第44話 八山田をさまよう恵眞

 恵眞は、とりあえず買ったものをアパートに持ち帰ることにした。コンビニの裏手の駐車場を通りかかったとき、彼女はおどろいた。


 アスファルトが陥没している。


 直径一メートルほどの大穴。周辺は、ひびが入っているもののそこまでのダメージではない。工事の過程でできた、特別弱い箇所がこうなってしまったのだろう。


 そのとき突然あたりの電線がばさばさと音を立てて揺れ出した。


「また来たぞ、おい!」

 誰かが叫ぶ。


 地震。これも大きい。とても大きい。恵眞はコンビ二の建物から離れようと、よたよたとした足取りで歩いた。周りの電柱が倒れてこないか見回した。もし恵眞の立っている場所が突然陥没したらどうしようかと心配になったが、程なく揺れは収まり、恵眞は無傷で済んだ。


「いまのもでかかったですねえ」

 恵眞は隣でしゃがんでいた女性に声をかけた。恵眞より10歳ほど年上だろうか。


「最初の大きな揺れは、郡山が震度6だったみたいですよ」

「え、そうなんですか」


「宮城が震度7だって」

「なんと」


 その女性は買い物袋を持っていなかった。コンビ二で食料を買いそびれてしまったらしい。


 うむ、声を掛けてしまったからには仕方がない。


 恵眞は野菜ジュースを一本とチョコレートをその女性にあげた。

「助かります。ありがとう」


 女性に手を振って恵眞はアパートに戻る。すれ違う人が、郡山市内のどこかの保育園で火災が発生したらしいと話していた。


 しかし、あれが震度6というものか。噂にたがわぬえげつない揺れだった。

 

 宮城は震度7だという。もしかしてこれは、『大震災』というやつなのではなかろうかと、恵眞は思った。


 雪はさっきから降ったり止んだりを繰り返している。


 信号の消えた交差点では、警察官が手信号で交通整理を始めていた。


 少しずつ日は傾き始めて、気温が下がってきたのがわかる。


 市の車がスピーカーで近所の小学校が避難場所となっていることを告げていた。


 電気さえ復旧してくれれば、一人ものの恵眞はアパートに待機してやり過ごせると思う。町内を一周して帰った。


 佐伯の部屋に行きたい気持ちもあったが、彼はまだ勤務中のはずだった。


 知り合いの学生数人にあった。


 海側の町には津波が来ているらしいとその一人に聞いた。すごいみたいだとは言われたが、映像を見ていない恵眞にはイメージが沸きづらかった。


 通り道で、何件か明かりがついている家を見つけた。どうやら停電から復旧したらしい。アパートに帰りついたらまずはテレビで情報を集めよう。


 しかし、恵眞のアパートの電気はつかなかった。


「あれ、何でよ」

 もう一度外に出てみる。同じアパートの住民の方がいたので聞いてみたが、その人の部屋もまだ電気がつかないそうだ。


 どうやら電気は八山田の街中でいっぺんにではなく、ブロックごとに順次復旧している最中らしい。


 アパートの部屋はだいぶ気温が下がってきた。それにもう暗い。散乱した部屋のなかを注意深く歩き、ベッドに寝転がった。


 毛布をかぶっても少し寒い。このまま今日一晩を過ごさなければならないのだろうか。携帯はまだ通じない。実家からメールの返事もない。ほんとに届いているのだろうか。宮城が震度7で、郡山が震度6ということは、会津若松はどのくらいだったのだろう。


「あ、まずい」

 携帯のバッテリー残量が二十パーセントを切っていた。


「充電しておかなくちゃ。……ああそうか、馬鹿だわたし」

 真っ暗闇の中で毛布をかぶっているこの状況で、どうして携帯の充電だけは出来るはずがあるのか。


 またゆれが来た。前の二発に比べれば弱いが充分大きい。


 恵眞は佐伯に会いたかった。こんな風に一人ぼっちでいるのは耐えられない。でも佐伯の近況を恵眞はしらない。もし恵眞が勇気を出して佐伯のマンションに向かったとして、そこにケイがいたとしたらどうする。


 もう自分は佐伯を訪ねる権利を失っているのではないか。


 寒さと暗さと、地震の恐怖と、その他諸々の要因のせいで、恵眞はとてもやわになっていた。


 買ってきたお菓子をすこしかじったが、この状況ではカロリーを摂取しても、どこか一方からそれ以上の何かがもれ続けているようで、彼女は自分がどんどん元気を失っていくのがわかった。


「ダメだ」

 恵眞はお気に入りの麻のバックにお菓子と飲み物を詰め込んで、それからカメラを首からぶら下げた。


「一生に一度の大事件じゃないの。この目で見ておくのだ」

 彼女は自分に喝を入れて、駆け出した。


 アパートの周辺は暗かった。人の気配もない。道路を一本わたった向こうのブロックは明かりがついているようだったので、そちらに向かう。


 八山田内の店はほとんどが臨時閉店になっていた。前にケイたちと争ったファミレスもやっていない。明るいネオンの温泉施設も閉まっていた。


 営業しているコンビニを見つけたので、明るい店内に喜んで飛び込んだ。まさに砂漠でオアシス。


 店内は込んでいたが、さっき恵眞が買い物をしたコンビ二ほどではなかった。


 棚はほとんど空っぽになっていた。食料はもちろん、ごみ袋や洗剤といった生活雑貨類もあらかた買い占められていた。できれば食べ物をもう少し買い足したかったのだがこれではしょうがない。


 でも恵眞は例外を発見した。


 栄養剤の隣の棚。そこはホワイトデーのお返し用のお菓子が置かれていた。マシュマロやクッキー。


(みんな、これには手をつけないんだ)

 これもまた、この町の人々の不思議な仁義だったのだろうか。これは食料ではない、贈り物だ、という。


 恵眞は、それについては賛同しなかった。バレンタインデーに佐伯にチョコを渡すことができなかったので、ホワイトデーの広告などを目にするたびに、彼女はイラついていたのだ。なので、「なにがホワイトデーだ、こんにゃろめ。食ってやる」


 恵眞はそれらを数点没収した。


 それから店内で雑誌の立ち読みをして時間をつぶした。


 コンビ二の駐車場には車がたくさん止まっていた。エンジンをかけたままにして、車内で暖を取っている人が多い。


 たぶん恵眞と同じように、いまだ家の電気がつかないのだろう。明るくて人の多い場所にいないと不安なのだ。


 また地震。店内にぶら下げられた看板が揺れる。震度は3か4といったところだろう。


 ここで夜を明かすほうがいいかも知れない。大きな地震がまた来ないとも限らなかったし、恵眞のアパートの近辺の街灯のつかない真っ暗な町並みは、何がおこっても不思議はないという不安を感じさせた。


 雑誌を数冊読み終えた頃だった。店内に入ってきたお客の顔を見て、恵眞は思わず声を上げそうになった。


 知っている顔である。四人組。でも恵眞以外のお客は誰も『彼ら』に気を留めない。


 ひさびさに会った『彼ら』。八山田の生ける伝説。


 恵眞が半年前にケガで入院した時は、マネージャーがお見舞いにきたが、本人たちからは何の音沙汰もなかった。だから不満が少し無いでもなかったが、今はそれよりも、このような非常事態のなかで知っている顔を見つけた安堵の方が勝った。


 ただの知人として声をかける分には、なんら問題はない。


 恵眞が『彼ら』に近づこうとしたとき、四人の後ろからもう一人、黒いコートの男性が入ってきた。客観的に見ても、その男性が一番格好良くチャーミングだ。


 佐伯だった。


「あ……」

「恵眞じゃないか。良かった無事だったんだね。俺、君のアパートまでいったんだよ」


 とまどう恵眞に対して、彼はなんの躊躇もなく明るく声を掛けてきた


 ただでさえ細身の彼がまた少し痩せたようだった。


 久しぶりに佐伯の優しげな目に見つめられて、恵眞はどうにか自分を支えている背中のつっかえ棒が急に外れてしまったような気がした。でもここで涙してしまっては、あまりにも重い女過ぎるので、何とかこらえた。


「無事じゃないよー。お皿がみんな割れちゃった」

「俺もだ。あれを片付けんのは大変だよ。でも会えてよかった。恵眞、これから緊急会議だよ」

「へ?」

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