第19話 ゴブリンという病巣



 カザヴォラ家は豪農ながら貴族並みのどっしりとした居館を構えていた。


 村人から聞いた話では、メッツァ家への参議を許される代わりに賦役や租税上納も束ねる、いわば上級農民のようだ。


 騎士団長を首桶から出すと、カザヴォラ家の家人は当主をはじめとして、声をあげて号泣した。


 当主アントニオ・カザヴォラは五十代なかば。アヴィドの兄と思われる二人の中年も顔を紅潮させて、弟の変わり果てた姿を悲しんだ。母親は卒倒しかけたので別室へ移り、泣き叫ぶ声がここまで聞こえてきた。


 そんな中で、唯一感情を表に出さない家人が一人。


 ブロンドがかった茶髪に、青寄りの灰瞳。憂いを帯びた美貌である。


 ヴァンダーと目が合うと、彼女は居心地悪そうに顔を背けて部屋から出ていった。

 何やら嫌な気配を感じて、美女を見送った目をとなりまで戻すと、勇敢なる執政官が石に変わっていた。彼女はどうやら、バルデシオの凝視に耐えられなかったようだ。


「まばたきしろ、市長。不謹慎だぞ」


 ヴァンダーは横を肘でつついて、小声でとがめる。


「失礼した。あの者はルクレツィア・ブラッツィ。当家で行儀見習いで預かっている商家の娘です」


 あっさり紹介した後、老アントニオは首桶を運び出すよう、息子二人に指示する。


「バルデシオ市長。倅は苦しまずに討たれましたか」


 遺族が一番聞きたい、辛い事実だ。バルデシオは言葉をとり繕わなかった。


僭越せんえつながら、御子息にはひと息での切断を諦めてくれと言い渡しました。まず首の骨を折ることで首から下の痛覚を断ち、窒息させる旨を伝えました。それがしは首を落としきるのに、その一撃を含めて三度で断ちました。絶息の苦しみはあったでしょうが、切断に至るまでの痛覚は感じてなかったと推察しております」


「市長殿、剣の心得は?」


「恥ずかしながら、十代に大学の履修科目で二年やりましたが、市政官僚、市長に就任してからは、腰から提げる飾りになっておりました」


「それを三度で、ご自身の剣を使われたか」


「はい。おのれの不明ゆえに恐怖が先に立ち、御子息には辛い受難となりました」


「さようか。……アヴィドは優しい子だった」


「はい。ですが皆を救うことばかりに気持ちが焦り、遠慮を欠きました。ですが騎士団長として盗品横奪の罪を一身に背負い、領主から連座免除を引き出し、見事、仲間と村を守りきったのです」


 アントニオは目に涙をためて静かにうなずいた。


「クレモナ市長殿にそこまで言ってもらえれば、アヴィドも本望だろう」


「いいえ。アントニオ殿。まだです。それがしはアヴィドの無念を果たしにまいったのです」


「無念?」


「はい。それがしは御子息と、刑に服するに際し、ある約束を交わしておりました。それを果たすため、今朝はここにまかり越したのです」


「約束とは?」


「ゴブリンを頼む。すべては奴らが村を狂わせた、と」


 カザヴォラ家の三人の男が期待と猜疑をない交ぜにしたような視線を向けてくる。


「クレモナ市長みずから、その約束を果たしに?」


「はい」

「しかし、たった二人では」


「いいえ、クレモナでも知勇に覚えのある剣士を選りすぐり、外に二名。それから高名な魔術師殿一名に助力を願うことができました」


「どちらの魔術師どのかな」


「ロンバルディア王国、宮廷魔術師マーレファ・ペトラルカ殿です」

「おおっ、あの高名な〝百識〟様がこの地へ」


〝百識〟はまだヴァンダーが弟子入り直後の、師が国王に召し抱えられる前の通称だ。田舎だから情報が古いのは仕方ないが、なんか恥ずかしい。


 アントニオは書斎からメイドに地図を持ってくるよう言いつけた。


「市長殿。まず端的に言っておく」


「はい」


「こちらで確認しているだけで、ロードが五匹いる」


 バルデシオとヴァンダーは同時に息を飲んだ。


「確かですか。全体の規模は、推測で構いません」


 ヴァンダーが先を促す。アントニオは忸怩たる思いで告げる。


「キングダムが五つ」

「パンデミックっ!? いや、その割に村は人の動揺がなかった」


 アントニオは暗い目で頷いた。


「左様、今年の被害はまだ穀倉が五つやられただけ。団員百人を超す騎士団にも損害が出て、今は七割ほどになった。それだけの損害を出してようやく掴めたことは、ロードの数だけ。アヴィドの焦りは聞いていたが、我らでは妙策を思い浮かばなかった」


「アヴィド殿が焦っていた理由がロードだけですか、他に心当たりは?」


「うむ。ロードたちはどうやら五匹とも連携していないらしい。むしろ狭い地下帝国のナワバリを巡って争い続けているという。地上へはその内部抗争を勝ち抜くための兵糧を求めて現れている節がある」


「足並みを揃わせず、争っているうちに叩ければ?」キングダムを五つ。


「それが最良。だがそんな奇策は誰にも……メッツァ領主家でも、な」


 メイドが地図を持ってきた。そして簡略化された図形も。おそらく書斎デスクの上にあったものをすべて持ってきたのだろう。


「バルデシオ、師匠たちを呼んでくる」


 ヴァンダーは大股で部屋を出た。


    §


 地下空洞。

 耕作地層のさらに下に岩盤があり、その先は地下水が岩盤を何百年もかけて削ってできた巨大な空洞があるという。


 彼らの先祖は、その大空洞にゴブリンの地下帝国があることを知っていた。


 本気で駆除するにも規模が大きすぎる。


 また上の耕作地を掘削する必要があった。


 病巣を切り崩すにも損害が大きすぎた。


 だから蓋をした。


 見なかったことにしたわけではない。ゴブリンを地下から出られなくすればよい。それで彼らは飢え、いつか死滅するだろう。


 大きな出穴には小砦を築き、小さな出穴には大岩でゴブリンの脱出経路をふさいだ。

 実際、数年前までゴブリンの影はどこにもなかった。


「ご先祖の失態は、そのことを子孫に語り継ぐことを忘れていたことですねえ」


 マーレファが鼻先で笑う。


 地図で見る限り、小砦があった場所には現在、新しい集落ができていた。

 外からやってきた人々が住むための村落だという。

 既存の村ではしきたりやら縄張り意識やらで先住者と摩擦が起き、かといって周辺はすべて耕作地である。使われなくなって久しい小砦や大岩の場所に新参者たちのための宅地を造成するのは必然の流れだった。


 だから、その新興村落から餌食になった。


「今この集落に人は?」

「おりません、一人も」


 師匠の質問に、カザヴォラ家当主は即答した。


「いつから?」


「五年ほど前から徐々に人が減っていること気づきはじめ、二年前の雪解け時期を境に無人となったことでようやく、こちらで騒ぎになりました」


「交流がなかったのですか。メッツァ家はそのことを?」


「無人となったことは二年前から認知しております。家中会議では賦役で住民が逃散ちょうさん(田畑を放棄して村ぐるみで山野へ逃げること。領主への対抗手段)ではないかと決議されましたが」


「すべては街道建設の無理強いが判断を曇らせた、ですか」


「領主様におかれても、間が悪ぅございました」


 アントニオも苦しい弁護をする。


 新興集落の内部でも他集落との連携が希薄だったと考える他ない。ある日突然、隣人がいなくなっても気に留めなかった。領主が調査に入ったときには無人で、住民が一斉にいなくなったと断ずる他ない状況だった。


 若き領主も長期の賦役に端を発する住民抗議行動とみなす他なかった。周辺集落も父祖時代に封印し続けたゴブリンという病巣が臨界爆発した災害だと気づいた時には手遅れだった。


「騎士団をこちらに回せないのは?」


「ヴィブロス帝国が、わが王国の南国境を脅かし、倅たちも三ヶ月おきにそちらへ赴いて警備の任に就いております」


「きっと三男殿は兄たちの分まで、村を守ることに情熱を燃やしていたのでしょうねえ」


 くっ。兄二人が悔しそうに唇を噛んだ。


「ときに、ご当主。おかしいとは思いませんか?」


 マーレファがテーブルの首桶が置かれていた場所を見て、いった。


「おかしい、と申されますと?」


「亡くなった三男殿は、クレモナからゴブリンが強奪した豚を横奪ネコババしたかどで処罰されました。ではどうして彼は、ゴブリンからの横奪を決行したのでしょうか」


 場が静まる。


「村人が飢えていたからでは、ないでしょうか」ヴァンダーが指摘する。


「アヴィド殿はこれまでも村人の貧窮を憂いていて、今回のように違法すれすれの行為で食料を調達していたのですか?」


「それは」カザヴォラ家当主は息子たちと顔を見合わせる。「しておりませんし、アヴィドからそういう相談も受けたことがございません。ゴブリン臨界の危惧のみでしたが」


 マーレファは興味なさそうに浅く頷くと、バルデシオを見る。


「では、橋を守っていただけの彼とその仲間たちはどうして急に、そんなことを思い立ったんでしょうねえ」


「導師様」バルデシオが拱手して嘆願する。「勿体つけずに教えていただくってわけにはいきませんか。午後には町へ戻らなくちゃいけないんです」


「みずから思考しない者は、真実を掴もうとしない愚か者と同義です」


「うっ。はい……」


「あなたが町衆から信頼を勝ち得ることに苦労したように、ヴァンダーもあなたから信頼を得るのに随分苦労したことでしょう。苦労を軽くしようとすることは、考えることを楽していいことではないのです」


 一の訴えが百倍の説教になって帰ってきた。バルデシオがみるみる萎れていく。傑作だ。


「ヴァンダー」


「あ、はい。〝敵の敵は、味方〟ということでしょうか」


「十中八九」


「では、残り一を追加します。ホブゴブリンの存在です」


「よろしい、及第点をあげましょう」


 ふぅ。内心間違っていたら格好悪いと思ったが、師匠から合格をもらって安堵の息が漏れた。


「おい、ヴァンダー。どういうこった」


 バルデシオが小声で、すがるように見つめてくる。


「アヴィド殿は、バルデシオにまだいってない秘密があったんだよ」

「秘密。それが、ホブゴブリン……ゴブリンだと?」


 ヴァンダーはうなずいた。


「アヴィド殿はあらかじめ、ゴブリンたちがクレモナの農場から豚を強奪することを知らされていた。だから待ち構えていたんだ」


「襲撃そのものを、知ってた?」


「おそらく、今も所在のわからない八頭の豚は、彼が証言したとおりに騎士団の出身村に配られていない。ゴブリンとの取引報酬になっていたんだと思う」


 騎士団長がゴブリンと裏取引をしていた。


 そんなありえないこと、首を刎ねられたって口に出せるはずもなかった。



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