第2話 近くの本屋、夜までやっている

 歓迎会があった居酒屋から彼女の住むアパートは、歩いて十分の距離だったが、すっかり気分を害した恵眞は、まっすぐに帰宅するという気分ではなくなってしまった。


 なので居酒屋から近い大きな本屋へ向かった。


 郡山に引っ越してきてから、ここには何度も立ち寄っていた。買いたいものが特になくとも、定期的に巡回するのが日課になりつつあった。


 その本屋にはCDショップ、百円ショップが併設されていて重宝している。メガネ店やカフェまで店の中にはあって、ここまでくると規模はともかく店のバリエーション的には百貨店まであと一歩のようにも見える。


 好きな作家の新刊が出ているのを見つけた。手を伸ばしてカバーや帯のあおり文句をしばし眺めたが、やがてもとの場所に戻した。


 ここは我慢だ。仕送りはまだ底をついていないので買おうと思えば買えるが、ほかに読みかけの本があるのだ。


 前に、読みたい本を数冊手当り次第に買い漁ったことがあったが、あとで後悔した。恵眞だけなのかもしれないが、家の本棚に待機する時間が長くなると、買った直後の熱い思いが薄れてしまう。そんなもったいないことってない。


 時刻は十時をまわっていたがお客はたくさんいた。閉店時間は十一時。二人で一冊の雑誌を持って、読みながらささやかな笑い声を漏らす髪の毛の茶色い若い男女もいれば、恵眞が店内をぶらぶら何週も何週も歩きまわる間ずっと同じ場所に立ち続け、厚い小説を立ち読みで読破せんとする豪気なおじさんもいた。根が生えて苔むしているようであった。


 気の済むまで本を眺めて、次はCDショップを廻ってみることにした。万歩計をつけていれば結構な数値がでそうだ。


 CDショップは、そう大きな売り場ではないが、郡山ではまあまあの品揃えの方だ。上を見ると円形の白い壁が売り場を囲む形になっている。そこに色々なアーティストのポスターが、ずらっと、ぐるっと、たくさん貼られていた。


 CDの並ぶ棚の横には新譜や注目曲が特設コーナーとして置かれていて、小さなテレビがプロモーションビデオを流し続けている。その中のひとつに『あの四人組』のCDがあった。


 おっ、郡山の誇り。


 わずかな晴れがましい気持ちと、佐伯の軽薄な口調が同時に胸の中に沸き立つ。郡山ではやはり他の土地よりもこの人たちの曲は売上げが良いのだろうか。


 ん? でもどうなんだろうこれって。


 恵眞が若干の疑問を抱きつつプロモーションビデオを眺めていると、後ろから近づいてくる人の気配を感じた。その人は恵眞の斜め後ろ、一歩下がった位置に立ち止まり、恵眞と同じようにテレビ画面を見つめているようだった。


 少しして恵眞は立ち去ろうと足を踏み出したが二歩で止まった。そして背後にいた彼女を見た。


 郡山市の人口は約三十四万人。恵眞はその刹那思った。わたしの美女ランキングはその中でどのくらいの位置なのだろうか。


 いままでの人生、多少はもてたこともあった。こてんぱんにされたこともあったけど、相撲でいうなら九勝六敗といったところか。


 短い髪は男の子のようだといわれてしまったこともあるけれど、少したれ目な顔立ちは老犬のようだといわれてしまったこともあるけれど、でも、そばにいるとあったかい気持ちになれるタイプの美人さんと評されたこともちゃんとあるのだ。女性が十七万人として、せめて上位五万人の中には入っていると嬉しい。


 目の前にいるこの女性は、郡山で十番以内にいるのは確実だろう。

見たものが立ち止まってしまうほどきれいな女の子などそういるものではない。


 この町に来てみて「なんだか髪の茶色い子が多いなあ」と彼女は思った。今って茶髪はもうそんなに流行っていない。


 恵眞が「黒髪の方があなたは似合うのでは、そうわたしのように」と言ったところでさしたる説得力はないかもしれない。しかし目の前の彼女の手を引っ張っていって、これが目に入らぬかと黄門様の印籠の如く言ったならば、皆がひれ伏すのではないだろうか。

 それほど彼女の黒髪は美しい。


 年齢は二十代中盤だろうか。社会人だと思う。

 細身で、背丈は恵眞より少し高い。明るいピンクのカーディガンの下には白い薄手のセーター。長めのスカートはチェック模様。人形のように大きい瞳が恵眞を見て僅かに微笑んだ。かわいいなあ。


 って、うわこっち見た!


 恵眞が至近距離で凝視し続けたのだから当たり前である。


「何かな?」

 柔らかい声。ふわふわの苺ショートケーキに話しかけられたみたいだ。


「あ、いえ、ごめんなさい」

 恵眞はあわてて頭を下げた。


「いいよ別に。てっきりナンパでもされるのかと思ったけど」

 女性の顔に華やかな笑みが広がり、恵眞もつられて笑う。


 人を魅了することに慣れている。そんな印象を彼女にもった。

 

 彼女はテレビ画面を指差した。

「あなた、これをずっと見ていたわね。好きなの?」


「わたし最近郡山に引っ越してきたんです。この人たちが近くに住んでいるって噂で聞いていたので、凄いなと思ってちょっと感慨に浸っていました」


「そうなんだ。わたしはね、この人たちが大好き」

 画面を見つめる彼女のまなざしには、なるほど愛がこもっている。


 恵眞はこれも何かの縁と思い、先ほど疑問に思ったことを口に出してみた。

「でもこれ、もう少し立派でもいいと思いませんか?」


 美しい女性は再びこちらを向いた。言葉の真意を探るように恵眞を覗き込んだ。


「多分ここって、彼らの住む場所から一番近いCD屋ですよね」

「ああ、そうね」


「だったらもっと大々的に、店の端から端まで使う勢いでコーナーを設けてもいいくらいだとわたしは思うんですよ。例えば」


 話しながら恵眞は、ポスターがたくさん貼られた円形状の白い壁を見上げた。

「ここに一枚だけ『彼ら』のポスターがありますけど、ケチケチしないで、ズラッと全部『彼ら』のもので囲んじゃってもいいくらいですよ。見栄えがすると思いませんか?」


「うん、なるほど」

 彼女の恵眞を見つめる視線に、なぜか別の色が加わったようだ。


「考えすぎですかね?」

「そんなことない、感心してたの。あんまりそれに気付く人っていないのよ」


「え?」

「店の立場でちょっと考えてみればあなたの言うとおりなの。でも大半の人はこんなものなのかなと思っちゃう」


「はあ」

「この町ってね。『彼ら』のファンにとっては聖地のようなものなのよ、実際。ネットを検索してみれば、わざわざここに巡礼旅行に来る人がたくさんいることがわかるわ。だからもったいないなってわたしも常々思っていた」


「もうちょっと商売っ気出せよってことですか?」

「そうね」


 恵眞は置かれたアルバムCDを手に取った。


「あらお買い上げ?」

「ラジオとかでしか聞いたことなかったんですけどね。せっかくなので売上げに貢献してみてもいいかなあと」


「どこかで本人たちが見ているかもね」

「ああ、そっか。そういうことがありえるわけですよね。凄いな、そう考えると」


「あなたは学生?」

「そうです。この人たちの一応後輩です」


「じゃ、わたしの後輩でもあるわね」

「そうなんですか?」


「歯科看護師やってます。学校にもたまに顔を出しているわよ。多分また合うこともあると思う」


 二人はお互いの名前を名乗った。


「じゃまたね、恵眞ちゃん。知り合えてよかったわ」

「いえそんなわたしごとき」


「ほんとよ。話しの分かる人間って思うよりも少ないものだから。それからさ、ここの店員の中にも、もっと大きく取り上げようかって意見の人はいるのよ。でも実現に至っていない。邪魔する人がいるの。憎らしいことに。つまり意図的にセーブされているのが今の状態。うまくいかないもんね」

「はあ」


 彼女に憎まれるなんて、その相手はなんて不幸な人間なのだろうと恵眞は思った。


 気づくと恵眞の気持ちはすっかり落ち着いている。


 佐伯のせいで生じたいらいらは、この女性のおかげで打ち消すことがどうやらできた。ありがたい。


 これより少し後のこと。恵眞は本を読んでいて、自分と彼女の関係をよく指し示す言葉を見つける。


 不倶戴天の敵。


その言葉は彼女の苗字に少し似ていて、それで印象に残った。

 初め聞き取れず、どんな字かもわからなかった彼女の名前。


不来方(こずかた)ケイとの、これが出会いだった。


でもこのときの恵眞は、なにも知らない。

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