第49話 夢

 歩く先ではコンビ二の照明と街灯が彼らのためのステージを作り出してくれていた。


 途中アスファルトに大きなひびが入って、波打っている箇所があった。


 五人はそれを踏み越えて進んだが、一人だけ、佐伯がひびの前で立ち止まった。


 恵眞が振り返る。

「佐伯さん」


 彼は、両腕で、小型のキーボードを抱きかかえていた。

「悪い、やっぱりやめよう」


「え?」

 五人が振り返って、佐伯と向かいあう形になった。


「どうした佐伯、ここまできて」

「いやほんと、ごめん。でもやっぱ無理だわ」


「怖気づいたのかよ」

「佐伯さん。怖さを感じるのは分かります。二度と明けないと思っていた夜が明けようとしているのだから、光を恐れるのは当たり前です。でもあなたは太陽の下を歩いて生きてもいいんですよ」


「そうだな。いざとなれば俺はなんとかやれると思う」

「でしょ、だから行こうよ佐伯さん」


 それでも佐伯の足は動かない。

「なんだよ結局こうかよ、佐伯。もういい、四人だけでやってやる。お前はそこで突っ立ってろ」


「俺はなんとかなるさ」

 佐伯は繰り返した。


「演奏の腕はなまっていない。いいライブをきっとやれる。そしてこれがきっかけとなって、俺の身にもちょっとはいいことが起こるかもしれない。あるいはなんにも起こらないかもしれない。それはどっちでも構いやしないんだ。本当だよ。どうなっても俺は乗り越えることが必ずできる。でも」


「でも、なんだ?」

「不来方は、どうなる」


 六人が不穏な調子で話しているので、言葉は聞こえていないが、コンビ二の駐車場では何人かがこちらを見ていた。


 光はもう、すぐそこなのに。


「あいつ、死んじゃうかもしれない。医者たちの様子から、やばそうな気配を感じた。それに生き延びて、また元気になったとしても、そのときあいつに生きる気力は残っているだろうか」


「そんな、佐伯さん、ケイさんはきっと大丈夫ですよ」

「あいつは強くなんか無い!」


 恵眞の言葉に、佐伯は強い調子で返した。

 それは拒絶だった。


「あいつさっきは歌っていいなんて言っていたけど、あんなの強がりだ。不来方は、お前たちとの絆が切れてしまってから今日まで、お前たちに対する憎しみと、いつか見返してやるという反骨だけで生きてきた。お前たちの素顔を、自分の手で世に晒す日のことを想像することで、かろうじて自分をつなぎとめていたんだ。愚かだとは思うよ。でもそれが不来方っていう人間なんだ。あいつが別の生き方を見出す日が来て欲しいと願ってはいるけど、いまはまだ駄目なんだよ。なあ、頼む。不来方のために、素顔を晒すのはやめてくれ」


 『彼ら』は機材をそっと地面に置いた。


「初めにいった通り、俺たちは佐伯の了承無しに今夜のライブをやるつもりはない。でもお前はそれでいいのか」


「俺があいつの人生を変えてしまったんだ」


「佐伯さん。でももうあなたは充分に償った。どうか自分の為に生きて。それがいやだというなら、わたしの為に生きてよ。ケイさんのためじゃなく!」


 恵眞と佐伯は見つめあった。

 いま初めて出会ったかのように。


「わたしは、わたしがこれから生きていくために、みんなに拍手をもらう佐伯さんを見たいよ。ねえ佐伯さん、お願いだからわたしにあなたのキーボードを聴かせてよ」


 佐伯は何も答えず、ただゆっくりと歩き出した。そして恵眞とすれちがうときにそっと告げた。


「ごめんな、恵眞」


 そして佐伯は、夜の中へと消えていってしまった。


 残された恵眞は天を見上げて泣いた。すべて終わってしまったので泣いた。雪はもう止んでいた。


 明け方ようやく眠りについた恵眞は夢を見た。


 感傷的で、往生際の悪い夢だった。


 雪が降る夜の街。音が流れ出す。


 人々の心を覆った闇をすべて引きはがそうとする歌い手たち。


 民衆はみな振り向き彼らに気づいた。『嘘でしょ』瞳に浮かぶ驚愕の表情。


 彼らはかっこいい目くばせで、『そうだよ、俺らだよ』と答える。


 起こる歓声。それに乗って、彼らの刻むリズムは勢いを増す。取り囲む人々。包む熱気。


 その中心にいた『彼ら』の姿かたちがどういうわけか、恵眞が以前に定めた偽物の四人だったのが、あとから思い起こすと滑稽だった。



 ケイまで歌っていた。彼らと共に、弾ける笑顔で飛び回る。


 この人にこんな笑いかたされたら、ちょっと叶わないなあ。恵眞は思った。でも悔しくはない。


 五人の後ろでは佐伯がキーボードを軽快にたたきながら楽しそうに体を揺らしていた。


 群衆の最前列にいた恵眞と目があって彼は微笑み、彼女は両手をぶんぶんと振った。幸せでしょうがなかった。


 歌声は華やかに揺らぎ続け、やがて遠ざかりだした。


 涙は出そうと思えば出せたが、彼女はこらえて、それよりも目の前の光景をどうにかして少しでも長く、目に焼き付けようとした。そしてゆっくりと夢は消えていった。

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