第55話 石炭商会、推参 前



 サン・ガッロの森。

 雨が降るキノコの群生地にフードが二人、立っていた。


「待たせたか?」 


 ヴァンダーが声をかけると、大きいほうが振り返った。突然、雨を吸ったフードを脱ぎ払い、突進してくる。


 二メートル近い。さいの角兜に鎖帷子。繰り出される鋼の八角棒が雨の中で渦を巻きながら、ヴァンダーに突き迫る。


 この雨で、薄暗い森の中だ。

 挨拶代わりに攻撃しておこうは、間違いじゃない


 一撃必殺の突打はしかし、ヴァンダーの体をすり抜けた。

 相手があっと思った時には、足を刈っている。つんのめった懐に潜りこみ、背中で押し上げて、一回転。犀の角をもつ兜が地面に転がった。


 雨降りしきる泥の中へ背から落とすのも忍びないので、鎖帷子の腰帯を掴んで引き戻し、足を裏に着地させて、尻餅をつかせてやる。ロンバルディア王国では珍しい赤毛の頭頂部が目に飛びこんできた。


「良い突きだった。犀の角ライノセラスなだけなことはあったぞ」


「ぐっ」


「心配するな、とりあえず敵じゃない。魔王と話がしたくてな」


「話? 衛兵じゃねえのか」


 女アルプが振り返ると、円らな瞳をぱちくりさせた。


「クレモナから来た。聖ジュリア女子修道院で話を聞いて、魔王がいまだにサトウミキにご執心だと直感してここだとわかった」


「ケースケっ、こいつ、なんか知っとるで!」


 犀角が振り返るので目で追うと、もう一人のフードが近づいてくる。


「魔王、ニーヌマケースケか?」


「ええ。こちらも敵意はありません。先に仕掛けたことは僕から謝罪します」


 知的で、落ち着いたやわらかい男声だった。年齢は二十代後半か。


「驚いたな。設計図を描いた魔王と、それを盗んだ者が結託していたとはな」


 ヴァンダーが腰帯から手をはなしてやる。


「彼女とは最初から共同制作者なんです」

「最初から? たしか、設備を借りていたという?」


「ええ。僕は製造系スキルという特性から、大量に物を作る必要がありました。彼女は去年まで石炭商会の構成員でもありました。だから架空人物にしておいたほうが、あの時は、〝双方〟に話が通りやすかったので」


「そのようだな。この雨の中で立ち話もなんだ。どこか場を移さないか」


「わかりました。この先のレッツァートの町に部屋を借りてますので」


「いや、部屋よりも……そうだな、その近くに修道院を見かけなかったか」


「修道院? えっと……サン・ピエトロ・アポストロ修道院だったかな」


「よし、そこへ三時間後としよう」


「え。なんで三時間も?」


 ヴァンダーは耳許で手首を回して、撤収の合図をだす。


「こちらの腹拵えがある。それと――」

 ヴァンダーは肩ごしに振り返って、フード下から口許に意地の悪い笑みを浮かべた。

「女性の外出というのは、とかく支度がかかるものだからな」


    §


 一時間後。雨がやんだ。

 ブレシアの夏は、天候が変わりやすい。


「これは、院長。お珍しい。馬車でお出かけですか」


 城門兵から声をかけられて、ファーマス院長は御者台から華やいだ笑顔で応じた。


「ええ。レッツァートまで。むこうで婚礼が重なったので応援に」


「そうですか。お気をつけて」


 大した会話もなく、馬車は城門から東へ鼻を向けた。

 馬車の幌では、銃器を抱えた修道女二八名が詰めていた。聖ジュリア修道女全員である。


「ニルダ姉。あのヴァンダーって兄さんが院を出てから、展開が早すぎやしねぇか?」


 助手席で黒チョーカーに触れてベレッタが懐疑を口にする。四度目だ。


 ヴァンダーの使いというホブゴブリンが、ニーヌマケースケの居場所を告げてきた。


 サン・ピエトロ・アポストロ修道院はレッツァートの町外れで、会派も別だが司教とはブレシア行政の懇親会で二度ほど面識があった。


「だから、魔神器も持っていくのですよ。ソレッラ・ベレッタ」


「そうだけどよぉ……」


「あの男はケースケから何か聞き出したい様子。あの子の口を滑らかにするための私たちなのだとしたら、まんまと罠に掛けられたのでしょうね」


「声は、悪企みしてるようには思えなかったけどな」 


「そう、でもあの男に似顔絵を見せたところで、声が変わったでしょ?」

「それは確かに」


「あれはまずかったかも。彼の顔色もはっきり変っていたから。でもいいじゃないの。私たちをこのまま騙すというのなら、報いを受けてもらうだけよ」


    §


 一時間三十分後。

 聖ジュリア女子修道院・礼拝堂。


 ドアをそっと開けると、伽藍堂であった。


 整然と並ぶはずのベンチが両壁に押しやられてドアを塞ぎ、教壇の前にも教壇を塞ぐようにして置かれていた。そこに銀髪の男が聖母像を背にし、剣を杖にして座っている。


 表の門扉に【設計図に御用がある方は礼拝堂へ】という貼り紙も、この男によるものだろう。


 罠だとわかりつつも、主力として五名を割いた。他は三名ずつ三組つくって外を見張らせた。


「おどれは、誰じゃ?」


「それはこちらのセリフじゃないか? 手斧を構えて、こっそり入ってきて」


「尼どもはどうした……」


「お前たちがずっと欲しがっていたのはコレだろ」


 羊皮紙の巻き紙を掲げて振ってみせる。それを後ろへ、ぽい。巻き紙は聖母像の膝にあたって床に落ちた。


 ベンチが城壁となり、銀髪の男が門番となり、不敵に笑みを浮かべている。


「さあ、どうした。獲れよ。あんなつまらん図形のために、お前たちの同胞はこの修道院に屍を山と積んだそうじゃないか。無駄な血が流れたとは思わんか」


「ワシらに説教たれるな、白髪頭」賊は手斧を構えた。「それ持って戻りゃあ、金が手に入るんじゃ。そんで酒を飲んで女抱いて、また次の仕事をする。そんだけじゃ」


「そうか。だったら獲りに来いよ。もちろん、お前らには食後の腹ごなしになってもらうがな」


 剣の鞘尻で床を突くと、彼らの背後でドアが閉まった。


「くそ、開きゃあせん! 罠じゃったんかっ」


おたえんなっ。白髪頭さえぶっ殺したら、すぐこぉが。お前ら、何が何でも図面を獲って帰るで。ええなっ。やれぇ!」


 鹿の角族たちは一斉に襲いかかった。 



「バジル、こっちは片付いたぞ」

「こっちも制圧オッケーだよ」

「おっ、けー」


 リーダーの返事がない。オレガノたち三人が北側に廻ってみると、三つの死体とともにバジルが腹を抱えて倒れていた。


「バジルっ!?」


 オレガノが急いで抱き起こすと、キャベツ臭いゲップを吐かれた。


「たらふく食べて急に、動いたから……横っ腹めっちゃ痛いっす」


 さっと馬鹿を手放すと、オレガノたちはリーダーの腹を踏んで礼拝堂にむかった。


「お前ら、昼の豚のスペアリブコンスティーネが戻ってきたらどうするんっすか!」


「いくら旦那の奢りだからって、三人前も食うからだ。もうずっとそこで腹抱えてろ。あほたれ!」


   §


 二時間後。

 ヴァンダーは、捕まえた五人の不法侵入者を連れて、石炭商会へ乗りこんだ。


「おどりゃあ、何用じゃあ――ほぎゃ!」


 屈強そうな小人族が突っかかってくるなり、拳で殴り払われて壁に吹っ飛んだ。

 如才なさそうな事務員が青ざめた顔をして低姿勢で現われた。


「あ、あの。お客様、どのようなご用件でしょうか」


「ビスマルクという人物に会わてほしい。聖ジュリア女子修道院の前を通りかかったら、コイツらが倒れていた。他の八人は死んでいた。会って事情を聞きたい。そう伝えてくれ」


「か、畏まりましたぁっ」


「あと、いないと言えと命じられたら、こいつらをつれて自宅にまで押しかけることになると伝えてくれ」


 事務員は尻に火がついたみたいに奥へ引っこんだ。


「ヴァンダー卿っ」


 外からペスカトーレ衛兵隊長がロビーに飛びこんできた。

 街の中を賊に腰縄でつないでここまで練り歩いてきたのだ。誰かが通報したのだろう。

 だが、それでいい。


「どうも。ペスカトーレ隊長、ついさっきぶりだな」


「ああ、五時間いや四時間ぶりか。いや、そんなことはどうでもいい。ここで何をしている」


「町を出たんだが、ちょっと用を思い出してね。修道院に戻ったら、こいつらが殴りこんできた」


「ファーマス院長たちは無事なのかっ」


「戻った時には、全員出かけていたよ」


「全員いなかっただと!?」


「どこに行ったのか俺も知らない。置き手紙もなかった。城門兵にでも聞いてみてくれ」


「うっ、うぬぬぅ。それで、こいつらはなんで襲撃を」


「いや、それが事情を聞こうとしたが要領を得ないので、こいつらが口走った上司の名前を今、呼んでもらっている」


「上司っ!? その名前は」


 おい。ヴァンダーが顔面ボコボコの賊の尻を軽く蹴る。すると、ビスマルクの名前を謡った。


「ペスカトーレ隊長、知っているか?」


「知ってるも何も、ここの石炭商会の三席、組合幹事だ。だがあの人当たりのいいアルプがどうして」


 衛兵隊長が困惑げに目をしばたたいていると、さっきの事務員が戻ってきた。


「ビスマルクはただ今、会議中とのことです」


 ヴァンダーはひとつ頷くと、事務員を押しのけて進んだ。



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