第18話 首の帰路で



 チェルス家の様子をうかがいに、馬車で東、町の北東マリステラに向かう。

 ドングリの森の周りを高い柵で囲っている光景が目に飛びこんでくる。


「ヴァンダー様」


 農場の入口でエステラが馬車に気づいて、歩いてやってくる。


「どうだい、少しは落ち着いたかい?」


 チェルス夫人は疲れが残る顔で養豚舎の方を見て、


「本当はもう少し休んでいたいんですけれど、バルデシオ市長のご尽力で豚が半分以上も戻ってくるなんて思ってなかったから。だから頑張らないと」


「そうか。パオラは?」


「子供たちで、子豚の飼育小屋の藁かえをしています」


「小作人たちは?」


 エステラは後ろをふり返って、


「普通に仕事しています。豚の増産と麦の連作が一段落つけば、エヴァリストの葬儀をちゃんと挙げようって、みんなで相談してます。夫は、小作人に厳しすぎたんです」


「ああ、そうだな」


「ヴァンダー様とバルデシオ市長には感謝の言葉もありません」

「何か困ったことがあったら相談してくれ。できる限りのことはする」


 すると、エステラは目線を落として、もじもじと唇を動かす。


「あるのか? 困ったことが」


「はい。あの……実はチェルス家の相続財産に、ここの牧場豚と農場が入っていまして」


 ヴァンダーとバルデシオは顔を見合わせた。


    §


「災害寡婦相続ってなんだ?」


 馬車に揺られながら、ヴァンダーが助手席から手綱を握る市長にたずねた。


「ゴブリンなどの魔物、疫病や水害、戦争で家主を失った女性遺族への相続権を一代限りだが認める特例制度だ」


 バルデシオによれば、女性の遺産相続を認めないことについては、ロンバルディア王国だけでなく他国の法律も歩調を合わせている。理由は、婚姻制度に持参金というものがある。


 これは中階層以上の女性特有の慣習法で、遺産相続権者に女性も含めるとその遺産分を持参金にして他家へもっていかれて権利関係が煩雑はんざつになる。特に他領他国に自分たちの土地を取られかねない、というのが建前だ。女性差別との指摘もあるが、これを悪用した家門カーサ間の財産収奪が起こり、家門同士の武力衝突にまで発展したこともある。


 なので災害や戦争を原因として男子血統を失った場合に限定して、当主の妻、当主の母、娘の序列で当主の地位を相続し、亡当主の財産をもたせることができる。これが災害寡婦相続だ。


 チェルス家の場合、死亡した当主エヴァリストには二人の弟がいた。


 長男が土地や農畜財産を相続し、下二人はそのまま留まっても小作人同然の身の上なので、十代で分家して奉公に出た。次男が鍛冶屋、三男が青果仲介人だという。彼らも遺産分与は受けたいが、今さら土地に縛られる農夫には戻りたくないだろうし、遺産目的は高級豚チンタ・セネーゼだ。育て方が難しい。品質を落とせば罰則もある。彼らには増やすノウハウもライセンスもない。相続しても売るしかなかった。誰も幸福にならない。


 バルデシオはチェルス家の事情をすでに把握していたようだ。こんなこともあろうかと、手配していたらしい。 


「書類準備に四、五日かかるが、被害状況も北区の衛兵が調査済みだから問題はない。市庁舎から書類をもってこさせるから、それに署名だけすればいいようにしておくからな」


 安堵するエステラの笑顔に見送られて、ゴブリン討伐義勇軍は東ポー橋を目指す。


「できる市長の、次なる目標は剣の稽古か?」 


「ふんっ、ゴブリン退治で後れを取ったら、考えてもいい」


 軽口を叩きつつ、馬車は東ポー橋をわたった。

 その橋の向こうで、検問兵のほかに貴族馬車が待ち構えていた。


「いつまで待たせんだよ」


 窓のガラス戸が下がり、若い青年が顔を出した。


「これはこれは、メッツァ伯爵。おはようございます」


 バルデシオが馬車を停めると、助手席のヴァンダーも下車して二人で貴族馬車のそばまで駆け寄り、片膝をつく。


「今朝。鳩を使って、ご連絡をさし上げたと思いますが」


 イルミナート・カステルヴェドロ=メッツァは面白くもなさそうに強面の市長を見下ろすと、窓から人さし指ほどの小さな巻き紙を落とした。


「メッツァ家からの正式なゴブリン討伐許可状だ。ロードを倒せば一頭につき、金貨十枚やる」


「なんと、十枚もでございますか」


「ロードは凶暴性、食欲、性欲がオークを上回るらしい。うちは、人間の相手で精一杯でな。魔物まで手が回らねぇのよ。昨日のことで、オレの首に賞金をかけたやつがいるみたいだし」


「カザヴォラの件がもう広まってございますか?」


 バルデシオは眉をひそめて聞き返した。


「さあな。面倒に面倒を重ねられて、こっちは首も回らねぇってのに。執政官さ、おたく昨日はどこにいたよ?」


「アリバイで、ございますか」

「訊かれたことだけに答えりゃいい」


「昨夜はなにぶん人生初めてのことが出来しゅったいいたしまして、市庁舎の執務室でグラッパを飲み干し、ここおりますわが友、ヴァンダーから介抱を受けておりました」


「グラッパぁ? ああ、あの安酒か」


 イルミナートはつまらなさそうに頷くと、ガラス戸をあげた。

 車内から壁をノックする音が聞こえると、馬車は騎士十二名に護衛されながら去っていった。


「恩を着せながらその実、犯人探しにきたらしい」


 バルデシオはやれやれと御者台にのぼった。


「汚れ仕事を請け負わされた割には、随分、気に入られたようだが」ヴァンダーは苦笑した。


「借りができたと思ってくれなきゃ、あのきれいな顔を殴ってるよ」


 バルデシオは手綱を打って、馬車を進ませた。



 ソアルツァ村。


 クレモナから馬車で一時間半ほど南にいった村だ。

 散在する村のまとめ役的な村なのだろう、教会の鐘楼が見えてきた。

 ゲートまで行くと、柱に黒い布が結ばれていた。村挙げての喪中らしい。


 集落に入ると、よそ者を品定めするような昏い視線が刺さる。

 礼節として教会の司祭に顔を出す。その後に村長、顔役の順番だ。


「ねえ、ヴァンダー?」


 カレンが「退屈」と書かれた顔を出す。馬車に揺られる荷物役も飽きたのだろう。


「大人の話し合いだ。師匠は?」


「まだ寝てる」


「起きたら知らせてくれ。知恵を借りるから」


 わかったぁ。幌の中にひっこむとヴァンダーとバルデシオは教会のドアを叩いた。


 ストロッツァと名のった司祭はおそらく、この近辺の集落で最も肥え太った人間の一人だろう。本来の顎の裏で下がる二つめのあごが七罪でゆれている。


 まずバルデシオが首桶をテーブルに置くと、司祭は中をあらためて酸鼻きわまる顔をした。


「アヴィド・カザヴォラを家族に返してやりたいのですが。住まいをお教え願えますか?」


「この村ですが、葬儀はすでに終わっております。墓守に再埋葬させましょう」


 一聞するともっともな発言に、バルデシオが噛みついた。


「終わった? 首も揃わないのに、埋めたっていうんですか。司祭どの」


「左様、騎士団長のふるまいを、皆で哀悼するように申し伝えました」


「それはおかしいですな。戦時でもないのに、首がないまま埋葬することは教義に反するのではありませんか。彼は村の食糧事情のために豚を金に変えようとした。その博愛の人物の首と胴体を分離したまま埋葬することは、死後の再誕の妨げになる。そうでしたな?」


 バルデシオが怒気をこめてまくしたてると、ストロッツァ司祭は面倒くさそうな顔をした。


「それはそれ、首がいつ返ってくるとも知れませぬゆえ」


 司祭はしれっといった。


「では、再埋葬代にいくらですかな?」

「金貨六枚と三分の一」


 クレモナなら葬儀一式の値段を、ここでは埋葬代だけにかけている。自分の手が墓土で汚れるわけでもあるまいに。


「ヴァンダー、行こう。騎士団長の家族なら村人が知ってるはずだ」


 バルデシオが首桶を持つ。


「執政官殿。それは、こちらでお預かりできますぞ」


「いや結構。遺族に会わせて彼の帰還を知らせてやるのが先でしょう。人々のために身を挺した魂は、ここでは安息できぬでしょうから」


 最後の皮肉に、欲の皮につっぱったストロッツァ司祭も薄い眉を引くつかせた。


 二人で教会を出ると、バルデシオが振り返ってドアに鼻を鳴らした。


「小金欲しさに人質ならぬ、首質をとろうとはな。聖教者の顔をした強欲の豚め」

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る