第48話 奇跡のライブ
病院の自動ドアが閉まると、恵眞はいいようのない寂しさに包まれた。
「あ」
突然、恵眞は声を上げた。
「どうしたの、恵眞ちゃん」
「愛機ってカメラのことか」
「ああ、ケイさんの白い一眼レフ」
「そ、ペンタックスのk―rっていう機種」
「それが何?」
「名前が気に入って買ったといってた。ケー・アール」
「ああ」
加奈子も気付いたようだ。
ケー・アール。
ケーアール。
……ケアル。
「白魔法だ。FFの。定番の」
「……わかりずらいよねえ、加奈子ちゃん」
「コンデションが悪いと鈍るものなのかな」
「いや、普段の語録のキレがいいとも断じて思わないのだけれども」
ドアの外は寒かったので、ケイたちがいるエリアから少しはなれたロビーに入って、そこの長いすに並んで腰掛けた。
こんな時間なので、照明は薄暗く、向こうの救急病棟からはざわめきがもれ聞こえてきた。救急車がまた一台到着したようだ。
「そういえば」
恵眞はいまさらながらに思い至ったことがあった。
「車を運転していた人、あれが『彼ら』のリーダーさんよ」
「ああ、そうだったんだ。あまり興味はないかも」
「ふうん」
暗いロビーにもう一人入ってきた。恵眞と二人きりになってからは、割とリラックスしていた加奈子の顔が、また強張った。
「宇佐美くん」
「あ、ごめん、わたし宇佐美くんのこと忘れてた」
恵眞は我ながらひどいと思った。たぶん八山田に残ったメンバーの誰かが彼に伝えたのだろう。
宇佐美は恵眞の言葉には反応を示さず。まっすぐ歩いてきた。
「無事でよかった、加奈子」
「宇佐美くんもわたしを探してくれたんだ。平気なのに。アパートが壊れちゃったから、どうしようかなあと、途方には暮れていたけど」
「もう一生会えないかと思った」
「大げさね」
「だって俺は加奈子に、まだ咎めを受けていない。俺がやったことに、なにも恨み言を加奈子が言わないまま、何も罰せられることの無いまま別れることになったらと思うと、怖くて仕方がなかった」
「ふうんそう、分かった。では宇佐美くんの望みを叶えてあげましょう」
加奈子は両腕でそっと宇佐美を引き離した。
そして右手をフルスイング。
風切音を伴った一撃は宇佐美の頬を直撃した。
夜に響いた大きな音とのけぞる宇佐美に、恵眞は目を背けた。
加奈子は宇佐美の胸に両手を当てた。そして大きな瞳に淡い笑みを浮かべて、彼を見上げながらつぶやいた。
「わたしを探してくれてありがとう宇佐美くん。そしてさようなら、最低の男」
恵眞は二人から静かに離れていった。
宇佐美があんなに感情を露わにしたのを初めて見た。
時を経て、それが出来る人間にようやくなれたということなのだろうか。
そしてそれが出来る相手に出会い、失うことができたのだろうか。
恵眞が救急病棟に歩いていくと、怪我人がたくさんいた。地震で落ちてきたものに当たって負傷したのだろう。
人ごみの中で、佐伯とリーダーが立ち話をしていた。
「恵眞」
「佐伯さん、ケイさんの容態は?」
リーダーが代わりに答えた。
「また意識を失った。でもきっと大丈夫だ。あとは医者を信じよう。俺にはやることがある」
リーダーは改めてその覚悟が決まったかのように見えた。
きっと大丈夫。その言葉の重みに恵眞はおそれを抱いた。
恵眞たちは八山田に車で戻った。宇佐美と加奈子はそれぞれ別々の場所でおろした。
メンバー四人は車内で、これから行うライブのプランを練り始めた。
数年ぶりとなる、メジャーデビューしてからは初のライブにメンバーの士気は高かった。
しかし、制約が多い状況での演奏になるので、曲目の選択が難しかった。
アコースティックギターとコーラスが中心になる。
「タンバリン使おうぜ、タンバリン」
登場の演出についてあれこれ案を出して盛り上がる四人。
恵眞と佐伯は後列席からその様子を眺めていた。
佐伯は先ほどから言葉を発しない。彼が長い間守り続けた秘密が、これから消えようとしていた。
「佐伯さん。これでわたしたちの役目は終わるんですね」
「……ああ、そうだね。やっとだ」
「がんばりましたよ、佐伯さんは」
「うん」
恵眞は彼の手をそっと握った。
佐伯が握り返そうと指が僅かに動いた時、リーダーがぼそっと呟いた。
「電池で動くキーボード、あったよな」
リーダーは言葉の後、佐伯のほうに目をやった。
「えっ?」
「それがあれば、だいぶ演奏の幅が広がる。みんなどうだろう、提案なんだけど、佐伯にキーボードをやってもらうってのは」
「おい待ってくれ」
佐伯がシートの間から身を乗り出した。
「俺が入ったらおかしいよ」
「おかしくないだろ別に。バックバンドがいて何が悪いんだ。弾けるだろ佐伯」
佐伯の手が離れて、恵眞の手はひとりぼっちになってしまっていたが、彼女はそれをぐっと握り締めた。佐伯が『彼ら』と一緒に演奏する。それがなにを意味するか。
佐伯敏雄にとっての転機が来た。恵眞は思った。
彼が表舞台に舞い戻り、報われる時がやってきたのだ。
ブライアン・ジョーンズが言えなかった『ただいま』という言葉をいまこそ佐伯敏雄は口にするのだ。恵眞は心が震えた。
「やってよ佐伯さん」
恵眞の声は力強い。うれしくて仕方がないのだ。
「おとぎばなしの結末はこうでなくっちゃ」
他のメンバーは少しの間考えたが、やがて誰からともなくうなずきあった。誰かが言った。
これが運命なんだろうな。
「な、頼むよ、佐伯」
「……弾けることは、弾ける」
知ってる。
佐伯が恵眞にキーボードの演奏を聞かせてくれたことは無かったが、彼の部屋の片隅に置かれたキーボードが、行く度に位置が少し変わっているのを見ていたので、一人きりのときに弾いているのだろうなと恵眞は想像していた。
「分かった。やってみるよ。まったく今夜はえらいことになった」
恵眞は拳をもういちど、とびきり強く握り締めた。
それから、佐伯が加わることを前提にもう一度ライブ内容を見直した。
時間が無い。あんまり夜遅いのは良くない。コンビニの駐車場を会場にするつもりだったが、車中で仮眠したい人もいるだろうし、ご近所の短気なおじいちゃんとかに、何時だと思ってるんだと怒鳴られたら台無しである。
佐伯が加わることが決まると、恵眞も話し合いに積極的になった。
「変に説明する必要はないですよね。歌えばすぐわかる」
「うん、だいたい決まったな。なんかしら不測の事態はあるだろうけど、あとはパフォーマーとしての反射神経でやりきろう。せっかくライブやるんだからさ」
四人は燃えていた。恵眞も燃えていた。
「浮かれている場合じゃないのかもしれませんけどね、ピンチをチャンスに変えてやろうじゃありませんか。それが日本人ってもんです」
キーボードをとりに、もう一度佐伯のマンションを通らなければならなかったが、狭い町なのでたいしたロスにはならなかった。
黒いミニバンはコンビニの駐車場に着いた。ここは隣が弁当屋とか居酒屋になっていて、駐車場の敷地がつながっている。
コンビニから離れた場所に車を停めて、六人は外に出た。
雪はまだ降っているがライブに支障はない。むしろいい舞台装置になる。寒いことは寒いが、三月中旬なので冬のピークは過ぎている。
「これから動き回るのだからこの位ならば平気だ」
リーダーが歩き出した。
「そうでしょうね。あなたたちはこの町でずっと暮らしてきたんだから、寒さには慣れている」
恵眞も歩き出す。
「そして、これからもここで生きていくんだ」
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