第47話 伝わらなかったこと、伝わってほしかったこと

「佐伯さん、わたしも行きますね。加奈子ちゃんを探します」

「うん、どこかでひとりぼっちじゃないといいけど」


 『彼ら』の一人が、加奈子が何者なのか尋ねた。


 佐伯が「ほらあの、涌井に」とだけ言うと、ああ、と頷いて理解したようだった。


「人手をかけて探そうか?」

 『彼ら』のリーダーが恵眞に声をかけた。


「手伝ってくれますか? 無駄足かもしれませんけど」


「どうせ長い夜だ」

「ありがとう」


 そして恵眞たちは手短に分担を決めて、加奈子を探しに行くことにした。リーダーともう一人のメンバーがミニバンで町を廻る。


 恵眞は佐伯と二人。


 歩き出すと、微妙な緊張感が二人の間に流れた。


 二人きりになるのは久しぶりで、以前はどんなふうに接していたかがうまく思い出せない。


 この感じは高校のときも覚えがあるなあ。いやだなあ。


 恵眞は『別れる寸前』という単語をどうにか頭の中から追い払おうとした。そして代わりに話すべき言葉をかき集めて、搾り出した。


「あのひとたちが今夜正体を晒して歌うかどうかは、一時保留になっちゃいましたね」

「そうだね。ね、恵眞。本音をいってもいいかな」


「なんですか? なんだか怖いな」

「不来方のさっきの言葉。あれは俺も同じ意見なんだ」


 恵眞の胸の奥で鈍い痛みが走った。


「俺は昔、思うようにならない世の中を憂いて、切なさをかたちにしたような音楽をやっていた。それしかできなかった。でも『彼ら』は違う。現実を知ったうえで、傷ついて、人は汚いものだと理解したうえで、人間の世はなんてすばらしいんだろうと歌い上げる。キレイで純粋で、そこではみんながやさしくて、努力すれば夢は必ずいつか叶う」


「でも所詮は、夢が叶った人間の自慢話のようなものではないですか。わたしにはわからない」


「それも見方のひとつだから、全否定するつもりはないけどね。だいたい、ファンとして聞いている連中も、歌い手の思惑と全然違う形でありがたがる人がほとんどだ。『元気付けられる』とか気楽に考える。でもそこで、お気楽でうらやましいよとか言っちゃうのが俺の限界なんだ」


「佐伯さん、その話をどうして今までしてくれなかったんですか」

「言わなくても、いつか恵眞にわかってもらえると思っていた」


 恵眞はうつむいた。涙をこらえるのに必死だった。いま佐伯はとても重要なことを言った。


「ならば仕方がないですね」

 二人の歩く道の先は、静かで暗かった。とてもひどい目にあってしまって、町がいまはただうずくまっているしか出来ないかのようだった。


 目を凝らさなければ何があるか分からない闇。恵眞はそこに、人影を見つけた。


 さっき見送ったその姿。純潔な白い花が咲いているように、ケイが道に横たわっていた。


「ケイさん!」

 恵眞は走り出した。脳裏に最悪の想像が浮かんだ。


 佐伯も駆け寄った。

 ケイは顔が真っ青だった。


「不来方、どうしたんだ!」

「ケイさん、ケイさんってば!」


 声を掛けても反応がない。息はあるが、弱い。


 恵眞が体を確かめたが外傷はない。

「起きないよ。どうしよう佐伯さん」


「これはなにかの発作だ。動かさないほうがいい。」


「救急車」

 恵眞は言うが早いか、スマホを取り出した。バッテリーの残量は十パーセントを切っていた。


「駄目だ掛かってくれないよお、佐伯さん!」

 恵眞の涙声。佐伯も自分の携帯でかけたがつながらない。


 携帯電波の基地局が地震で壊れていると、ミニバンで見たテレビのニュースで言っていた。


「起きろよ不来方。こんな終わり方、俺は許さないぞ」

 佐伯の声もかすれていた。


 そのとき背後から、か細い声がした。

「動かして大丈夫ですよ。運びましょう」


 二人は振り向いた。


「加奈子ちゃん?」


 姿を見たのは数ヶ月ぶりだった。黒いコートにマフラーを巻いた加奈子は、目がうつろだった。


「どうしてわかるの?」

「前にも部室で同じ発作を起こしたことがあったの。心臓よ。そのときは薬を持ち歩いていたのだけど」


 恵眞がケイの衣服のポケットを全部探ってみたが、それらしきものはなかった。


 佐伯は『彼ら』のリーダーにメールで連絡した。救急車が当てに出来ないのならば、自分たちの車で運ぶほかはない。それから佐伯は、ケイを両腕で抱きかかえた。


「死ぬなよ、不来方。恵眞、俺はさっきのコンビ二を目指して歩いていく。君は先に行ってくれないか。ほかの車が通りかかったら、そっちに助けを求めよう」


「……了解」


 恵眞は走り出した。後ろから、足音が追いかけてきた。振り返ると、加奈子だった。


「恵眞ちゃん、わたしも行く」

「うん。車がいるといいけど」


 さっきから一台も車とすれ違うことはなかったので、望みは薄いかもしれない。


「加奈子ちゃん、君、足速いね」

「意外? わたし陸上部だったし、最近、誰にも会わない夜中にジョギングしたりしてたから」


「ねえ加奈子ちゃん、わたしは最低の人間かもしれない」

「どうして?」


「加奈子ちゃんがわたしを追いかけてきてくれて、嬉しかったけど、それより先に、佐伯さんとケイさんが二人だけになったことを気にした」


「最低な人間だったら、その気持ちを人にいうものか」

「ありがと」


「それと」

「うん?」


「手紙、嬉しかった」


 移動しながら聞いたところによると、ここ数か月で宇佐美から何度かメールがあったという。返事は出さなかったが、アドレスを変えたりもしなかった。彼のメールによって加奈子は宇佐美の事情を知っていた。


 佐伯の出したメールは、幸運にも『彼ら』のリーダーにすぐに届いていた。黒いミニバンは途中で恵眞と加奈子を拾って、それから佐伯たちの元についた。


「薬がないんだって? 家に戻ればあるのかな」

 リーダーはケイを車に担ぎこんだ。


 中列のシートに横になった彼女の隣には佐伯が座った。後列には恵眞と加奈子。


「お前は不来方の病気のことを知っていたのか?」

 佐伯はリーダーに訊ねた。


「昔からだからな」

「そうか。俺は知らなかった」


「……あなたはわたしのことなんか、何も知らないのよ」


 ケイの意識が戻った。

「不来方!」


「ケイさん、大丈夫ですか!」

「あまり大丈夫ではないかなあ……」

 ケイは弱弱しく笑顔を作ろうとする。顔色は青いままだ。


「薬が丁度切れちゃってたのよね。先週も一度具合が悪くなってさあ。地震があって、このタイミングでまた発作が起こったらまずいなあとは思っていたんだけど、案の定だわ……」

「そういうときはおとなしくしててくださいよ、ケイさんの馬鹿!」


「ごめんねえ、恵眞。返す言葉も無いわ。みんなも、こんなときだってのに迷惑かけてごめん。あれ、加奈子?」


「どうも」

 後部座席から覗き込んでいる加奈子に気付いた。



 当たり前だが、二人の間には緊張が走って、言葉が途絶えた。なので恵眞がおどけた口調で割り込んだ。


「わたしたち不来方ケイ被害者の会です」

「あら、ほんとだわ……」


「あまり喋るな、不来方。病院にすぐ着くからな」


「佐伯くんどうしたの? わたしが倒れたのがそんなに悲しい? まるで捨てられた子猫のような顔をしているじゃないの」


「喋るなと言っているのに」


「いいわ、当ててあげようか。あなたは今までの色々なことを通じて、わたしの理解者にでもなったつもりでいたんでしょう? なのに、こんな大事なことを知らなかったものだから、ショックを受けているのよ」


 ケイはすぐそばに座る佐伯を見上げて、彼をじっと見つめた。


「そうかもね」

 佐伯も彼女を見つめ返す。


「けれど君のある部分については知ることが出来たと思う。俺が知らない部分は他の誰かが理解してくれて、みんなの知っていることを集めれば君の全てになるのならば、まあいいかなとも思う」


「それとて無理よ。誰にも教えていないことが、わたしにはあるもの」


「ケイさんは」

 加奈子が、おそるおそるだが声をかけた。


「清らかな白魔道士のようなものになりたい人なんですよね。違いますか」


 周囲のものは彼女の言葉に、こいつは何をいっているのだ、という表情が浮かんだが、ケイだけは笑った。


「あらら、君はうれしいところをついてくれるわね……」

「ゲームの話をわたしに熱く語ってくれたことがあったじゃないですか。それにこの半年、結構あなたの事を考えたんですよ。そして思い至ったんです。ほんとは誰よりも正しくありたいのに、ちっともうまくいかない。それがあなたという存在なのではないだろうかって」

 

 笑っていたケイの頬にぽろぽろと涙がこぼれた。溜め込んでいた水風船が割れてしまったかのように、急に。


「わあ……、なんだろ、わたし馬鹿みたい。これじゃまるで、ほんとに死んじゃうみたいじゃないの。加奈子に泣かされるとは」


「泣きましたねえ、ケイさん。わたしちょっと勝った気分です。まあ、なにが言いたいかというと、隠しているつもりでも、案外まわりはあなたのことを分かってくれているということです」


 加奈子はやさしい目で、ケイを見つめた。


 恵眞は見つめあう加奈子とケイを横で眺めて、ふっと息をついた。


「なんだか悔しいですね。わたしもケイさんを泣かすネタがないかな」

「あはは、なによそれ」


 ケイは笑って、それから鼻をすすった。

「ああでもね。わたし恵眞にもヒントあげたんだけどな」


「ヒント、ですか?」

「わたしの愛機の名前を、君には結構アピールしたわよ」


 恵眞は考え込んだが、答えが出る前に車は病院の敷地に入った。


「はい時間切れ。じゃ、恵眞は早く家に帰って寝なさい。いや違うか、今夜はこれからサプライズなライブが始まるんだったわね。いいな、聴きたかった。でもやっぱり、悔しいっちゃ悔しいけどねえ」


「ケイさん」

「なんて顔をしてんのよ、恵眞。心配しないで。わたしがこんなことで死ぬと思う?」


 佐伯とリーダーがケイを両脇から抱えて、三人は救急病院に入っていく。


「うわわ、立つとちょっときついのら」

 ケイの顔が苦しそうに歪んだ。


「しっかりしろよ、不来方。ああ、怪我人が結構運び込まれているみたいだな、混みあってる。恵眞と加奈子ちゃんはここで待ってて」

「はい」


 ケイの「両手に花なのら」という言葉が去り際に聞こえた。

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