものだったが、実際は声も顔も無表情であり、苦ささえそこには含まれていた。
「すると、宇佐美くんが写真を撮ろうとしていたのは、素顔を世間にばらすつもりだったということですか?」
「当たり。一緒にいたスーツの男性は、音楽事務所のマネージャーだ。宇佐美はマネージャーとあのメンバーが二人で写っていて、素顔がはっきり判別できる写真を撮ろうとした。この、マネージャーと一緒というのがとても重要なことだった」
「どうして?」
「恵眞も見たことがあるだろう。インターネット上のあちこちに、彼らの素顔だといって晒されている写真を」
恵眞はうなずく。先日ネット上のケンカに割り込んだ時のことを彼女は思い出していた。
「いくらそれらしい姿形でも信用されないものなんだよね。もしあの彼の写真を晒しても、一人だけでは駄目だ。四人並べればいいというものでもない」
それは恵眞にも理解できる。彼女が見たなかで一番本物に見えた画像で、階段に座る四人の男性を正面から写したものがあった。まるでCDのジャケットにも使えそうな良いできの写真だった。しかしそれも後からいたずらで作られた全くの別人の写真だということが判明した。
「明白な証拠を提示できなければ駄目なのさ。あのときのマネージャーは『彼ら』の担当であることを世間に公表している。テレビに顔を出したこともあれば、ホームページでもはっきりと表記されている。その彼と郡山駅で並んで写っているような写真が撮れれば、信憑性がいっきにあがる。もっともそれだってでっちあげようと思えばまだ可能だけどね」
「そんなことをしてなんになるのかしら?」
「一部から賞賛を浴びて、一部からは批判されるだろう。割合はなんともいえない。恵眞はどちらが多いと思う?」
「人生観が試される設問ですね。希望をこめて、批判が多い、に一票を投じさせてもらいます」
「なるほど。ま、どちらにしても、当人の虚栄心はそれで満たされるんだろう。人間の行動動機は結局その辺に収まってしまうものだから」
「佐伯さんの虚栄心もそれを妨げることによって満たされるということですか?」
「痛烈だね。うん、否定はしないよ。もう何年も続いている争いさ。ばらしたいものと守りたいものがこの町にはたくさんいる。俺は守りたいという意見に賛同するものたちを束ねて活動している。ビートルズ研究会なんて、陳腐な名前をつけてね」
「宇佐美くんは、ばらしたい側についたの?」
「そう、彼らの表向きの団体名が炭水化物同好会。主宰しているのは、不来方ケイだ」
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