第14話 首はポー川を越えて


 ヴァンダーはカレンを師匠に預け、ローマ広場に足を向けた。

 酒場の女主人の話では、血まみれのバルデシオがここに首を置いたという。


 その理由はヴァンダーにも察しがついていた。


 この広場はかつて修道院と墓地があり、決闘で敗れて死んだ者たちの埋葬を引き受けていたといういわれがあった。修道院長の高徳な善意からだったが、決闘勝者から恨みを買ってトラブルが絶えなかったため、やむなく七十年の伝統の末、廃院に追いこまれた。


 ヴァンダーがこの場所を知った時にはもう広場だった。


 誰に聞いたのかすらも思い出せない。だが悪友は憶えていた。


 バルデシオはおそらく、切り落とした首に哀れみと冥福を与えたかったのだろう。


 なら首は決闘の末か。そんなわけはない。

 バルデシオは今朝、公務で出かけたのだ。


 広場に足を踏み入れると人気のない場所で、糸目の大男サム・プッシャーが立っていた。


「んあ。先生、どしたね?」


 顔を合わせるなり、ニッコリ微笑まれた。童顔の朴訥ぼくとつとした青年で、笑うと猫みたいに目がなくなった。処刑執行人の三代目。世襲制ではないがプッシャー家が嘱託という建前で代々請け負っている。社会的に忌み嫌われる役どころなので賃金がいいからだ。


 最近は斬首刑はもっぱら貴族の刑罰に限られ、判決を言い渡す審問官からも忌避されている。


「首を見に来た」


 サムはふんふんと頷くと、丸いあごで背後をさした。


 さらし台に載っているのは、知らない男だった。


 二十代前半。実直そうで、理知的な容貌をしていた。生前は実直な男であったことが伺い知れる。およそゴブリンが盗んだ豚を横取りして売りさばき、遊び金を工面するようには思えない。


「なにか聞いているか?」

「見張れ。そんだけ」

「気づいたことは」


 サムは押し黙ると細い目で、ある方角を促した。サム・プッシャーは首切り人だ。鈍感な愚者ではない。死を恐れないだけで、死を軽んじる人間でもない。


 顔を向けると、反対の通りに貴族馬車が停まっていた。

 車内はレースカーテンが引かれ、何人が乗車しているのかさえわからない。


 ドアの紋章は、ヘビを掴む鷲。アエミリア=ロマーニャ王国メッツァ伯爵家の紋章だ。


「この首の主人か」


「かもね。アレが現れてから、コイツが目を閉じようとしないのよ」


「いつから、あそこに?」


「十五分くらい前だったね。さっき二時の鐘がなったからね」


 噂をすれば、貴族馬車が動き出した。


 それが見えなくなり、ヴァンダーが顔を首に戻すと、まぶたがおりていた。気味の悪い事象ではあるが、魔術の観点からすれば、どんな死体であっても頭部は情念がのこりやすい部位だ。


 ヴァンダーはおもむろに後頭をもって、首を倒しつつ切断面をあらためた。


「ひどいな。素人の手だな」


「んあ。しかも刃をいでないよね。バルデシオも焦ったろうね」


「公務が忙しすぎるんだ。剣の手入れまで気が回らないほどにな」


「んあ。なら、腕のほうはもっと錆びついてたよね」


 首をさらし台に戻すと、ヴァンダーは首の顔前に十字を切り、冥福の言祝ことほぎを与えた。するとぐっと食いしばるように閉じていた唇がふわっと半口を開け、安らかな死に顔に変わった。死後弛緩かもしれないが、首は切り落とされてからまだ丸一日も経っていないはずだ。


「さすがだね、先生。金の匂いさせてる修道士より堂がいってる」


「習わぬ教典だよ。サム。いつまでここにいる?」


「さあ。夕方にでも誰かに首桶くびおけを持ってくるように、って」


「わかった。バルデシオに伝えておこう」


「バルデシオ。恐かったはずだから。今日だけ優しくしてやってね」


「ふっ。さすが専門家だな。わかった。一発殴ってから抱きしめてやることにするよ」


 んははは。サムは自分の頬をさすって笑った。



 コムーネ宮。

 クレモナの市庁舎で、となりのコムーネ広場をはさんだ東向かいにクレモナ大聖堂がそびえ立っている。


 バルデシオがまっすぐ自分の巣に直帰せず、わざわざ首をローマ広場に置いたのは鎮魂の他に、今日がコムーネ広場でも六斎市が開かれていたからだろう。人をあやめた極限状態にあっても集客日を思い出せているのは、やはり執政官らしかった。


 市庁舎にはいってすぐ、ロビーに点々と赤い血の滴が階段まで続いていた。職員たちもいまだ浮き足立っているのが感じられた。


「あ、ヴァンダー殿」


 政務秘書官アウレリア・バーリが、すがる藁でも見つけたように小走りで近寄ってきた。


 バーリは王都出身の官僚で、いわば地方長官の首輪として着任した。


 秘書官が女性で、執政長職以外の王都官僚が地方へ〝都落ち〟してくることも珍しい。かれこれ在官五年になるはずだが帰還辞令の気配すらないのか、断っているのか。


 バルデシオは「女だてらに頭が切れすぎるんで、中央で煙たがられたんだろ」と苦笑する。


 現在二七歳で、貴族男性と初婚で縁づくのは難しくなってきているが、いまだ独身だ。バルデシオも魔法の杖として手放さないが、下心で手は出していないらしい。クレモナ市庁の七不思議だ。


「市長は」

「血まみれで自室に鍵をかけて籠もったきりです。声を何度かけても、うんともすんとも」


「経緯は」

「昼前に、近衛についたガットゥーゾ隊長から大体のところは」


「何があった」


 秘書官は床の血痕へ視線を落とし、悔しそうに眉をひそめた。


「悪名高きメッツァ伯爵の悪戯あくぎに翻弄されたようです」 


    §


 豚競売人のところに金を受け取りに来た男は、騎士だった。


 アヴィド・カザヴォラ。二八歳。ベルモンド世俗騎士団の団長をしていると名のった。


 世俗騎士団は、王族や貴族が修道会騎士団にあやかって設立した組織で、私兵として入団することが平民たちの名誉になっている。教皇庁公認となると維持費がかさむので、貴族たちが自主的に警察組織として名のる〝世俗〟意味合いが強い。


 カザヴォラは早々に、命乞いを始めた。


「助けては、もらえないだろうか」


 バルデシオは執政官の顔のまま、左右にふった。


「俺は人助けをしにきたんじゃねえよ、カザヴォラの。クレモナのマリステラでゴブリンが農場主人を惨殺し、盗まれた豚の行方を探しに来たんだ。昨日の今日で豚を売りさばける市場は直近なら越境してこっち、カセヌオーヴェだと見当をつけた。だから朝っぱらから橋をわたって競売人の首根っこをひっつかみ、盗まれた豚を探させた。そしたら十頭まで見つかった。残り八頭はどうした」


「ゴブリンと一緒に、川に落ちた」


「通じねぇなぁ。あんた、橋梁守衛長もしてるんだよな?」


「……っ!?」


「橋守りなら、川から落ちた人や馬車を引き上げる術は知ってるよな。そうでなきゃ、アドリア海までの航路の邪魔になる。川に落ちた豚もだ。だよな?」


 カザヴォラは取りつく島なく顔をあちこち向けて、やがてうつむいた。


「騎士団で、分けた」


「八頭もか」


「騎士団員は、六八人。出身村で八つだ」


「なるほど。ゴブリン様々ってわけだ」


「我々の村は、食い詰めていた。重税につぐ重税で」


「だからなんだ」


「ゴブリンは本当に偶然討伐したんだ。どこから強奪された豚かなんて、知らなかった」


「寝惚けたこと抜かすんじゃねえ。夜間に北から橋を通りゃあクレモナ一択だろうが。おたくら騎士団は売っぱらった時点で、同罪なんだよ」


「同罪っ? 我々がゴブリンと共謀したと?」


 バルデシオは強面に感情をのせずに、じっと騎士団長を見据えた。


「魔物が村を襲うのは、災害だ。だがな、その災害に乗じて金品をせしめた者は、災害を人に照らした時と同じ罪を追う。それがクレモナ市が属するロンバルディア王国法だ」


「っ……そんなっ」


「しかも今回は、人ひとり死んでる。女子供も連れ去られた。ゴブリンはただの物盗りじゃねえ。おたくらのやったことは、襲撃強盗になるんだ」


 騎士団が野盗と同格に落ちることがえられなかったのか、カザヴォラはその場にくずおれおちた。


「どうか、どうにか罪を贖う方法はないのか」


「さっきもいった。人が殺されてる。それを知らなかったとしても、魔物が奪った財産をどうして持ち主に返さなかった。あまつさえその財産を転売し、収益を懐に入れようとした。強盗の罪は動かせねえよ。せめて死罪を免れるなら、被害の弁償をするしかない」


「む、無理だ。チンタ・セネーゼだぞっ」


「なんとも贅沢な最後の晩餐になったもんだな」


 そこへ豚の競売人がやってきた。バルデシオに耳打ちする。


「今朝の落札額がでたぜ」


「……っ」


「チンタ・セネーゼ――、金貨二七四枚だ」


 せり売りのような仲買取引には動く金額が大きいため銀貨ではなく、金貨が用いられる。


 大銀貨に換算して六五七六枚、小銀貨では二一万〇四三二枚。ここから手数料や税金が引かれるわけだが、とにかくこれを基準として十八頭分である。


 クレモナの大商家でも月売上に匹敵する額を、今から中小農村総出で金をかき集めても弁償は事実上、不可能だ。


 豚のために、人の首がぶ。

 貨幣を作ったやつは、きっと魔術師だろう。


 この騎士団長を救えるのは、領主だけだ。領主なら従属する騎士の罪状を擁護することができる。ナシにはできない。借金の肩代わりや捕虜賠償金の支払いは、領主が私兵を雇う上でのリスクマネジメントでもあるからだ。


 だが、あいつは無理だろな。


 バルデシオはメッツァ家当主の采配を期待した。

 薄氷ごしの井戸底を見つめる思いで。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る