第4章 夕日

第19話 不思議なブログ

 亀山シチュー、というブログがあった。


 その存在を初めに見つけたのは恵眞だ。名前で推測できる通り四国は土佐(高知県)に住む人が書いているブログだった。


「え、どうして高知だと思うのですか?」


 剣舞委員会という伝統を受け継ぐ組織に属していたくせに歴史が苦手な恵眞が佐伯にたずねた。


「説明しろって? こういうのって真顔で解説しちゃうと台無しだと思うんだけど」

「それは分かるけど、知らないものは知らないもん」


「亀山社中のもじりでしょ、これ」

「なるほど。で、亀山社中とは?」


「坂本龍馬が作った、日本で最初の商社。三菱財閥のご先祖様とも言える」

「なるほど。で、坂本龍馬とは?」

「嘘だろ?」

「嘘です」


 佐伯は恵眞の両こめかみに、拳でぐりぐりと攻撃を加えた。

 恵眞はその状態に耐えながら不敵な笑みを浮かべた。

「いや、笑うな」

「ふ」

「笑うなっつうの」


 九月の雨が、窓の外では降り続けていた。


「龍馬好きなら今年は盛り上がっているんだろうな。ああほら、それ系の記事が多い」

 パソコン上の文章をマウスで辿っていく佐伯に、恵眞がぴとっとくっついて画面を一緒に見た。


 昨日の夜は佐伯のマンションに泊まった。二人で朝ごはんを食べ終わったばかりだ。佐伯はパン派で、恵眞はご飯派。協議の末に替わりばんことなり、今朝はパンにスクランブルエッグだった。


 二人が亀山シチューに注目したのは、恵眞の好きなシチューをその名に冠していたのも理由のひとつだが、内容と動向が、郡山で密やかに生活をしている『彼ら』の活動の行方を左右しかねないと判ずることのできるものだったからである。


 ブログ作成者のプロフィールはほとんど情報がない。男か女かすらわからない。高知に住んでいるのは確かなのだが。


「女性だろ、多分」

 と佐伯が言った。


「男性だと思います。多分」

 と恵眞が言った。


 ブログ記事の内容は多岐に渡っていた。


 料理が好きで、新開発したメニューの詳細な感想と写真があった。歴史も好きでよく観光に出かけている。そして音楽好きだ。


 ロックフェスに行ったかと思えば、市民オペラを観劇することある。あのCDの積まれた薄暗い部屋に生息するすだれた彼とも互角に会話できるほどの知識を、あるいは有しているように思われた。


 そんな彼(彼女?)の幅広い音楽ライフの中心軸に座っている一番好きなアーティストとしてプロフィールに記されているのが『彼ら』なのだ。


 恵眞は納得できなかった。彼女も『彼ら』の音楽に触れることが以前よりは増えたが、亀山シチューが語るような深遠さは感じ取れずにいた。


 万人に受け入れられるような詩と曲調の向こう側に、誰にも理解されない闇を亀山シチューは感じ取っていた。


「この人の文章はすごい読ませるものだけど、でもこれを言い出したら、なんにでも当てはまると思うのよ。天才バカボンに哀しみを見出すこともできるだろうし、あしたのジョーを笑い飛ばすこともできる」

「なるほど」


 亀山シチューは二日前に旅に出た。


 移動手段はバイクである。本州に渡る際フェリーを使った以外は全て一般道を走り続け、行く先々の歴史的名所や温泉に寄り道をしながら、ゆっくりと北上していた。


 亀山シチューにとって過去最大級の長旅となる行程の最終目的地が、佐伯たちの住む福島県郡山市である。


「過去の記事を辿ると何度か出てきている。いつかは聖地郡山に行きたいって」

「ほんとに好きなんですね。『彼ら』が」


 『彼ら』の足跡を訪ねるファンは多い。O歯科大学。ライブハウス。持ち込みでCDを置いてもらったCDショップ(現在は閉店してしまったので、その跡地)。


 このタイミングで亀山シチューが郡山来訪を決意した理由は、自らがブログの中で述べていた。


『会えるとは思っていない。むしろそれが叶わぬことが自分の望みなのかもしれない。ただ、彼らが歴史をまたひとつ築くその瞬間、同じ場所に存在したいのだ』


 来週、郡山駅前で安積国造神社のお祭りがある。山車が繰り出され、縁日が開かれる。駅前は一年の中でも最大級の賑わいをみせる。


 祭りは三日間に渡って行われる。そしてその最終日にいくつか行われるイベントの中のひとつとして、『彼ら』が生ラジオ番組を行うことが予定されていた。


 ラジオと言ってもミニ放送局程度の規模のものだ。駅前の半径数キロの範囲でしか聞くことが出来ない。


 歴史的とまで亀山シチューが評する理由はここからだ。


 当日、『彼ら』の新曲が発売される。


 駅前のショップで限定盤のCDを買うとパスワードが書かれた紙が渡される。


 そのパスワードを使って入場、書き込みができる特設ブログに、ファンたちは自分の電話番号と『彼ら』への質問を記入することになる。


 そしてラジオ番組の中で、『彼ら』はその中の誰かに生電話をかけてくるのだ。


「佐伯さんとしては、やめてほしいんでしょ? こんな危ないまねは」

「そりゃそうだけど、新曲プロモーションの戦略に俺が口出しできない」


 生放送で素人と会話なんかしたら、どこでどんなボロが出ても不思議はない。それに放送をするためには、この日『彼ら』は駅前のどこかに存在することになる。


 普段の生活を八山田で送っていることは暗黙の了解事項だが、ミュージシャンとしての仕事を行う際に、駅前という広めの範囲ではあっても、居場所が特定できるということは初めてだった。


 郡山の駅前は、『彼ら』に関するモニュメントがたくさんあるのでイベントにふさわしい場所ではある。石膏で固めた手型。それから足型。


 足型は石畳の上に歩いているかのように交互に置かれ、その先にはドアが置かれている。まるでどこでもドアのようなそれは、いわく未来への扉なのだそうだ。


「そういうセンスに感動してしまえるほうが、幸せな人生を送れるのだろうか」

「恵眞がこのタイミングで、亀山シチューを発見したのはミラクルと言えるだろうな」


「わたしが奇跡を求めたのではありません。奇跡がわたしを愛しているゆえのことなのです」


 『彼ら』についての記事が多いブログは、常々チェックをしていた。


 記事中に出てくるキーワードを元に検索できるから、取りこぼすことは考えにくかった。


 だから、亀山シチューの記事を読んだ時どうしてこのブログが今まで見つけることが出来なかったのか恵眞には不思議だった。内容から言って『彼ら』をキーワードで検索すれば、十番以内には必ず引っかかりそうなレベルだった。


 今回見つけることができたのは、恵眞がシチューについて検索した際のたまたまだ。


 つまり、ここには何か正常ではない細工が潜んでいるということになる。『彼ら』を守るために日々検索している誰かさんに見つからないための細工。


 亀山シチューは当日の様子を、ネット上の動画で生放送するつもりでいた。

「すごい時代になったものですね。たいした知識のない素人でも、生放送ができるだなんて」


 そして亀山シチューはその件について、注意すべき点や、どこに位置どればよい映像を撮れるか、郡山在住の詳しそうな人と少し前から相談をしていた。相談相手のハンドルネームは『k―r』といった。

「あ、ケイさんだ」

「書いている内容からしても、間違いないだろうな」


 いまのところ、郡山の美味しいラーメン屋とか、当たり障りのない話題が多かった。

「k―rの知り合いって形で、CDショップ店員が途中から登場していますね」

「うん、そうだね。あいつだ」


「亀山シチューを利用するつもりなんでしょうね。どんな方法をここから先使ってくると思いますか」

 そしてこちらはどう対処すべきか。


「俺たちもこのブログの人にコンタクトをとりたいが、慎重に行かないとな」

「ハンドルネームは、PENにしようかな」

「そんなことしたら一瞬でこっちの身元ばれるだろ。遅かれ早かれだろうけど」


 恵眞は「コーヒー飲みますか?」といって立ち上がった。佐伯が頷くと、彼女は佐伯のほほにチュッとキスをして、台所の方に向かった。


 自分で豆をひいて、ポットでお湯を入れる作業をきわめんと、近頃の彼女は練習を積んでいた。


 良き甘いものには良き苦いものが必要なのだ。

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