第20話 不来方ケイと仲間たち

 その日、炭水化物同好会部室では会合が開かれた。


 参加したのは不来方ケイと宇佐美のほかに四人。皆が集まってから最後にケイが部室に入ったとき、彼女は違和感というか、空気のにごりを感じ取った。

 (そりゃそうよね)


 集まった面々の中に前田加奈子の姿はない。そして彼女がいない理由をここにいる全員が仔細まで知っていた。


 ケイがこのサークルを立ち上げてからの数年間。自分の目的の為に他人を利用することは何度もあったが、今回のように、身内を切り捨てるようなことはなかった。


 面々が次は自分だと思うのも当たり前だった。

 ケイは思った。

 (大丈夫なのにな。この人たちは随分と自分たちの価値を高いものと考えているみたいだけど、使い道のないものを無理くり使うほど、わたしは創意工夫ができる人間ではないのよ)


「これで全員ですね。さっそく始めますか」

 宇佐美が事務的な口調とともに皆を見回した。

 

 将棋の駒に例えるならば宇佐美は銀ほどの位だろうか。CDショップの店員が飛車か。人間的な魅力はともかく、躊躇なく人を傷つけることができるという意味で、CDショップの店員には価値があった。


 加奈子は桂馬だった。使いどころが難しかったが、ここぞというときに鋭い効果をもたらすことができた。素直で、繊細で、深く考え込むところがあって。ケイが手を下さなくとも、いずれ誰かによって彼女は傷つけられることになっただろう。


 ほかは歩である。歩ですらないかもしれない。


 ケイが立ち上げた彼女の居場所。炭水化物同好会。


 彼女は時折思う。それはまるで、『のび太の会社』のようなものだ。


 もしドラえもんが来てくれなかった場合の未来。ダメダメな人生をひた走るのび太。どこにも就職できなかった彼は、仕方がないので自分で会社を立ち上げた。


 あれは何をする会社だったのだろう。自分で起業できるくらいの行動力があるのなら、どこかしらには潜り込めそうなものと人は思うかもしれない。


 でもそうとは限らないのだ。この不来方ケイを見るがいい。


 のび太の会社は短命に終わった。社長ののび太が花火で遊んでいたら、会社が火事になって全焼してしまったのだ。そして倒産。


 業績がどうだったかは分からない。屋内で花火をしていた理由も分からない。


 宇佐美が一通りの説明を終えた後で、ケイはハリのある声で宣言した。

「目的は、ラジオの生放送の最中に『彼ら』の姿を晒すこと。どうみてもラジオをやっている本人たちだろうというシチュエーションのところをカメラに収めて、あっ、と言う顔をさせればわたしたちの勝ち。後は世の中が勝手に裁定をして、尾ひれをつけてくれる」


 部員たちの反応は薄い。ボールを投げたのに相手はグローブを出してもくれず、ボールはあっちのほうへ空しく転がっていってしまった。はっきりと侮蔑の意思を表に晒しているものもいる。


 構いやしない。代わりなどいくらでもいる。足りなくなれば、どうとでも調達できる。


「亀山シチューのほうは、手伝わなくていいんですかね」

 メガネの女性部長が右手を僅かにあげて聞いてきた。毒にも薬にもならない部品人間。事務処理は少し得意。


「ああ、そっちはね。わたしと宇佐美くんで順調に話を進めているから」


 会合が終了すると部員たちがさっさと部屋を去り、ケイと宇佐美だけが残った。


「宇佐美くん、コーヒー飲もっか」

 ケイは立ち上がって、食器棚に向かって歩を進めた。


「名誉会長様にコーヒーを淹れていただけるとは光栄ですね。ああでも、いつもやってくれてた人間がいないからそれも仕方がないか」


 涼やかな顔立ちにはひとつのよどみも感じられない。


「君もなかなか謎めいたところがあるよね」

「そうですか?」


 宇佐美が愛用している青い陶器のカップにコーヒーを注いで彼の前に置いた。


「罪悪感なんてものについて、論じる立場にわたしはないのだけどね」

 ケイは窓の外の秋空を眺めた。階下に目をやれば、炭水化物同好会の面々が連れ立って歩いていた。これからどこかで一緒にお茶でもするのかもしれない。ケイはまったく誘われてはいないが。


 彼女はもう一度空を見た。つまらないものを見てしまった双眸を清めるかのように。


 雲がゆっくりと漂っていた。良い天気だ。このような暖かい日差しは、冬の訪れまでにあと何度この町を照らすことだろうか。


 ケイは自分のコーヒーにスティック二本分の砂糖とクリームを流し込み、スプーンでかき混ぜた。混ぜながら、宇佐美の方をちらりと見た。


 彼はパソコンの画面を見ながら、ブラックコーヒーをすする。


 ケイとしては冗談でやっているつもりはないけれど、これだけ強力な甘党ぶりを発露しているのだから、多少のコメントをもらえると場が和むというもの。


 宇佐美にそれを望むことは無いものねだりともいえたし、彼があんまり適切で軽妙な会話を操るようになってしまったら、クールな彼の魅力を損なってしまうようにも思われた。


 ケイが宇佐美に望んでいることは信頼でも安らぎでもない。だが真意がつかめない人間がそばにいることは、彼女の心を不安にさせることがある。


 宇佐美は自分に好意を抱いているのだと思っていた。あの加奈子もそう思っていたはずだ。


 しかし、一言では説明できないようなそれ以外の何かを時折感じるのだ。


 ためしに夜をともにしてもみたけれど、それは変わることがなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る