第14話 首はポー川を越えて
ヴァンダーはカレンを師匠に預け、ローマ広場に足を向けた。
酒場の女主人の話では、血まみれのバルデシオがここに首を置いたという。
その理由はヴァンダーにも察しがついていた。
この広場はかつて修道院と墓地があり、決闘で敗れて死んだ者たちの埋葬を引き受けていたという
ヴァンダーがこの場所を知った時にはもう広場だった。
誰に聞いたのかすらも思い出せない。だが悪友は憶えていた。
バルデシオはおそらく、切り落とした首に哀れみと冥福を与えたかったのだろう。
なら首は決闘の末か。そんなわけはない。
バルデシオは今朝、公務で出かけたのだ。
広場に足を踏み入れると人気のない場所で、糸目の大男サム・プッシャーが立っていた。
「んあ。先生、どしたね?」
顔を合わせるなり、ニッコリ微笑まれた。童顔の
最近は斬首刑はもっぱら貴族の刑罰に限られ、判決を言い渡す審問官からも忌避されている。
「首を見に来た」
サムはふんふんと頷くと、丸いあごで背後をさした。
さらし台に載っているのは、知らない男だった。
二十代前半。実直そうで、理知的な容貌をしていた。生前は実直な男であったことが伺い知れる。およそゴブリンが盗んだ豚を横取りして売りさばき、遊び金を工面するようには思えない。
「なにか聞いているか?」
「見張れ。そんだけ」
「気づいたことは」
サムは押し黙ると細い目で、ある方角を促した。サム・プッシャーは首切り人だ。鈍感な愚者ではない。死を恐れないだけで、死を軽んじる人間でもない。
顔を向けると、反対の通りに貴族馬車が停まっていた。
車内はレースカーテンが引かれ、何人が乗車しているのかさえわからない。
ドアの紋章は、ヘビを掴む鷲。アエミリア=ロマーニャ王国メッツァ伯爵家の紋章だ。
「この首の主人か」
「かもね。アレが現れてから、
「いつから、あそこに?」
「十五分くらい前だったね。さっき二時の鐘がなったからね」
噂をすれば、貴族馬車が動き出した。
それが見えなくなり、ヴァンダーが顔を首に戻すと、まぶたがおりていた。気味の悪い事象ではあるが、魔術の観点からすれば、どんな死体であっても頭部は情念が
ヴァンダーはおもむろに後頭をもって、首を倒しつつ切断面を
「ひどいな。素人の手だな」
「んあ。しかも刃を
「公務が忙しすぎるんだ。剣の手入れまで気が回らないほどにな」
「んあ。なら、腕のほうはもっと錆びついてたよね」
首をさらし台に戻すと、ヴァンダーは首の顔前に十字を切り、冥福の
「さすがだね、先生。金の匂いさせてる修道士より堂がいってる」
「習わぬ教典だよ。サム。いつまでここにいる?」
「さあ。夕方にでも誰かに
「わかった。バルデシオに伝えておこう」
「バルデシオ。恐かったはずだから。今日だけ優しくしてやってね」
「ふっ。さすが専門家だな。わかった。一発殴ってから抱きしめてやることにするよ」
んははは。サムは自分の頬をさすって笑った。
コムーネ宮。
クレモナの市庁舎で、となりのコムーネ広場をはさんだ東向かいにクレモナ大聖堂がそびえ立っている。
バルデシオがまっすぐ自分の巣に直帰せず、わざわざ首をローマ広場に置いたのは鎮魂の他に、今日がコムーネ広場でも六斎市が開かれていたからだろう。人を
市庁舎にはいってすぐ、ロビーに点々と赤い血の滴が階段まで続いていた。職員たちもいまだ浮き足立っているのが感じられた。
「あ、ヴァンダー殿」
政務秘書官アウレリア・バーリが、すがる藁でも見つけたように小走りで近寄ってきた。
バーリは王都出身の官僚で、いわば地方長官の首輪として着任した。
秘書官が女性で、執政長職以外の王都官僚が地方へ〝都落ち〟してくることも珍しい。かれこれ在官五年になるはずだが帰還辞令の気配すらないのか、断っているのか。
バルデシオは「女だてらに頭が切れすぎるんで、中央で煙たがられたんだろ」と苦笑する。
現在二七歳で、貴族男性と初婚で縁づくのは難しくなってきているが、いまだ独身だ。バルデシオも魔法の杖として手放さないが、下心で手は出していないらしい。クレモナ市庁の七不思議だ。
「市長は」
「血まみれで自室に鍵をかけて籠もったきりです。声を何度かけても、うんともすんとも」
「経緯は」
「昼前に、近衛についたガットゥーゾ隊長から大体のところは」
「何があった」
秘書官は床の血痕へ視線を落とし、悔しそうに眉をひそめた。
「悪名高きメッツァ伯爵の
§
豚競売人のところに金を受け取りに来た男は、騎士だった。
アヴィド・カザヴォラ。二八歳。ベルモンド世俗騎士団の団長をしていると名のった。
世俗騎士団は、王族や貴族が修道会騎士団にあやかって設立した組織で、私兵として入団することが平民たちの名誉になっている。教皇庁公認となると維持費がかさむので、貴族たちが自主的に警察組織として名のる〝世俗〟意味合いが強い。
カザヴォラは早々に、命乞いを始めた。
「助けては、もらえないだろうか」
バルデシオは執政官の顔のまま、左右にふった。
「俺は人助けをしにきたんじゃねえよ、カザヴォラの。クレモナのマリステラでゴブリンが農場主人を惨殺し、盗まれた豚の行方を探しに来たんだ。昨日の今日で豚を売りさばける市場は直近なら越境してこっち、カセヌオーヴェだと見当をつけた。だから朝っぱらから橋をわたって競売人の首根っこをひっつかみ、盗まれた豚を探させた。そしたら十頭まで見つかった。残り八頭はどうした」
「ゴブリンと一緒に、川に落ちた」
「通じねぇなぁ。あんた、橋梁守衛長もしてるんだよな?」
「……っ!?」
「橋守りなら、川から落ちた人や馬車を引き上げる術は知ってるよな。そうでなきゃ、アドリア海までの航路の邪魔になる。川に落ちた豚もだ。だよな?」
カザヴォラは取りつく島なく顔をあちこち向けて、やがてうつむいた。
「騎士団で、分けた」
「八頭もか」
「騎士団員は、六八人。出身村で八つだ」
「なるほど。ゴブリン様々ってわけだ」
「我々の村は、食い詰めていた。重税につぐ重税で」
「だからなんだ」
「ゴブリンは本当に偶然討伐したんだ。どこから強奪された豚かなんて、知らなかった」
「寝惚けたこと抜かすんじゃねえ。夜間に北から橋を通りゃあクレモナ一択だろうが。おたくら騎士団は売っぱらった時点で、同罪なんだよ」
「同罪っ? 我々がゴブリンと共謀したと?」
バルデシオは強面に感情をのせずに、じっと騎士団長を見据えた。
「魔物が村を襲うのは、災害だ。だがな、その災害に乗じて金品をせしめた者は、災害を人に照らした時と同じ罪を追う。それがクレモナ市が属するロンバルディア王国法だ」
「っ……そんなっ」
「しかも今回は、人ひとり死んでる。女子供も連れ去られた。ゴブリンはただの物盗りじゃねえ。おたくらのやったことは、襲撃強盗になるんだ」
騎士団が野盗と同格に落ちることが
「どうか、どうにか罪を贖う方法はないのか」
「さっきもいった。人が殺されてる。それを知らなかったとしても、魔物が奪った財産をどうして持ち主に返さなかった。あまつさえその財産を転売し、収益を懐に入れようとした。強盗の罪は動かせねえよ。せめて死罪を免れるなら、被害の弁償をするしかない」
「む、無理だ。チンタ・セネーゼだぞっ」
「なんとも贅沢な最後の晩餐になったもんだな」
そこへ豚の競売人がやってきた。バルデシオに耳打ちする。
「今朝の落札額がでたぜ」
「……っ」
「チンタ・セネーゼ――、金貨二七四枚だ」
大銀貨に換算して六五七六枚、小銀貨では二一万〇四三二枚。ここから手数料や税金が引かれるわけだが、とにかくこれを基準として十八頭分である。
クレモナの大商家でも月売上に匹敵する額を、今から中小農村総出で金をかき集めても弁償は事実上、不可能だ。
豚のために、人の首が
貨幣を作ったやつは、きっと魔術師だろう。
この騎士団長を救えるのは、領主だけだ。領主なら従属する騎士の罪状を擁護することができる。ナシにはできない。借金の肩代わりや捕虜賠償金の支払いは、領主が私兵を雇う上でのリスクマネジメントでもあるからだ。
だが、あいつは無理だろな。
バルデシオはメッツァ家当主の采配を期待した。
薄氷ごしの井戸底を見つめる思いで。
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