第37話 暗闇の塔

 佐伯は外の駅前広場へ飛び出した。恵眞も彼に続き外に出る。


 二人のことを駅前に並ぶいくつかの背の高いビルが見下ろした。


 恵眞がビルを見上げる。

「どのビルからならよく見えるでしょうか。長い生きものみたく見えるでしょうか」


 佐伯も一緒にビルを見比べたが、お神輿がよく見えそうなものはいくつもある。正解がどれだか分からない。


「まずい、時間が経ちすぎている」

 佐伯は視線を下ろした。祭りを楽しむ人々の笑顔が彼を苛立たせた。


 浴衣を着てたこ焼きと綿飴を手にした女子高生らしい二人組みが彼の前を横切った。


「着物」

「え、なんですか?」


「放送の中で『着物を買った』といっていた。坂本龍馬のコスプレをするために」

「ここで買ったといってましたね」


「ここってどこだ?」

「駅前という意味で捉えましたが」


「そうかも知れない。でもあるいは、『このビルで買った』という意味かもしれない」

「アティもビッグアイも、若者向けのお店ばっかりですよ。この辺の大きいビルで着物を売っているところなんて」


「着物を売っているビルはひとつしかない。そして、そのビルで営業している店は現在、その呉服店しかない」


「白いのっぺらぼう、むかしの老舗デパート!」

 恵眞は飛び上がらんばかりの勢いで叫んで、闇の中に白くそびえるビルを睨みつけた。


「ここで買った。ここで買った。そうだ佐伯さん、あのビルのことですよ」


 そして二人は走り出す。空き家になっているデパート跡に向けて。


 人混みを掻き分け、見物客の手にしたイカ焼きやチョコバナナをかわしながら進んだ。


 信号を渡って、白いデパート跡のふもとにたどり着いた。


「どこから入れるんでしょうか?」

「探そう!」


 建物の周囲を大慌てで調べる。一階で唯一営業している呉服店はすでに閉まっている。


「佐伯さん、あった!」

 恵眞が隣のビルとのすき間から叫んだ。裏口のドアが開いていた。


「よし、入ろう」

 佐伯はドアを開き、二人は建物の中へと入った。


 真っ暗だった。


 この建物が、わが身を哀れむその絶望によって、光を吸い取ってしまったような闇。


 かつてここは老舗デパートとして栄えていたが、閉店してすでに数年。


 世間の景気が悪すぎて、どう再利用すればよいものか誰にも妙案が浮かばないままほったらかしにされ、駅前のとても目立つ場所にまるで宿題をやってこなかったが為に廊下で立たされる小学生の如く、さらしものになっていた。ある意味で時代の象徴。


 しかし、そのような止まったままの空間であるはずの場所に、足を踏み入れたとたん、佐伯と恵眞は人間の気配を感じた。


「うかつに動くな、恵眞。くそ、何も見えない。懐中電灯は持ってこなかったな。こんなことになるなんて思わなかったもん」

「佐伯さんこれで」

 

 恵眞は自分のスマホをかざした。液晶画面の明かりは弱いが、僅かでも周りを照らした。


「きゃ」

 恵眞の小さな悲鳴。二人の足元に人が倒れていた。


 佐伯も叫びはしなかったが、一歩退いた。そして恐る恐る倒れている人間に近づき、声をかけた。


「大丈夫ですか?」

 恵眞は佐伯の後ろから様子を覗き込んでいた。佐伯は倒れている人に触れて、二、三度揺らしてみた。そして恵眞のほうを向いた。


「死んでる」

「ぎゃ! “#$%&‘’()!」


 恵眞は、日本語では表記が難しい不思議な悲鳴を上げて、扉の外に逃げ出そうとした。


 佐伯が慌てて追いかけて、いとしい彼女の首根っこを雑に捕まえた。そして言葉の続きを伝えた。

「ように見える人形が転がっている」

「この馬鹿!」


 恵眞の涙ながらの罵りを背に受けながら、佐伯はもう一度、床に転がる物体に触れた。


 マネキンだ。服は着ていない。閉店のとき置き去りにされて以来ずっとこの場所に横たわっていたのだろう。


「なんだか寂しそうな顔をしていますね。きっと昔はいい服を着せてもらって、みんなの羨望を集めていたのだろうに。あ、あっちにも、もう一体転がっていますね」


 恵眞は五メートルほど離れた場所に倒れていたそれにスマホの明かりを照らし、近づいた。


 そしたら、それがちょっと動いた。

「く! ぴぷう!」

「君はがっちゃんか」

 またも奇声をあげた恵眞を佐伯は押し留めた。


「警備員の制服だ。ああ、頭から血が出てる。大丈夫ですか?」

 倒れていた男は明かりに対してまぶしそうに顔をしかめながら小さく頷いた。


「恵眞、側を離れるなよ」

「ケイさんと亀山シチューは、上の階に向かったんでしょうか?」

 

 注意深く二人は歩を進めた。少しずつ暗闇に目が慣れてきた。小さな窓から僅かに外のネオンの光が入り込んできている。


 突然明かりがついた。


テレビ局のスタジオで使うようなスポットライトが、一個だけあった。


 ライトの横には男が一人立っていた。金髪。


「宇佐美くん」

「やあ、なんだか毎日会ってるね」

 宇佐美は笑っていた。ゆっくりこちらに向かって歩いてくる。右手に何かを持っている。ナイフ。


「おい、宇佐美。馬鹿な真似はよせ!」

「心配するな。極力穏便に済ますつもりだよ、佐伯。俺は時間稼ぎがしたいだけだから」

 落ち着いた声だ。


 恵眞は宇佐美に注意を払いながら携帯の画面を確認した。


 亀山シチューは暗闇の中を歩いている。階段を上っているようだ。


 ここにあるのと同じような、スポットライトの明かりが画面の端に見えた。


「宇佐美くん、亀山シチューは最初からあなたたちの仲間だったの?」


 恵眞の問いかけに、宇佐実は首をかしげた。

「あれ、そんなに音声が悪かったかな」

「何を言っている、宇佐美」


「聞いてたでしょ、亀山シチューの生放送。喋っていたの、俺だよ」


「え・・・・・?」

 恵眞の脳裏に、さっきまで『彼ら』と楽しげに会話をしていた男性の声と、それから監視カメラに映っていた女性の後姿が浮かんで、ごちゃごちゃと混ざり合った。


「佐伯さん」

 恵眞は佐伯に囁いた。


「さっきから生放送の画面は映し出されていますが、今度はなにも喋らなくなりました。多分、今カメラを持って歩いているのは、亀山シチューの女性のほうなんだと思います。途中でスイッチしたんです」

「すると」

 佐伯は宇佐美から一瞬足りとも目を離さない。


「男の方は、あとから追いかけてくる妨害者を留めるために一階に残ったということか。そうなの、宇佐美?」

「うん、そうだよ。俺が亀山シチューの片方だ」


 宇佐美は立ち止まった。スポットライトの光が宇佐美を背中から照らしつけて、逆光で顔が見づらくなった。


 恵眞の、まーじーかーよーという、吐息ほどの呟きが佐伯の後ろで聞こえた。


「お前は何がしたいんだ、宇佐美」

「はじめから言っている通りだよ。『彼ら』の姿かたちを世間に晒してやるのさ。ただし、やるのは俺じゃない。俺はお膳立てをするだけさ。そしてケイさんでもない。仕上げを成し遂げるのは亜季の役目だ」


 亜季という名を呼んで、宇佐美は天井を見上げた。それから自分の携帯を取り出した。


「どうしたんだ。まだ『彼ら』のもとにつかないのか」


 佐伯も携帯の画面を覗いた。カメラの持ち主は、立ち止まっているように見えた。スポットライトの明かりと、ケイの足元が移っている。ケイはカメラの方を向いていた。


 どうやら、カメラの音量を一時さげているらしい。上は上で、二人は何かを話しているのだ。


 時間稼ぎと宇佐美はいった。


「宇佐美くんはこのままゲームオーバーまで対峙を続けるつもりですよ」

 恵眞は囁く。


「恵眞、宇佐美だけでなく全方位に注意を払って」

「何故ですか?」


「倒れている警備員のケガは、鈍器で殴られたようなものだった。ナイフじゃ、ああならない」


 佐伯が言い終わらないうちに、彼の背後で大きな音がした。人と人がぶつかり合うような音。


「恵眞!」

 佐伯は振り返って叫んだ。しかし、音の主は恵眞ではなかった。

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