第33話 執政官、恋のから騒ぎ



 ロッセーラの店〝南風シロッコ〟。

 バーカウンターだけの店で、テーブルは無し。細長い奥に小さなダンスステージがある。


 毎週土曜日の夜に、アンジェリカ修道院の修道士フラテジャコモ・プッチーニがギターを弾きに来店する。彼は、先代店主ムルシドの時からの常連だ。


 プッチーニは、三五歳。出身は口にしないが、北峰ピレネー山脈の向こうボルトン王国のなまりがたまに出る。店の飾りになっていた楽器を懐かしんで爪弾いたのが始まりで、ロッセーラがその曲に合わせて踊り、彼のギター以外では踊らない。

 

 そのステージを他に使うのは|、たまに西から流れてきた旅団ロマが踊っていく。


 この日はあいにく日曜日だったのでロッセーラの踊りもなく、常連客も明日からまた生業なりわいのため早々に帰宅していた。


 カウンターに残る客はヴァンダー、バルデシオ、ラミアの三人だ。


「御前試合に出るって話だったな」

「ああ」


「諦めきれないのか」

「無理だ」


 ヴァンダーはエールを飲み干すと、女主人におかわりを頼み、


「フェルシナで開かれる御前試合といえば、毎年両手に余るほどの死人を出す血塗られた大会だぞ」


「わかってる。その死人は、決勝トーナメントの決勝戦までに負けた連中だがな」


「えっ、それって殺し合いじゃ……」


 ラミアが驚いたまま二の句を継げられない。

 ヴァンダーがあとを引き継ぐ。


「観衆は剣闘士の生き死になんか気にしちゃいない。関心があるのは自分の賭けた駒が決勝まで勝ち進むかどうかだ。優勝者には国王拝謁の栄誉と、褒美は望みのまま。貴族でも将軍職でも金でも、女でもな」


「ひどい王様の娯楽ね」


「アエミリア=ロマーニャ王国は今、それだけ勇者を欲しがってるのさ」


 バルデシオの解釈に、ヴァンダーは新しいエールを苦そうに飲む。


 血なまぐさい闘技イベントには事情があって、かの王国はロンバルディア王国と違い、南の強国ヴィブロス帝国と国境を接している。現在は偵察を兼ねた小競り合いこそあるが、小康を保っていた。停戦交渉は双方とも長考をみせて、切れるカードをできる限り温存することではらのさぐり合いが続いている。


 戦争が長期化すれば、国内の臣民は厭戦感や戦費捻出の重税に不満がたまる一途だ。その不満の矛先が王政へ向かう前に、娯楽で彼らの意識をまぎらわせる必要があった。


 御前試合は民衆のはけ口としても、また優秀な将器の発掘としても有用であるようだ。もっとも、フタを開ければ決勝トーナメントは毎回、死者続出の血闘場となり果てた。人材発掘なんて夢のまた夢だ。


 それでも観衆はこの刺激的な娯楽に熱狂し、敵国であるはずの帝国貴族までがお忍びでわざわざ観戦に現れているという噂がロンバルディアにまで届く始末だ。


 師マーレファは、「いかなる流血にも狂喜する民の声は、国崩しの足音をかき消す。そのことは歴史が雄弁に語っています」と苦言を呈する。


 ヴィブロス帝国の前身、古代インペリウム(インペリウムは帝国の意)は剣闘用の巨大な闘技場を設立し、民衆は貴賤の別なく熱狂したという。その結果、インペリウムは闘技場の設立から二年後に滅亡した。


 アエミリア=ロマーニャ王国がそのてつを踏むかどうかは知らない。少なくともヴァンダーは、執政官として辣腕を国内外に認められかけている友人を死地に向かわせるのだけは止めたかった。


 それでも出たい、協力してくれと頼むためにバルデシオは、ヴァンダーを呼び出した。

 動機はわかってる、金と女だ。


「バルデシオ。執政官の地位を捨てる気か?」


「イルミナート・カステルヴェドロ=メッツァが、来年のクレモナ執政官の任期満了に伴って、おれに町一つを任せたいといってきた」


 どうかしている。正気の沙汰じゃない。ヴァンダーは頭を振った。


「ここまで切り盛りしたクレモナを、他人に預けられるのか? 俺にフェルディナンド・バルデシオは無責任なやつだったと墓碑の前で罵らせる気なのか」


 いつになく睨みつけると、バルデシオも驚いた様子でたじろいだ。


「おれは、ただ……この人生をかけてルクレツィアが欲しいんだっ」


「お前にこんな事を言いたくはないが、彼女は貴族になりたがってる」


「父親オリンドの野望だろ。知ってるよ」


「違う。貴族の身分を欲していたのはルクレツィア・ブラッツィ、彼女自身じゃないか、最近そんな気がしてならない」


「おい、待てよヴァンダー。なんでそんな事がわかる。彼女はまだ十九歳だぞ?」


「ゴブリン討伐後の晩餐会で、領主イルミナート伯爵の態度がずっとひっかかってた。父親オリンドが持参金とともに領主へ婚姻を要望したとき、美貌が自慢の娘を着飾らせて、領主に引き合わせなかったと思うか?」


「うっ。そりゃあ……なくはねぇが」


「あの若き領主は口調こそ軽薄だが、人を見る目は確かだ。彼女をひと目見て野心があることを見抜いていてもおかしくない」


「んなバカな。成人式を終えたばかりの若造にそこまでの審美眼なんてねぇだろう」


「そういえばさ。メッツァ家の若領主って、今の王太子の実の弟なんだってね」


 ロッセーラが何気なく口を挿んだので、ヴァンダーもバルデシオもカウンターの奥を見た。


「それ、本当かっ?」執政官が目を見開く。


「客から聞いた話だから、話は四分の一くらいなんだけどさ。なんか幼い頃からずっと兄弟仲がよくて、弟が兄をよく立てるんだって。で、六歳の洗礼式を受けた日に今の国王に直談判して、王族を出て大都市ピアチェンツァ脇の小領メッツァ伯爵家の養子になりたいって言い出したそうよ」


 あの若者はメッツァ家の養子だったのか。それ以上に、メッツァ家に嗣子ししがないことを六歳の身でどうやって調べあげた。


 ヴァンダーは怪談でも聞いたように顔をしかめて、エールをあおる。


「ルクレツィアは領主じゃなく、王族の地位を得るために父親のオリンドをつかってイルミナートに近づこうとしたのか?」


「ヴァンダー、もうやめろ。憶測で彼女を悪くいうなっ。彼女はそんな女じゃない!」


「執政官。そんな女じゃないと言い切る根拠は」


「うっ。それは……彼女に、花束を渡しにいった」


「なんだって!?」ヴァンダーも怒りを露わにした。「それで、向こうは。受け取ったのか?」


「殿方から花をもらったのはいつぶりだろうって、微笑みながら目許を指で拭ってたよ。おれのまぶたには、あの笑顔が焼き付いて離れねぇんだ。ほんの五日前だ」


 なぜ三十路男の純情を受け取った、ルクレツィア・ブラッツィ。本当に魔性なのか。


 執政官が芽生えた恋の空騒ぎに、ヴァンダーはがっくりと肩を落とした。 

 女性二人もカウンターごしに顔を見合わせ、両手を上に向けて肩をすくめるのだった。


    §


「私、魔法が使えないから、魔法局に登録してないのよね」


 ラミアがグラスをもったまま、テーブルに映る自分の顔を見つめる。


「なら、貴族の家庭教師は不利だな」バルデシオは一般論を並べる。「学校は男社会だからな」


「クレモナに、貴族はいるの?」


「親父の代からいなかった。執政官がその代わりだったかな」


「じゃあ、その貴族代わりの執政官が、なんでうちの酒場で安酒なんかで一杯やってるわけ?」


 ロッセーラがからかう。


「おれは執政官を拝命したが、助言役に雇った魔術師と王都から来た秘書官が厳しくて、貴族のフリすらできないほど忙しくさせられてんのさ。元は粉挽き屋の倅だ。利益とはエールからあふれ出す泡のごとしってな。私腹とは献金商家の足枷のごとしってな。商売根性が染み付いてるのさ」


「それじゃあ、どうやって執政官になれたの?」


「前の執政官は、親父が仕切ってた製粉組合はもちろん、方方から献金をたかってた町のゴマハエでな。私腹は肥えたが、その重さで肝心の行政を焦げ付かせて身動きが取れなくなってた。そこにおれが親父のコネで秘書官に入って、九ヶ月かけて不正献金の証拠書類を揃えて王都へ送付した。もう三年前だ。クレモナは小さい町だが国王直営地だ。赤字財政を健全化できる策があると手紙を付けて送ったら、こうなってた」


「大出世じゃない。計画書が通ったのね」


「ダメ元の賭けだったが、まるで魔法みたいな結果だったな。実際クレモナの都市財政はアエミリア街道のお陰で交易収支は黒字化できたし、今のところゴブリンや疫病も我らが魔術師どののお陰でごく軽微にすんでる」


「だったら、ようやく健全行政も軌道に乗ったところなんじゃないの。御前試合なんてやめとけば? せっかく手に入れた魔法の杖を橋の中央から捨てるようなものよ」


 褒めて刺す。ラミアの容赦ない切り返しに、バルデシオは反省が進んだのか軽く唸った喉にエールを流しこむのだった。



 ところが翌早朝。事態が変わった。


「ヴァンダー、ヴァンダー!」

「こっちだ」


 裏の練兵場に泥を詰めた二つの洗濯桶に、カレンが五本一株のコメの苗を等間隔で植えていく。その様子をヴァンダーはノヴェッリと一緒になって眺めていた。


「ヴァンダー、大変だ!」


 バルデシオが台所の窓から身を乗り出してがなる。


「ルクレツィアが、王太子に見初められた!」


「へ、わたしのこと?」


 とっさにカレンが応じたので、ヴァンダーは目をぱちくりさせた。



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