第3話 勧誘

 O歯科大のキャンパス内には、中央に大きなメインストリートがどっかと横たわっている。


 正門からまっすぐ続くこの道は大学生活を送るなかで毎日通うことになり、ここを往復していれば一通りの知り合いと顔を合わすことができる。そして入学当初は数名だった知り合いの人数は日々増えていくことになる。


 朝、一コマ目の授業に向かう恵眞は、歯科大メインストリートで前方に佐伯が歩いているのを見つけてしまった。朝いちで会うべき人間ではない。


 歓迎会から数日が経っていた。


 携帯をいじりながら歩く佐伯の横を恵眞は追い抜いた。グレーのシャツに黒いパンツという格好の佐伯。


 背中から「恵眞おはよう」という声が聞こえるが恵眞は歩みをゆるめることもせず、首だけ後ろを向けて無表情な顔と声であいさつを返した。


 早足で歩いて、歩いて、十分に突き放したと思ったところで、恵眞はちらりと後ろをうかがった。佐伯がなおも追いすがってきていたらどうしようかと思ったのだがそれは杞憂というもので、彼はほかの女子生徒に声をかけてへらへらと笑っていた。


 高校の時も女の子を追いかけてばかりいる男はいた。でもそれとはどこか違う。なんというか計算を感じるのだ。いやな奴だと恵眞は思った。


 大体社会人である佐伯がどうして平日の朝っぱらから大学をうろついているのか。


 今朝は冷える。会津と比べるとましなのだが、まだ寒い。昨日は少しだけ暖かかったのだが冬に逆戻り。郡山の春は内気な子供のようだ。心を開いて朗らかな笑顔を見せたかと思うと、ふとした拍子に自分の殻に閉じこもってしまう。


 更に歩き続けると、先日の歓迎会の際に知り合った宇佐美という男の子が向こうから歩いてくるのが見えたので、彼には恵眞のほうから声を掛けた。宇佐美はなかなか男前である。


 歓迎会の際に少しだが話せて、恵眞はわりと嬉しかった。しかし惜しむらくは髪がまっきんきんの金髪である。服装はチェック柄のシャツが好みのようで、特に派手ではない。髪型だけ派手なのだ。昔からなのか、大学に入ってから心機一転のイメージチェンジをはかったのかは聞けなかった。似合っていないこともないけど、惜しい。


「原口さん。サークルは決めたの?」

「まだ。なんだか目移りしちゃってさ」


「別に複数かけもちでも構わないみたいだから、気楽に考えたら」

「そうだよね」


 数言話したのち宇佐美と別れる。また少し進むと、もう一人知っている顔が向こうからやってきた。不来方ケイだ。


「おはようございます、不来方さん。学校の中で初めて会いましたね」

「おはよう恵眞ちゃん。そう? 初めて? そうなのかな。よく分かるね」


「分かりますよ。あなたに今までもあっていたら、絶対忘れませんって」

「わあ、よくもそんな歯の浮くような台詞が。でもありがと」


 笑顔で別れて、また歩く。しばらくして振り返るとケイは、佐伯とすれ違うところだった。


 広い道の端と端を歩く二人。


 佐伯は携帯をいじり続けていて顔をあげなかった。ケイも前方を向いて歩き続け、佐伯には少しの注意も払ってはいないように見えた。おそらく面識がないのだろうと恵眞は思った。


 ところが。佐伯はケイとすれ違ってすぐに、歩く速度を速めて恵眞に近づいてきた。恵眞は歩みを加速して振りきろうとしたのだが、望み叶わずに追いつかれた。


「不来方となにか話していたね。知り合いなの?」

「はあ」


 警戒意識を全面に出して、情報をなるべく与えまいとする恵眞。佐伯は彼女の様子など意に介さず話を続ける。


「あいつのサークルにでも誘われた?」

「違いますけど。あの人、サークルやっているんですか?」


「あ、いや、違うんならいいんだ。恵眞のことは、俺のほうに参加して欲しかったからね。横取りされちゃ叶わないと思ってあせったよ」

「どこも人材の確保には苦労するもんなんですね」


「まあね。ね、恵眞はうちに入るつもりはないかな」

 ないよ。

 会釈をして立ち去る恵眞の背後で、佐伯が自分のサークルを説明する声。その声がドップラー効果を帯びかねないくらい、彼女はそそくさと立ち去った。


 彼のサークルの名前は『ビートルズ研究会』という。うん、浅そうだ。それは野球で言えば巨人ファンみたいなものだから(偏見)。ひとくくりにはできないだろうけど。


 そんなだから『彼ら』の音楽が素晴らしいとか、深く考えずに言えてしまうのだ。


 しかし佐伯の心配は杞憂ではなかった。数日後に、恵眞は学食で宇佐美に話しかけられた。


「原口、俺、伝言を言付かってきたんだ」

 瞬時に、告られる! 誰かに! と内心有頂天になった恵眞の哀しさよ。


「ケイさんから」

「え?」


 宇佐美の口からその名前が出て、恵眞は意外だった。

「あの人が主宰しているサークルに、君も入らないかって言うお誘い。ケイさんは原口のことを高く評価しててさ。戦力として迎え入れたいんだ」


「光栄なのかどうかは、そのサークルの内容にもよるような」

「炭水化物同好会って言うんだ」


「炭水化物? それはつまり、ええと、甘いもの同好会?」

「そう」


「んーと、ちょっと待ってね、頭を整理するから。宇佐美くんは甘党なんだ」

「うん、まあ」


「ほう。それでわたしは、外見でそんなに食いしん坊に見られているということ? ていうか歯科大で甘いものって、凄く反乱組織みたいに思えるんだけど」

「とりあえず入会してみたら?」


「うーむ、どうしようかな。炭水化物かあ。でもうちって変なサークルが結構あるよね。あとひねりが足りないのも。ビートルズ研究会とかどうかと思ったわ」


 宇佐美の顔が険しくなった。


「原口、まさかビートルズ研究会に入るつもり?」

 それまでの冷静な印象から外れたその表情に、恵眞は戸惑った。


「いや、入らないと思うけど。どうしたの宇佐美くん?」

「ああ、ごめん。あのサークルって、炭水化物同好会と敵対関係にあるんだ。それでつい」


「敵対関係ってどういうこと? 部員同士のケンカでもあったの?」

「詳しくは知らない」


 その割には、恵眞がその名を出したとき、彼は随分と気分を害したようだった。


「サークルとか部活同士で、対立するようなことはわたしも少しは聞いたことがあるけど、それにしたって、炭水化物とビートルズの間にどんないさかいの種が? ストーンズ研究会とかだったら大いにありえそうなものだけど」


 サークルについての会話は結論までには至らなかった。恵眞は、あるいは色恋ざたのもつれだろうかと、ケイのまばゆさを思い出しつつ想像した。なんにしても面倒ごとには巻き込まれたくはないものだ。

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