第5話 大変なことになる、苺ケーキとモンブラン、もし大地震でも来たら
五月の晴れた日曜日。恵眞は駅前に友人と映画を見に出かけた。
地方都市はこのご時勢大変だ。廃れる一方。昔は違ったということを知らないものすら増えているようだ。国全体として見ると、都市部への人口集中が進み、郡山のような地方都市単体で見れば商業のドーナツ化現象がとどまることを知らない。
恵眞の記憶の範疇で思い返しても、子供の頃来たときよりも、郡山駅前のアーケード街でシャッターが閉まったきりの店が随分増えたように思う。
休日に郊外のショッピングモールを覗いてみれば、人にぶつからず歩くのに神経を使うほどの盛況ぶりなのだが、それと比べてしまうとこちらはどうしても閑散として見えてしまう。
とはいっても駅ビルはそれなりに充実しているし、大手の電気店もある。それといわゆるファッションビルも二件あって、下校の時間帯になると高校生たちで賑わいを見せる。
ファッションビルのうちひとつはビッグアイという郡山市のランドマークタワーで、周囲の建物よりも頭三つ分くらい背が高い。建物上層はプラネタリウムになっていて、大きな球体が収まっているのが外からガラス越しに確認できる。
もし大地震でも起きたら、ビルから球体がごろんと落ちて、ビーチボールのように弾んでどこかに転がっていきそうに見える。
よく見れば程よく栄えているのだが、駅前に降り立ったものに寂れた第一印象を与えてしまうのには、理由があった。
駅の入り口を出て初めに眼に入る真正面。どこの町でも一等地中の一等地であるはずのそこにある建物が、空きビルの状態なのである。
老舗の百貨店がそこには何十年も君臨していたが、長引く不景気で二年前ついに落城してしまった。以来看板は取り外され、真っ白いのっぺらぼうな姿のままだ。
駅の敷地にはロータリーが二つあって、玄関を出て右手にバス用、左手にタクシー用という配置になっている。その間には広場と小ステージがある。それから街路樹の幹を囲む円形のベンチが置かれている。ステージは背景にゆるやかな滝のように水が流れる作りになっていた。連休の時などは、よくこの場所でイベントがあると聞く。
恵眞と友人がその前を横切ったとき、音楽が流れていて、ステージ前の石畳で踊っている人たちがいた。
彼らの服装は、『逆に新しい』という印象を持たざるを得ないものだった。実際、恵眞はそう呟いた。
三世代は昔の不良漫画から飛び出してきたような学生服姿。上着は丈が短く、ズボンは膨らんだ形状。ブルボン朝の貴婦人を包んだドレスとあるいは共通のコンセプトが根底に存在するのだろうか。
髪型は豪快なリーゼント。そして鋭角的な形状の真っ黒いサングラス。
肌つやから推測するに、年齢は少なくとも三十以上、ともすれば四十に届きそうに見える。
流れる音楽はそっち系の、いわゆる、横浜をうるさく飛び回る例の銀色のあれ系。
その気だるい旋律にのせて彼らは体をくねらしていた。二人が踊り、もう一人が地べたに座ってタバコを吹かしながらそれを眺めている。
踊る二人の学ランには、裏地に派手な刺繍がしてあって、ステップを踏むたびに垣間見えた。恵眞が眼をこらして確認すると、それは龍と虎だった。
「恵眞、見すぎかも」
友人に言われて、はっと我に返った。つい立ち止まって、正面きって凝視してしまった。
かなり近い位置で。あまりに興味深かったものだから。
タバコを吸っている一人から、手を振られた。恵眞が手を振り返すと、友人に「やめんか」といって服を引っ張られた。そそくさと立ち去る時にもう一度彼らに眼をやると龍の刺繍と目が合った。
「恵眞がああいうの好きだとは少し意外だったわ。もしかして会津の不良さんは未だにあんなで、あなたもついこないだまであんなだったとか?」
「わたしは白い袴にハチマキ締めて、刀を振り回してた」
「またまた」
本当なのであった。
恵眞にとって、彼らの姿もおもしろかったが、それも含めて醸し出す音楽世界が素敵だった。
退廃的ではあったが、現実を受け止めた上での開きなおりのようなものが感じられて、潔かった。
駅ビルを巡って数点買い物をして、紙袋とその他を抱えた恵眞と友人が駅の構内を歩いているとき、騒ぎ声が聞こえた。どこかで怒鳴りあいのケンカをしているようだ。
「いってみよ」
「ほんと物見高いねえ、恵眞は」
小走りで出来立ての人だかりに加わると、恵眞はその中心に知っている顔を見つけた。
大声を出しているのは、同級生の宇佐美だった。濃い緑のチェック柄のシャツ。手には黒い一眼レフカメラ。話している相手はスーツに眼鏡の、やせたサラリーマン風の男性。隣にはつばつきの帽子を深くかぶった男性がいて、あたりをそわそわと伺っていた。
「だからさ、どうして俺が難癖つけてるみたいなことになってるのさ。そういうことにしないと何か都合が悪いの?」
「いえ、そうではなく。私はお互い冷静に話し合おうと申し上げているだけでして」
サラリーマン風の男性は、宇佐美の怒気に縮こまってしまっている。
「冷静だと思うよ? こういう場合は係の人を呼んで、仲裁してもらうのが一番手っ取り早いわけじゃん。それを変に意固地になって拒むから、こっちはあれ、おかしいな、ってなるわけじゃない」
「そう大声を出さないで。ここは人目につきます。まず向こうにいってそれからお話しませんか」
「人目について何が悪いのさ。影に連れ込んだら、態度ががらっと変わるんじゃないのあんた? ねえちょっと。そこの人も、アンタが当事者なんだからきょろきょろしてないでなんとかいったらどうなのさ」
あまり見たくはない光景だった。察するに宇佐美は肩口に黒い一眼レフカメラをぶら下げていたのだが、それが帽子を深くかぶった男性とすれ違った際に接触して壊れてしまったようだ。
トラブルの際には人間の本性が出てしまうもので、宇佐美の高揚した様子からは、自分が優位な立場ならば、何をしてもいいと考えているのがにじみ出ていて、品のいい形相とはいえなかった。
ネット上ならともかくリアルなケンカに、おう、どうしたどうしたと、割って入る魂は恵眞にはない。
駅員が一人歩いて来るのが、人だかりの向こうに見えた。
深く帽子をかぶった男性は、それに気付いて、スーツの男性に耳打ちをした。帽子の男性は恵眞がいる人だかりの位置からでは素顔がまるで分からないが、あせっているようだ。
「恵眞」と呼ぶ声がした。
恵眞は振り向いた。そこにいたのは佐伯だった。
「佐伯さん」
「頼みがある。聞いてもらえないかな」
反射的に憎まれ口をききそうになった恵眞だったが、彼の様子が何故かいつもと違ってたので、あわてて引っ込めた。
「どうしました? 困りごとですか?」
「そ、困っている」
軽薄な口調はどこへ行ってしまったのか。今の彼は最小限の言葉しか発しない。穏やかな笑みからは、彼の心の中を読み取ることができず、なのにこちらの思いは底の底まで見透かされているようだった。
佐伯はとなりで目をぱちくりさせている恵眞の友人を伺った。察するに、そちらには詳細を知られたくないようだ。
「ちょっと待っててね。内緒話してくる」
友人はヒューと口笛を吹いて、少しはなれる恵眞と佐伯を見送った。
「宇佐美と面識は」
「ええ、たまに話します」
騒ぎの輪に背を向けて、二人は話した。
「あいつの目的はさ、帽子を深くかぶっている男の素顔をはっきり写真に収めることなんだよ」
恵眞はそれとなく振り返り、口論を続ける二人のその隣の男を見た。
「なぜ?」
「あの男は素顔を人目に晒したくない。だから今とても困っている。宇佐美は男の事情を理解した上で、騒いでいる。俺は帽子の男を助けたい。どうだろ、それだけでは説明が足りない?」
「いやまあ、足りないですけどね」
二人は視線を合わせたまま、僅かな間動かなくなった。急いでいることは分かっていたが必要な時間だった。理解と共感。
そして恵眞は微笑んだ。
「カメラ、壊しますか。完全に」
「それも悪くない。でもカメラ付き携帯も持っているだろうからね。できれば絡まれている二人を逃がしたい」
「駅員さんはもうすぐそこまで来ましたよ。今にも声をかけそう。確認しますけど、佐伯さんもここで目立つのは避けたいんでしょ」
「うん。相手も複数いるから、俺はそっちを抑える」
「抑える。へえ。ねえ佐伯さん。あとで本当にちゃんと事情を説明してくださいね。あ、わたし手を思いついてしまいました」
「思いついて、しまった?」
「ちょっとした損害がでますからね。さてわたしが抱えたかわいい紙の箱、中には一体何が?」
「それは、どう見てもケーキが数個」
「正解です。あっちの駅ビルの二階のお店で買いました。苺ショートとモンブラン。とてもおいしそうです。しかし、デザートを買うならば、わたしは今日の買い物が全て終わってから最後に買って、そして速やかに帰路に着くべきだったのです。それならば、こんな悲劇に見舞われることもなかったでしょう。では佐伯さんまたあとで」
恵眞は陽気にスキップで宇佐美たちの方に向かった。人混みをすいっとすり抜けて、なおも騒いでいる宇佐美の横を通る。
駅員が宇佐美に触れようとして、彼は「触るな」と言って乱暴に手を払った、そしてその手は、宇佐美の動きを読んでいた恵眞が持つかわいい紙の箱を捕らえた。
横っ面を叩かれた哀れな箱は、変形して床に落ちる。粘土を床に叩きつけたような落ち方。中で何かがどうにかなったことを想像することはたやすかった。
「何すんですか!」
両手を広げた芝居かかった動作とともに、恵眞は叫んだ。
「あ、原口さん」
「宇佐美くん? ちょっと、ひどいよ。わたしのケーキどうしてくれんのよ」
「へ、あ、いやごめん。でもちょっと、俺も立て込んでいるんだけど、こっちと」
「駅員さん、貴方のせいですか? 弁償してもらえないですかね」
「お?」
突然振られた中年の駅員は、返答に詰まる。恵眞は畳み掛けた。
「聞こえなかったんですか? わたしの苺ショートと、モンブランを、JR東日本は弁償しやがれって言・っ・て・る・ん・で・す・よ!」
恵眞は逆上しているようでいて、先ほどまで絡まれていた二人が宇佐美の背後に位置するようにうまくポジション取りをした。
「わかりました。弁償しますよお嬢さん。弁償するからどうか落ち着いて」
「こうなったらあれですね。警察です警察。そのほうが話早いでしょう。丁度すぐそこに交番があることですし、ちょっと皆でいきましょう」
「いやまて原口。駅員さんはちゃんと弁償するといってるじゃないか」
しばらくやいのやいの騒ぎ続けた。それから恵眞は我に返ったように長い息をひとつついた。
「ま、いっか」
「え?」
「特別に勘弁してあげます。わたしはこう見えて心が広いんですのよ。じゃあね宇佐美くん。また学校で」
あっけに取られた視線を感じながら、恵眞はさっさとその場を離れた。宇佐美がはっと振り返ったときには、スーツの男性と、帽子を深くかぶった男性は、とっくにどこかに行ってしまっていた。佐伯が手招きして避難させたのだ。
「お待たせ。行こ」
友人に声を掛けて。そのまま歩を止めずに、駅の外に向かった。
出口の自動ドアのところで、白と濃い青のジャンパーを着た黒髪の女性が、座り込んで携帯をいじっていた。その女性は恵眞が横を通る時に顔をあげて、一瞬目が合った。
不来方ケイだった。
彼女は、朗らかに声をかけるいつもの様子とはまるで違う、暗い目つきで恵眞をじっと見つめていた。恵眞は縮み上がってしまい、そのまま素通りするほかなかった。
しばらく歩いてから振り返ると、ドアのそばに彼女の姿はすでになかった。
見間違いだったのかと、恵眞は後で何度も自分の記憶を思いかえしたが、どう考えてもそれは、あの美しいケイだった。
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