第15話 カステルヴェトロ=メッツァ伯爵イルミナート



 イルミナート・カステルヴェドロ=メッツァ

 現在の当主イルミナートは、十七歳。先代はアエミリア=ロマーニャ王国の外交官として大陸北部の大動脈、ポストミア街道開通に多大な貢献を評価されて伯爵位を授けられた官僚だった。


 先代が六七歳で逝去すると、イルミナートが八歳でカステルヴェドロ・メッツァ伯爵位を継承、その後、後見人で領地を切り盛りしていた母親が、ある時、家の階段から落ちて死亡した。享年三八歳。


 イルミナートが十五歳の成人式前日だった。


 成人式の当日。彼は王都の謁見から戻ってきて、正式に当主の椅子に座り、まずやったことは領民に賦役ふやく(領主直命の労働)を課すことだった。


 賦役が二十歳以上六十五歳以下なら重病でない限り免除不可。さらに税収の大半を占める人頭税や地代にも銅貨数枚程度だが徐々に増やしていった。


 その二年の賦役は、街道の建設だった。


 自領から馬車で三十分の場所にある城塞都市ピアティンツァから王都フェルシナまでの東西約一五〇キロの直通幹線道路〝アエミリア街道〟が建設された。


 もともとこの区間に街道がなかったわけではないが、各領主たちの都合で整備にも差があり、関税も領主の匙加減だった。そのため、首都直通街道建設はカステルヴェトロ家だけの事業ではない。国内の大小貴族も彼の計画に賛同しての挙国一致の大プロジェクト計画となった。


 わずか二年で直通幹線道路が完成し、二時間で行き来することを実現した功績は父親を凌ぐアエミリア=ロマーニャ王国内での大功名となった。


 領民も領内の賦役は向こう二年が免除されて領民は解放された。

 だが、次の負担が待っていた。


 この街道に荷重税が課せられた。関所で馬車の重さを計り、それに合わせた税金を取るというものだった。そのかわり、領内の商売にかかる取引税を安くした。結果、商品の値段が跳ね上がった。商人も貴族領を通るたびにちまちま取られる荷重税のしわ寄せを商品に転化せざるを得なかった。


 領民は物が買えなくなった。もちろんその中には騎士も含まれている。


 この状況には、クレモナも一枚噛んでいた。 


 ロンバルディア王国も王都フェルシナまでの交易陸路を確保できるわけだから、旨味はあった。何より物資量に限りがある水運を使わなくていいのは大きなメリットだった。

 だから「このビッグウェーブに乗りたきゃ、橋を造れ」といわれたら、造る他なかった。しかも二本。二年で完成させろといってきた。


 橋梁建設技術はこっちで提携してやるから。と。


 これはクレモナの未来への先行投資だ。

 そう自分に言い聞かせてバルデシオもやってきた。


 計画立案のために十四日連続で市庁舎に毛布一枚で泊まりこむこともザラだった。それが二年と少しで大団円に幕を閉じたと思った矢先に、ゴブリンの農場襲撃。しかも雲行きが怪しい。


「失礼いたします」

「ようこそ、クレモナ執政官」


 領主の椅子に座っていたのは、見目麗しい青年だった。


   §


「なあ、その面白くもない話、まだ続くのか?」

「おめぇが話を聞くといったから、話してんだろうが!」



 執政長室。

 ヴァンダーは締め切られたドアを魔法で解錠して、開けて入った。


「誰が入ってきていいって、いったあ!」


 事務方が聞けば落雷の如き怒声だったが、ヴァンダーは気にしなかった。


 見慣れたいかめしい顔が泣きそうだ。右手で剣を握り、左手で酒ボトルを握りしめて。肩どころか腰も膝もゆらゆら揺れていてまっすぐ立てていない。


 ヴァンダーは室内の血と酒の匂いに眉をひそめ、バーリ秘書官に水をはった洗面器に着替えとタオルを頼んだ。


「失礼。フェルディナンド・バルデシオが緊急事態のようだから、推参するぞ」


「頼んでねぇよ!」


 バルデシオのわめきを無視して部屋に入り、ヴァンダーは応接椅子に腰かけて、テーブルに頬杖をついた。


「ロッセーラから、通りで血染めで歩くお前を見かけたと聞いてきた。執政官の公務だから頼まれるまで動くつもりはなかったんだが、友人の窮地みたいだったから肩を貸しに来た」


「だから頼んでねえって!」


「まずその剣を離せ。といっても、どうせ血糊ちのりで離れないんだろ? 粉挽きギルドのせがれの時は、人を殺さなかったのか?」


「馬鹿か。あるわけ、ねぇだろうがあ……っ。親父の代は利権の取り合いとかでしょっちゅう殺し合ってた。おれはそれが嫌で、大学に入ったんだ」


「そうか。学校はフェルシナだったな」


「ああ。おれは学園都市まで逃げた。大学で建設学と政治学をとった。これでも優秀生十席の中に入って卒業したんだ。ロマーニャ政府からも参政の打診を受けたんだ」


「それは初耳だったな。いわなかったのは、蹴ったからか?」


「見りゃわかるだろが、今それを後悔してたんだよ。くそっ。あっちで官僚になってりゃ、こんな目に、親父や伯父貴みたいに人を殺すのが嫌で政治家になったのに。畜生!」


 力任せに投げつけてきたボトルを、ヴァンダーはそれをやすやすと受け止めた。一口飲んで、酒精に顔をしかめる。ラベルを確かめて、もっと顔をしかめる。グラッパだった。


 グラッパは、ワインを醸造する際に出た皮や種を用いて造られる蒸留酒ブランデーの一種だ。大抵は熟成させない無色透明で販売されるが、中には十数年かけて熟成した琥珀色もある。ぶどうの風味を残しつつも、かなりきつい酒なので、食後に少量ずつ飲まないと悪酔いする。それをバルデシオはラッパ飲みしているのだから、足腰が怪しくなるのは道理だった。


「お前。こんなのを執務室に忍ばせてどうしようとしてたんだ」


「橋の建設計画で泊まりこんで寝つけない時、コイツで無理やり眠ってたぁ」


 それは、眠るというより気絶だろ。やれやれと呑みかけボトルをテーブルに置く。


 そこへドアからバーリが洗面器とタオルを持って顔を出した。


 洗面器の中に焼き石を入れて少しぬるま湯にしてあった。些細だが機転の利いた気配りができる秘書官なら、バルデシオならずとも手放せないだろう。この悪友は人に恵まれている。


「バーリ、大丈夫だ。やけ酒で泥酔しかけてるが話はできる。ケガはしてない。あとは俺が引き受けた。みんなには明日の昼まで二日酔いで公務はできる状態にないと伝えておいてくれ」


「わかりました。市長をよろしくお願いします」


 ヴァンダーは洗面器をテーブルにおいて、心傷ついた猛獣を目で招き寄せる。


「もういい、ヴァンダー。おれを一人にしてくれ。ほうっておいてくれ!」


 ヤケ気味に喚き散らす酔っぱらいに、ヴァンダーは聞く耳を持たなかった。


「いいから右手を出せ。指の間で血糊が固まって剣が離れなくなってる。そんな物をいつまでも握り続けてるから、感情の制御ができないんだ。ほら、座れよ」


 ヴァンダーが、あごと目線で洗面器へ促す。


 しばらくバルデシオはふらふら、うろうろと室内を歩き回ったが、やがて気まずそうにそっと近づいてきて、剣が握られたままの右手を差し出した。


 ヴァンダーはうなずき、両手で拳を柄ごと洗面器につけて、揉みほぐすように洗ってやる。


「ヴァンダー……お前、人を殺したことは?」


「もちろん、ある。その酔っ払った頭で思い出せよ。俺は魔法使いだが、軍人なんだ。それも三十歳で衛翼将軍まで昇り詰めたんだぞ。その分、人も魔物も斬りまくったよ。生き残るためにな。だからって、人を殺すことになんとも思わなくなるって意味じゃない」


「そりゃあ……そりゃ、そうか」 


「何があった。聞いてやるから、聞かせろよ」


 それで先の前振りだ。政治家は前提が長くて本題になかなか入らない。たまらず声をかけたらキレられた。


「結局、領主は、そのアヴィド・カザヴォラを擁護しなかったのか?」


 バルデシオは洗面器で濁っていく水を酔眼で見つめながら、唇をぎゅっと固くした。


「カザヴォラは、最初から自分が主人に護ってもらえないことを覚悟してたみたいでな。村の窮状をその場で直訴を始めたんだ」


    §


「ご領主様、お聞きください。それがしの遺言でございますっ」


 カザヴォラは騎士として片膝をつくのではなく、罪人のように跪き、嘆願した。


 領民が困窮にあえぐなかで領主の奢侈しゃし贅沢ぜいたくが目にあまり、騎士団への給料も滞っている。あまつさえゴブリンの増殖を看過したことで、民の不満が溜まっていると。


 すべては二年の短期間で敷設を急がせた賦役によるものだと。


 それをいった直後、カザヴォラが鼻から血を噴いてもんどり打った。


 領主が騎士団長に靴を投げつけたのだ。

 バルデシオは呆然とその場に立ちすくんだ。


「黙って聞いてやってれば、つけ上がりやがってよぉ! この世界で領主が領民より贅沢して、なぁにが悪いわけ?」


 椅子の肘置きに頬杖をついて、若き領主は大息した。 


「民の生活が困窮してますってお前いってるけどさ。高級豚を食ったんだよなあ? オレに内緒で。しかも残りもちゃっかり売ってんじゃんよ。そこの市長殿がトロい衛兵長だったら、越境捜査権限もねぇだろうから、お前、逃げおおせられたんだよなあ?」


「そ、それは……っ」


「そうやって、クレモナから橋を渡ってくるゴブリンをちょいちょい討伐してきたわけぇ? 随分こなれてるよなあ?」


 暗い目でヤニ下がる領主に、バルデシオは寒気がした。クレモナの橋をわたってくる荷の襲撃の横奪が今回だけではない。余罪の可能性まで考慮してなかった。


「違いますっ。そのようなことは断じて。誓って野盗と成り果てたわけではございません。我々はベルモンド騎士団の誇りを貶めてはおりません!」


 騎士団長カザヴォラは名誉を傷つけられた怒気を放つ。

 領主の嘲笑は消えない。


「ふぅん、クレモナ市長じきじきに現場押さえられたら命乞いして、オレの前じゃ忠義ヅラで主人に説教カマスとか……ふん、盗人猛々しいって思わないわけ?」


「ぐっ。もはや不敬罪になろうとも、この訴えは――」


「ばーか」イルミナートは度し難い動物を見る酷薄な目で罪人を見る。「不敬罪ってのは国王陛下、王妃陛下、皇太子殿下、皇太子妃に対する王族侮辱や敵意を向けた言動に科す罪なんだよ。そんな事も知らずにテメーの罪状を誇らしげに並べるな。こっちが恥ずかしいわ」


「……っ」


「バルデシオ市長」口調が急に領主の威厳に変わった。「騎士団の手前、当家騎士団長をロンバルディア王国へ引き渡すわけにはいかぬ」


 ようやく交渉か。バルデシオが頭で論法を整理していると、


「だーが、騎士団の家畜横奪および転売は自供し、明白である。しかし先ほども申したとおり、騎士団は当家の貴重な手足なれば、この讒言ざんげん者一人で許せ」


 騎士団員への連座を避けることで、被害を押し止める取引か。軽薄そうに見えて頭の回転が早いな。


 いや、待て。讒言者だと?


「フェルディナンド・バルデシオ市長」

「ははっ」


 嫌な予感がして、全身から血の気が引く。

 イルミナート伯爵の昏い薄ら笑みを直視できなかった。


「首から下は、当家の紋章を抱容ほうようする騎士ゆえ引渡しはできぬ。だぁが、余に讒言をまくし立てた口汚い豚盗人の首だけは、今この場でそなたに進呈しよう。それがメッツァ家の決裁だ。執政官が罪人をこの場にて裁断をくだせば、ロンバルディア王国の審問官殿の面子を潰すことにもなるまい?」


「閣下、それは誠に、ご賢明なる裁可ではございますっ。しかしながら」

「だろぉ?」


 逆接詞を聞かなかったことにして、イルミナートはフロックコートを払うとベストポケットから一枚の板をとり出した。


「しもしもぉ? おれおれ~。これからうちで斬首刑やんだけどさぁ、見にこねぇ?」


 斬首刑。


 執政官みずから罪人をこの場にて裁断をくだせ、だと……っ。

 おれが、この男の首を落とせと。馬鹿な。馬鹿なっ馬鹿な!


 バルデシオは膝が震えた。



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