第46話 現れた彼女、それはまるで

 恵眞たちを乗せた黒いミニバンは、元いたコンビ二の駐車場にもどった。


 ケイにはメンバーの一人が連絡を取った。メールは携帯の機種によってはまともに機能しているようだ。


 恵眞の携帯にも、会津の親からの無事を伝える返信がようやく届いた。


 それから永井亜季からも、恵眞の身を案ずるメールが来ていた。亀山シチュー姉。彼女と顔を合わせたのはあの祭りの夜だけだったが、その後もこまめに連絡を取り続けていた。


 空腹なようだったので仕方がなく、恵眞は『彼ら』にもマシュマロとクッキーを分配した。


 天下の芸能人様にしてみれば、こんな、できればあげたくないふうに食べ物を貰うことなど、近年ではまず無い体験だろう。でも、人間謙虚さを失くさないためには、そういう扱いを定期的に受けることも重要なのだ。


 遠くで時々救急車のサイレンが聞こえて、不安を余計にあおった。


 それから三十分待ったころ、不来方ケイは歩いてやってきた。


「お招きにあずかり光栄です」


 一同を見回して冷ややかに言葉を放ったあと、佐伯に「久しぶり、君が提案したことなんだってね」と、差別とも言えるほどの柔らかい笑みを送った。


 それから強張った目の恵眞に「今日は危ないものを持ち歩いていないわよ」と、いたずらっぽく笑いながら、笑い事ではないことを言った。


 恵眞は彼女の『久しぶり』という言葉にほっとした。少なくとも佐伯とケイは、ちょくちょく会うような状況にはないようだ。


 ケイは白いコートに赤いセーター、大きなイヤリングをつけて、化粧も念入りにしてあった。口紅は、恵眞が彼女を見たことのある中では一番濃く鮮やかだった。


 ミニバンに集った面々も、あたりにいる人々も、今夜はお風呂になどは入れているわけがなく、寒さをしのぐ為の機能性重視の格好をしていた。


 ケイだけがきらきらとドレスアップしていて、とても場違いに見えた。あたりの視線は少し咎めるような成分を含んでいた。しかしそれ以上に、人々は彼女に見ほれていた。


 闇に包まれた世界に、真っ白なロウソクが一本灯ったかのような美しさだった。


 恵眞は思った。ああ、わたしやっぱり、この人好きだなあ。


 これぞ不来方ケイだ。気高くて、美しくて、空気が読めなくて。


 忘れることのできない因縁をもつ人間が一堂に会したこの場所に、何もかもを振り払うかのように、彼女はベストの自分を堂々と晒した。


 メールで簡単には聞いていた話を、ケイはもういちど詳細について説明を受けた。そして一笑に付した。


「断固、反対させてもらうわよ。冗談じゃない」


 『彼ら』は彼女の言い分が理解できなかった。自分たちの提案は彼女の大願をかなえるものとして歓迎されると、どうやら本気で思っていたようだった。


「俺はそういうと思ってたよ、不来方」

 佐伯を怪訝な顔で見つめる『彼ら』。


「素顔を晒すのに、こんなふうに俺たちの主導で円満に、いい話として行われたんじゃ、不来方は面白くもなんともない」


「そこまでわかっていて、なんでわざわざわたしを呼んだのよ佐伯くん」

「やっぱ勝手に話を進めちゃえば良かったかなあ」


「そうよ」

「でももう呼んじゃったからさ、せっかくだから、話に混ざっていきなよ。もしかしたらこれが最後だ」


 それから、少し長めの沈黙が場を覆った。『彼ら』のリーダーが「で、俺らは何を話し合えばいいわけ」と言った。若干いらついているようだった。


 この状況は、元カレと元カノのスリリングな遭遇では確かにある。しかし振ったのは元カレで、それに彼はいまや妻子もちのナイスパパさんである。でもこういうときにそわそわするのはなぜか男のほうなのだ。


 遠くの空から轟音が響いてきた。恵眞があたりを見回すと、開成山球場方面の空に、瞬く赤い光がいくつも見えた。ヘリのようだ。音は少しずつ近づいてくる。並んで飛ぶ二機のヘリ。後ろにやや離れてもう一機飛んでいる。


 三機のヘリは八山田の上空を横切る。郡山市には自衛隊の駐屯地があるのでヘリが飛ぶことは珍しくないが、いつもよりも高度が低いように感じられた。機影がくっきりと見える。


「太平洋沿岸は津波でひどいみたいだから、きっとそっちに向かうのね」

 ケイは頭上の赤い光を見上げた。さらされた白い喉が艶かしい。


 彼女の肌は化粧の分を差し引いてもいつもより青白く見えた。寒さのせいだろうが、その白さのためにケイはこの世のものならざるような印象を恵眞に与えた。


「佐伯くん、あの方向にまっすぐいくとどのへんかな」

「南相馬、じゃないかな」


 ヘリは遠ざかっていった。赤い光が見えなくなっても轟音はしばらく聞こえていた。


「今夜はきっと眠れない人がたくさんいるよね。不安にさいなまれている人もいるし、仕事で徹夜になっちゃう人もいる」


 ケイはヘリが消えていった方向の空を見上げ続けていた。


「音がまだ耳の奥に残っているみたい。ねえ」

 リーダーの方にケイは向き直った。


「改めて聞くけども、君は歌いたいの?」

 まっすぐ心の奥底に問いかけるようなケイの言葉の響きに、リーダーはすぐには答えを返さない。するとケイは興味を失ったかのようにぷいっと横を向き、「子供さんは大きくなった?」とまるで別な話をふった。


「歌うべきだと俺は思う」

 ようやく彼は語り出した。


「顔が割れていない生活は気楽だったよ。佐伯のおかげで、俺たちはなにもしなくてもこの状態を維持できていた。それを失うのは正直惜しい」


 恵眞が他の人に聞こえない程度の声で、「君は気楽だったかもしれないが、わたしは刺されて、加奈子ちゃんはアパートから出られなくなったぜ」と囁いた。


「だけど今夜、人々の前で歌うべきだという義務感の方がそれに勝った」


「例えば成瀬先生ならば、今のあなたの言葉を聞いて、なんと言うかしら。君には分からないでしょうけど、わたしには分かるわ。彼はきっとこう言う。『歌は義務なんかで歌うものじゃない』とね」


 虎氏は無事だろうか。彼の住まいはここから遠い。


 それに虎氏は妻子もちだ。以下は恵眞の弁。

「その身にまとった畳の上では死ねないオーラははったりか。そんなことでいいのか、なあロッケンローラーよ?」

恵眞がその話を聞いたのは、彼女がちょっとしたケガで入院していた時、お見舞いに来てくれた虎氏本人からだった。ちなみにロッケンローラーは果物ナイフで、上手にりんごをむいてくれた。


 それは蛇足。リーダーの弁に戻る。


「それはね、ケイ。自分で言うのも口幅ったいことだけど、音楽を職業としていない人の言い分だよ」


「そうかもね。あなたたちは歌いたくないものを、売れるという理由だけで歌うことで、ここまで来たのだものね。ありがたいわ、あなたが口を開いて何かを言うたびに、自分が今まで固執してきた物事がどんなにとるに足らないものだったのかを、わたしは悟ることができる」


 ケイはそう言葉を吐き捨てると、くるりときびすを返した。


「これで気が済んだでしょ、佐伯くん。あなたはまたわたしを傷つけることに成功したわ」

 

 荒い語気。つかつかと歩き出すケイを回りにいた人々は何事かと見つめた。その中の一人に、向こうで自転車にまたがってこっちを見ている青いダウンジャケットを着た金髪の男の子がいた。


「ありゃ、宇佐美くんだ」

 恵眞が声を上げた。


 宇佐美は恵眞たちが自分を見ていることに気付き、罰が悪そうに立ち去ろうとした。恵眞はあわてて駆け寄った。


「まってよ宇佐美くん。家は大丈夫だった? ケガはない?」


 恵眞は宇佐美に会うのは久しぶりだった。あの安積国造神社の祭りの夜、彼が告げた通り、宇佐美は炭水化物同好会から一切手を引いていた。


 宇佐美は、迷いなく声を掛けてきた恵眞に対して戸惑いを見せた。


「あ、うん。平気。原口は?」

「かわいいお皿たちが天に還った」


 恵眞のおどけた口調に、宇佐美は少し笑った。


「亜季からさっきメールが届いてた」

「うん、わたしももらった。宇佐美くんはこんな時間に自転車でどこに行こうとしてたの。冒険?」


 後ろの方から、恵眞じゃあるまいしという佐伯の呟きが聞こえてきた。


「……加奈子の」

 宇佐美はためらいつつ、その名を口にした。


「え、加奈子ちゃん?」

「うん、地震の後、彼女のアパートに様子を見に行ったんだ」


「会えたの?」

「いや。アパートの鍵は開いていたんだけど、中には誰もいなかった。炊飯器に炊いてそんなに経っていない感じのご飯があったから、今日は部屋にいたはずだ。あのあたりは傾いている建物が多くてさ。加奈子のアパートもやばい状態だった。コンビニに食料の調達に行ったのかなと思って、俺ずっと待ってたんだけど、帰ってこないんだ」


「だれか友達の家に避難しているのかもね」

「そうだといいんだけど、気になって」


 ふと気付くとケイが、恵眞と宇佐美の側まで来ていた。


「こういう夜は、確かにみんながいらだっている。加奈子が一人で歩きまわっていたりしたら、あぶないわね」


 宇佐美はケイと目をあわそうとしない。彼を見つめるケイの顔に微笑みと、寂しげな影が浮かぶ。

ケイは言葉を続けた。

「それとさ。一人で歩き回っている加奈子が、一人で歩き回っているわたしと真っ暗な道でばったり会っちゃったら、そのとき一体何が起こるんだろうね」


「ケイさん、俺、実のところそれも心配しているんです」

 宇佐美は目を逸らしたままだ。


「怨み買ってるからね、わたし。でもそれは宇佐美くんも一緒でしょ?」


「でもですね、ケイさん。これは義務だと思うんです」

「君も義務という言葉を使うの?」


「この特別で最悪な夜を、何もしないで家でやり過ごしたら、俺は自分に見切りをつけなければならない。自分はいざというときに何もしない人間なんだと、自分を狭い入れ物に押し込めてしまうような気がするんです。ようするに、加奈子が心配なのは確かだけれど、比重は自分の為というほうが大きいんですよ」


 ケイは宇佐美の言葉を聞き終わると彼の肩をぽんと叩いた。

「その根性、気に入った。あいつらもさっき同じようなことをいっていたけど、君の言葉のほうがずっと気持ちいい。なので、わたしは宇佐美くんに習って行動することにする」


 そしてケイは歩き出す。恵眞は彼女を呼び止めた。そうしないと、なぜか二度と彼女の白い姿を見ることができないような気がした。


「ケイさん、まさか加奈子ちゃんを探すつもりですか。やめたほうがいいです。わたしが探しますからあなたはここにいてください」


 ケイはゆっくり振り返った。恵眞ではなく、『彼ら』に向かって。


「歌いなさい、あなたたち。さっきはごめんね。皮肉のひとつも言いたかったのよ」


 彼女の言葉は、いつのまにかまた降り出した雪と共に、夜の町へと降り注いだ。


「わたしはあなたたちの曲を聞いている間だけ、この世はすばらしい場所だと思うことが出来る。人を信じることができる。浅いだの、キレイごとだのいうやつは蹴っ飛ばしちゃえ。汚い泥水に肩まで浸かって涙を流したことがあるのに、それでもキレイごとを叫び続けるあなたたちは本物よ。わたしが認める。真っ正直で、あけっぴろげで、雲ひとつない青空みたいで。わたし、あなたたちの歌が大好きよ!」


 『彼ら』をいとおしげに眺めたケイは、ゆっくりと視線を傍らの恵眞に移した。


「とうとう言っちゃった。恵眞、あなたのせいだからね」


 彼女は真っ暗な道の向こうに消えていった。呆然としていた恵眞はケイに言葉をかけることができなかった。

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