第17話 恵眞の思い出
恵眞はこれから登るいびつな石の階段を見上げた。
両脇に並ぶお土産やにはたくさんの品物。彼女は自慢のカメラを肩に下げて歩きだす。
九月の飯盛山は、まだ紅葉には早かった。
今日は、恵眞が高校のときに所属していた剣舞委員会、彼らの秋の納舞がここで行われる。
去年まで、恵眞は見られる側の人間だった。写真は電気部のあの人が撮ってくれていた。
階段を一歩一歩登る。脇には観光客用のエスカレーターがあるのだが、恵眞はそれを使ったことがない。
恵眞と電気部のオタクくんとの仲を取り持ったのはチョコレートパンだった。
恵眞の高校ではなぜか電気部がパンの販売を行っていた。
購買部=電気部の部室になっていて、普段はカーテンに厚く閉ざされた謎の空間だが、昼休みになると廊下に面した大きな横長の窓が開かれてパンやジュースを販売するのだ。
電気部が担当するのは昼休みのみで、そのほかの時間帯の文房具や校章の販売は、事務のひとが行う。
教師に高校のOBがいたので聞いてみたが、その人が学生のころから同じ仕組みだったらしい。
その当時は男子高だったが、世の流れで現在は共学となっている。
でも電気部員はいまだ男子だけだ。彼らはカーテンの奥深くに閉じこもっているが為に、時代がかわったことを知らなかったのだろうか。
誰かが呼びかける必要があった。もう戦争は終わったのだと。
チョコレート生地の中にたっぷりの生クリームがはいったパンは女子の人気商品だった。
マヨネーズパンとかほかに色々種類があったが、チョコレートパンが一番先に売切れてしまう。
高二のころ、恵眞の教室は購買から一番遠い位置にあったため、終業のチャイムと同時に飛び出してもついたときにはすでに人だかりが出来ていて、お目当てのチョコレートパンを買える確率は、五分にも満たなかった。
ある日。またもチョコレートパンの入手に失敗した恵眞は仕方なくチーズパンと、それから飲み物を買った。
電気部の部員たちは、女子のほうから話しかけやすい雰囲気、もしくは話してみたいと思わせる雰囲気が決定的に欠如した人種だったが、一人だけそうでもない男の子がいた。
ひょろっと背の高い、痩せてて色白。度が強烈なめがねの奥の目は、冬眠明けのハムスターを思い起こさせたが、不思議なやさしい光を帯びていた。
何の気なしに恵眞が声をかけた。
「また買い損ねちゃったよ」
「今日は惜しかったですよ。チョコレートパンでしょ」
それが始まりだった。
四時限目の終わりを告げる鐘。クラスメートたちは各々が動き出す。昼食を食べる場所は、教室だったり、部室だったりする。購買部のパンを買うものたちはみな小走りで教室を飛び出していく。しかし恵眞は悠然としたものである。
購買部の売り場は今日も盛況だ。恵眞は人混みを横目で見ながら、横のドアから中に入る。
「来たよう、岩瀬くん」
「どうしてそんなこそこそしてんの」
「ちょっと悪い気がしてさ」
一年生の岩瀬は、あらかじめキープしておいたチョコレートパンをさしだす。
恵眞はお金を払ってパンを受け取ると、部室の奥の椅子に座り、机に自分の弁当箱を広げた。
ハンバーグにポテトサラダ、ミニトマトとほうれんそうのおひたし。正規の弁当はこうしてちゃんとあるのだ。しかし恵眞は食べ盛りの高校生のなかでも標準を上回る食欲の持ち主だった。弁当だけでは足りず、デザートとして好んで食したのがチョコレートパンなのだ。
岩瀬と顔見知りになったことで確実にパンを買えるようになった恵眞は、用が済めばさっさと教室に戻るというのも気が引けて、そのまま昼食を購買部内で取るようになった。
女子で室内の様子を実際に目にしたのは恵眞くらいだったろう。
パソコン絡みの書籍が大量にある。そしてそれと同じくらいの量のマンガやゲーム、アニメのDVD。
不気味と評されてしまうことも度々ある彼ら。カーテンに包むのは正解なのだろう。
昼休みの前半で品物の大半は売りつくし、お客はほとんど来なくなる。忙しく働いていた電気部員たちはこの時点で自分たちの食事を始める。恵眞は彼らの輪の一端を占める形となった。隣には岩瀬が座っている。
「本増えたねえ、また」
「この前貸したマンガはどう?」
「面白い。でもねえ、内容はしっかりしてんのに、あの絵柄で損してない?」
「あれで絵柄が真面目だったら売れないよ。当たり前すぎるもん」
「そういうものなんだ」
他の電気部員たちは会話に加わらず、時折頷くのみ。たまに話に割り込んでくるときは、とても変な間合いで介入してくるのでちょっと戸惑う。
でも居心地は悪くなかった。
食事が終わると、残った時間はパソコンで対戦ゲーム。恵眞も岩瀬に教えてもらいつつ遊んだ。ほかの部員はゲーム中も無表情だったが、彼らが操作するキャラクターたちはいきいきと動き回り、したたかで機知に富み、英雄的だった。
恵眞が電気部に通うようになり、級友たちは心配した。
今までは剣舞委員会の仲間たちと行動を共にすることがほとんどだった。彼らはそんなに派手ではなくとも、伝統ある役目を守り続ける、学園の表舞台を歩くものたちである。そこに属する恵眞が昼休みだけとはいえ、アンダーグラウンド・オブ・アンダーグラウンドの道に堕ちつつあることを見逃すわけにいかなかった。
でも、遅かったのだろう。心配の声をかけられた恵眞は彼らに悪気がないことは分かっていても、少なからず腹がたった。電気部の無愛想な面々に愛着が沸き始めていたのだ。
なかでもお気に入りは岩瀬だった。
部室で、二人だけでゲームをして遊ぶことが増えてきた。
「このゲームの続編って、もう出てるんだっけ?」
「あさってだよ」
「ふうん。買いに行くんでしょ」
「まあね」
「わたしもついていっていいかな」
「え、いいけど、なんで?」
「なんでっていうな」
二人で出かけることもすぐに自然になった。
周囲の人間はどこがいいのかと聞いてきたが、恵眞は気に留めなかった。つきあいたいなあと思うようになった。
遊びに行く時も大半は恵眞のほうから誘っていたので、告白を女の子のほうからすることに抵抗はなかった。でも岩瀬のほうから言ってくれたときは意外なだけに嬉しかった。
「恵眞、大分腕を上げたよね」
いつものように部室にて二人でゲーム中のこと。
「もう君が上から目線でそんな口を叩ける時期は過ぎたのだよ、岩瀬くん」
「そ、じゃあさ。ちゃんと勝負してよ。俺が勝ったらつきあって」
恵眞はコントローラーを落っことしそうになった。
「岩瀬くん、……本気?」
「うん。俺恵眞のこと大好きだからさ」
岩瀬の物言いはこともなげだったが、それは表面上だけだった。死ぬ思いで絞り出した言葉だったのだ。
その証拠に、言葉を発したことで力を出し尽くした彼に戦う力は残っていなかった。岩瀬は動揺しまくっていて、ゲーム勝負は恵眞の圧勝だった。
ゲームが終わると画面を見つめたまま、二人とも無言になった。
画面上ではカメの化物が陽気に浮かれていた。
「わたしの勝ちだね」
「うん、そうだね」
「岩瀬くん」
「ん?」
「好き」
おおおおお。
高校のときの甘酸っぱい記憶を思い出してしまった恵眞は、飯盛山の階段を駆け上って叫びそうになった。
「思ったよりも恥ずかしい」
でも楽しかったな、と彼女は思う。思い出はこれからの人生できっと何度か彼女を暖めてくれるのだろう。
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