第16話 曲がった剣の思惑



「なんで、よりにもよってクレモナの執政官が処刑執行人みたいな真似を?」

「その方が面白いから、と命じられた」


 貴族、暇か。暇な上に脳みそ沸いてるのか。


「執政官権限で、処分を留保することもできたはずだろう」


 ひん曲がった血剣から血糊が溶けて、洗面器からテーブルに転がった。


 その後も、ヴァンダーはバルデシオの手をぬるま湯の中で揉み続けてやった。人を斬った感触は、血を洗い流したからといって消えるものではないからだ。


「アエミリア=ロマーニャ王太子コンスタンティンまでやってきて追認されては、おれに選択肢はなかった」


「王太子……わざわざフェルシナからか?」

「いや、ピアティンツァにいたそうだ」

「軍事拠点の視察か」


「そうらしい。王太子はしきりにリーゾの出来が悪いとイルミナート伯爵に愚痴っていたがな」


 ピアティンツァは、ロンバルディア王国との国境に位置する城塞都市で、別名〝ロンバルディアの刃〟と呼ばれる軍事拠点である。同時に、アエミリア街道とポストミア街道の二つの大動脈が交差する大陸北部の物流交通の重要拠点でもあった。


 それゆえ歴史ではヴィブロス帝国侵攻の際に三度蹂躙されたが、そのたびに復興した。メッツァ領とは目の鼻の先の大都市だ。バルデシオもツキがなかった。


 斬首刑が審問官から忌避されている理由は、この興行性にあった。


 死刑は見せしめであるから公開で行われるのが原則で、しかし貴族のみの刑罰なので民衆にとっては日頃の上級階級への鬱憤晴らし担っている、というのが一般論だ。


 だが本音では「他に娯楽の、あるでなし」ということになるようだ。


 余談になるが、これに似た公開刑罰で、むち打ち刑がある。

 こちらは軽窃盗などの軽い犯罪に用いられる刑罰で、受刑人は市中で裸にされ、柱に両手をくくりつけられて鞭で打たれる刑罰だ。


 鞭は硬い革製の棒状で、その一発は兵士でも悲鳴をあげる打撃力がある。回数は三十~八十回。受刑人が痛みのあまりに失禁して気を失う。さらに受刑人が女性や子供だと、刺激に飢えた観衆が集まってきて、その悲鳴ごとに投げ銭まである始末だ。


「それで、この大量の返り血か。何度打ち損なった?」


「……三度だ」

「初めてにしては上出来だよ」


「二度とやるか! サムのやつが実は力任せに大斧を切り落としてたんじゃないとわかって、なんか余計に嫌な気分になった」


 人の脛骨は存外硬い。下手に剣で叩いても骨は砕けるが、切り落とすまではいかない。なので斬首は骨と骨との間に刃をまっすぐ通さなくてはならない。言うは易しで、剣でひと息に首を落とすには、落とす側の胆力や技術が要求された。


 極端な事例だが、他国の公式記録には処刑執行人が一人の落首に十一回も失敗し、受刑人も死ななかった。無用の苦しみを与えたとして、激怒した観衆らに処刑執行人が殴り殺されたという事件も起きている。


 一般論として、人が同族の命を奪う生理嫌悪を殺すことは兵士であっても鍛錬が必要だ。いきなり貴族から「お前やれ」といわれて、やらなければ自分の首がぶとしても、覚悟が定まるはずもないのだ。


「せめてカザヴォラに手枷を架けておくんだったと、あとになって後悔した」


「なるほどな。手枷の木板が断頭台がわりにできたか」


「どっちにしても本当に金輪際、もう二度と、あんなことはやりたくねぇ」


「そうだな。お前じゃ無理だよ。お前は顔に似合わず優しすぎる」


「かっ、顔はほっとけよ!」


「それにしても。なにが悲しくて独身のおっさん同士で顔をつき合わせて、手を揉んでやってんだかなあ」


「それは、お前から言い出したことだろうがよっ」


 軽口を叩ける心持ちに戻ってこれたようだ。ヴァンダーは微笑しながら揉み続ける。


「俺もな、初めて人を殺した時、こうやって師匠に湯の中で揉んでもらったんだ」


「そう、かよ」

「その時、俺が殺した相手は、魔族だった」

「いきなり魔族か。魔術師の弟子もつれぇな」


 俺は悪友の恐怖を揉みほぐしながら、


「王都で四、五人を率いる小さな野盗だった」


 被害は大商家や貴族ばかりで、衛兵たちはきりきり舞いさせられた。民衆は痛快だったろう。

 だが、そのせいで守衛長が責任を取らされて絞首台にのぼった。


 人の情がわかる、いい守衛長だった。


 一方で、その魔族たちは民衆から義賊と持て囃され始めだした。

 盗んだ金をばらまいて味方につけていた。いわゆる買収行為だ。


「それを聞いて、さすがに師匠も動いたよ」


「王国の秩序を守るため、か」


「ああ。魔族はこの世界の秩序をあっさり揺るがすことができる連中だ。今回は魔族と無関係そうだが、やはり誰かがケジメをつけなければ、この事件は終わらなかったと思う」


「それはそうだがよ……なんで、おれなんだよぉ」


 バルデシオがしょげた声を洩らした。


「そのカザヴォラという騎士が大人しく罪を受け入れず、向こうの領主がぐずぐずと処断してなかったら、数日後にはメッツァの町で暴動が起きていたかもな。カザヴォラを助けろ、と」


 困窮してることなんて誰にいわれるまでもなく、領主が気づかないはずがない。暴動が起きれば武力で弾圧するだろう。内乱になれば弱者が隣接するクレモナに押し寄せて、少なからず町に被害が出ていた、特にフェルシナ方面の交易は直撃だったろう。


 ロンバルディア王国だってポー川に架けた橋建設費用は出している。なにより軍事拠点ピアティンツァのお膝下で通商の橋の両岸で事件が起きれば、国境緊張の呼び水にもなりかねなかった。


 だから領主は荒療治でも、即座に火消しする必要があった。


 即日に処断できるのが、王都審問官の代理執行令状という広域権限を持って現行犯逮捕した隣国の執政官しかいなかった、というわけだ。


「くそっ、こっちの大義を利用して反乱の芽を潰すのを手伝わされたなんて、むかっ腹が立つ。おまけにあいつの口ぶりは〝ル・ジッコ・デル・ロト〟でも開くノリだったぞ」


 ル・ジッコ・デル・ロトは、魔族でいうところのビンゴ大会だ。マコトと牢の石壁で背中合わせになって遊んだものだ。


「確かにそんなノリで王太子まで来こられても、たまらないな」


 ヴァンダーがつぶやき、二人して嘆息する。


「そういえば、イルミナート伯爵は妙な板で相手と話してたぞ」


「板で話を?」


「ああ。これくらいの、薄い板だ。そしたら〝バス〟とかって大型の箱馬車で王太子と他の貴族がやって来た。もしかすると、あの貴族たちは……」


 ヴァンダーはタオルで悪友の手を拭いてやると、自分の手もぬぐった。洗面器は赤黒く濁った。


「魔族かもな。すでに隣国の王族までその手合いなら、できる限り知らぬふりをして、関わらないのが長生きの秘訣だろう。下手に絡まれて国境を脅かされたら、目も当てられん」


 とはいえ、うちも近日、王位に就ける予定の魔族を抱えている。あまり他人事じゃなかった。


    §


「友人として支えてやるにも節度は必要だぁ!」


 ローマ広場に首桶を届けて帰宅すると、ロッセーラが腕組みの仁王立ちで待ち構えていた。

 もちろんヴァンダーも誰のセリフか忘れていない。


「ただいま、店は」


「酒の仕入れが間に合いませんでした、くやしいですっ!」


「わかったわかった。話して聞かせてやるから。奥からいい匂いがするな」


「あの子が、パタータで夕飯作ってる。マーレファが薪コンロを手伝ってたよ」


「あの師匠が料理を?」


 手伝ったのか、俺の弟子時代はしなかったのに。ヴァンダーは軽く嫉妬した。

 しばらく待っていると、焼けたチーズのいい匂いが漂ってくる。


「おっ、これはうまそうだな」

 

 出てきたのは、底浅の大皿でカレンみずからケーキのように切り分けて小皿にもってくれた。湯気が甘く香ばしい。


「ラザニアも久しぶりだな」


 ひと口いれてホロホロと口の中で崩れる食感に目をみはった。


「なんだ、これ。マカロニじゃない、パタータだ。それにこれ」

「そう、お米っ。ロッセーラさんが買ってくれたの」


 カレンの満面の笑顔で応じる。ひとりで勝手に市場に出かけていった失言にも気づかず、嬉しくて仕方ないようだ。


 コメとはリーゾのことだったのか。


「どう?」

「うん、うまい。子供好きのロッセーラが酒を買う金をリーゾに使っただけのことはある」


 最後のは余計だったらしく、横から酒場の女主人に背中をバシンとはたかれた。


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