第13話 チンタ・セネーゼを追って



 早朝。

 畜産市場に殺気立った馬蹄がなだれ込んだ。


 クレモナの川向こう、メッツァ領の南にあるカセヌオーヴェという市場だ。


 ここではメッツァ修道院の主管で六日に一度の市場メルカートが開かれる。これを六斎市というが、実際には商品を品目ごとに出店日をずらして毎週四日間は何かしらの見世棚が顔を出している。クレモナも同じように修道院の主管で六斎市を開いていた。それはともかく。


「クレモナ執政官フェルナンド・バルデシオである。王都審問官の上意により午前の豚競売を差し止め、捜査する」


 白い正装服のバルデシオが、豚の競売人に馬上から羊皮紙の令状を開いて見せる。


「ちょっ、ちょっと待ってくだせえ。あっしらはそんなこと、司教様からも領主様からも一言だって聞いちゃあいませんよ!」


「これは王都審問官の代理執行命令状だ。領主カステルヴェドロ=メッツァ伯爵への伝達は捜査が終わった結果報告でよい。チンタ・セネーゼ豚の柵へ案内いたせ。皆のもの、かかれ!」


 バルデシオの号令で騎士たちが下馬すると、彼らの殺気が競売人を圧倒した。


 チンタ・セネーゼ。

 大陸中部国トスカーナ大公国由来の古代種(家畜化されていない品種)で別名・山桃豚とも称される肉質の良い高級食用豚だ。主に燻製品は大商家や貴族から香りが良いと評価され、珍重されている。


 そのため飼育には放牧が絶対条件、一定の広さを持つ森が必要で、トスカーナ大公国は飼育免許の条件に森の所有登記簿を要求するほどだった。


 チェルス家は代々、マリステラという森そのものを柵で囲い、放牧場にしていた。


 また条件の中に、チンタ・セネーゼ豚には持ち主を示す焼印を絶対に押してはならない。というものがある。焼印は豚を傷つけ、肉質を落とすからだ。


 では、バルデシオたちはどうやってチェルス家の豚を探し出すのか。


「市長。こちらにございました。チェルス家の盗難品で間違いありません」


 呼んだ騎士のところへバルデシオが豚競売人と向かうと、魔石にかざされた豚の尻で紫に光る図形章が浮かび上がっていた。


 魔法刻印という魔術式だ。刻印という名だが肌を直接刻むことなく、魔法陣前段階である幾何学模様に魔法薬を吹きつけることで定着させる。その後、魔石をかざすと青紫色に発光する。


 定着有効期間は一年。チンタ・セネーゼ豚の生育期間は、一般豚が六ヶ月間のところ九ヶ月間を要するので、豚にストレスを与えず長く所有を公証できた。


 この術式の主な用途は高級奴隷商人の慣例手段として、奴隷の所有権を公証するものだった。


 なので、施術費用が高い。


 クレモナの町にヴァンダーという魔術師がいなければ。


「おい、ちょっとこっちで話を聞かせてもらおうか」


「うえぇ、勘弁してくださいよ。旦那ぁ。こっちは来る豚拒まず、品種さえわかれば出どころなんて、いちいち聞かずに買ってるんですから」


「いいから来い。売りつけた相手の面と金の受け渡しを訊ねるだけだ。ビクビクすんじゃあねえっ」


 拝んで命乞いを始める競売人を、強面の執政官が奥襟を掴んで引っぱっていく。



 一方その頃。

 ヴァンダーはトリエステ通りとダンテ通りの朝市場に出て、カレンに市街の風景を見せていた。


 昨日まで四歳くらいだった小娘は、今朝になって八歳ほどになっていた。


 この急成長が魔族と呼ばれる理由の一つだ。だがマーレファもヴァンダーも驚かなかった。


 マコトは三歳サイズでこの世界に生まれて、五日間で十四歳となり、そこから成長が止まったといっていた。


 前の世界とやらで死んだ年齢体型まで成長は進むらしい。そこからが彼らの再生人生なのだろう。おそらくカレンもまた明日になれば九歳か十二歳くらいになっているのかもしれない。


「うわあ、きれい!」


 大通りに面していないトリエステ通りでは、花と青果の見世棚が軒を連ねる。腕に座らせたカレンは目を輝かせていた。


「何か欲しいものがあったら、買ってやろうか」


「いいの?」


「昨日、ゴブリンを二匹倒しただろう。勝利報酬だ」


「そういうのって、敵からドロップするもんだと思ってた」


 なんだそりゃ。


「あ、あれがほしい!」


 そういって指さしたのは、パタータが山と積まれた見世棚だ。


「パタータなら、まだ家にもあっただろう?」


「そっちじゃなくて、その奥のアレ!」


 強く指さすので、見世棚に近づいていって、店主といっしょに指の行き先を見る。

 木箱の中に麻袋を広げ、その中に形の悪い小さなパタータが詰まっていた。


「ヴァンダー様。それは、間引きし損なってた出来損ないなんですよ」


 店主が気恥ずかしそうに顔をしかめる。


「あれがいいのっ。あの〝ジャガイモ〟がほしいのっ」


 カレンが目に涙をためて訴える。ヴァンダーがおろしてやると小娘はとてとてと走り出し、見世棚の裏の麻袋から土がついた不揃いなパタータを両手に掴んで抱きしめた。


 小さな背中が語る思いは、子どもの無邪気だけでは片付けられない切実さがあった。


「この世界に来てやっと、わたしの知ってる物に再会できた」


 さっぱりわからん顔をする店主と一緒に、ヴァンダーはしかし、彼とは少し意味の違う肩をすくめた。


「アベレ。あれ、いくらだ」


「えっ。いや、いいですよぉ。どうせ売りもんにもならないし、旦那に差し上げますよ」


「そうか。じゃあ、あの袋だけで銀貨三枚な」


 店主の手に銀貨を押しつけて、ヴァンダーが木箱から麻袋を引き上げた。


「わたし持つ!」

「重いぞ? 服だって汚れる」


「いいの、持ちたいのっ」


 麻袋を預けると、少女は下から受け止めたまま尻餅をついた。


「想像以上に重かったあ。へへっ。きっとわたしがまだ小さいからだね」


 楽しそうに笑う。売れないパタータで。変な娘だ。ヴァンダーも苦笑する。


「これ、どうする気だ?」

「植えるの」

「は?」


「裏に厩舎あったよね。あそこのそばでいいから。植えさせてくれない?」


 こいつ、俺の家にずっと住む気か? ヴァンダーは戸惑った。


「あそこはだめだ。あの土地は練兵場にしてるんだ。衛兵やら王都騎士やらがたまに二十人前後でやってきて、俺が稽古をつけてる。もともと耕作地にも向いてなくて遊ばせていたのを、頼まれて二束三文で買ったんだ」


「そうなんだ。むぅ~。宝の持ち腐れかあ」出来損ないのパタータが宝とは。


「まあ、待て。そういえば、家具も作りたいんだったな」


「そうっ。家具もいいよねえ」


 気が多い。まあ、八方塞がりよりはいいが。笑顔も自然と出るようになって楽しそうだ。

 その時だ。ヴァンダーはふいに血のにおいを嗅いだ気がした。


 右手に麻袋。左手に小娘を抱えて、周囲を警戒する。


「ヴァンダー、どうしたの?」


「いや……気のせいか」



 帰宅して、昼食後。

 ヴァンダーは自身がオーナーをする家具屋から、使わない廃材で箱を作り、玄関先のポーチにおいてやった。


「これ、プランターだあ! しかも底が一枚板じゃなく二枚で水抜きのスリットまで入ってる、渋すぎ」


 カレンは歓喜きわまって箱の中に飛びこみ、すっぽりと小さな体を収めた。

 猫か。棺桶か。ヴァンダーは手で顔をおおった。


「明日、チェルス家に慰問に行くから、ここに入れる土をもらってきてやるよ」


「あたしも行く! 土の目利きなら任せて」


「あー、わかったわかった。もういいだろ、さっさと箱から出てこい」


「じゃあ、その時のために砂利とか腐葉土とか見つけておかないと」


「フヨウドって何だ? いい加減そこから出てこいよ。今日からその箱で寝起きする気か?」


 そこへ、ベルガモ通りの方から酒場の女主人ロッセーラがやってきた。

 赤褐色の髪に小麦色の肌をしたベリーダンサー。剣の腕が騎士に匹敵する砂漠の民であることを口にするのは、彼女の客にはいない。


「ヴァンダーっ!」

「ロッセーラ、やけに慌ててどうした」


 女主人は二人の前で膝に手をおいて息を切らせる。起伏するたびに服の谷間がゆっさゆっさ。最近修練を怠っているのがバレバレだ。


「バルデシオが、血だらけで、戻ってきたっ」


「なんだって? ケガの具合は」


 ロッセーラはかぶりを振って、


「バルデシオにケガはなさそうなんだけど、抜き身の剣と……誰かの首、持ってた」


 後半が要領を得ない。


「あいつは今朝、執政官として王都審問官の代理執行にいったんだぞ。なんで処刑執行人みたいなことしてるんだ?」


「あたしだって知らないよっ。それでさっきカドルナ広場に現れて、ローマ広場の通りのほうへ歩いていった。通行人が大騒ぎよ」


 乗っていた馬は。たずねたら、馬みたいに頭をぶるるとふられた。


「それで、ロッセーラは買い物してたのか?」 


「そうなんだけどさ。あっ、ヤっバ! 新しい酒発注してくるの忘れてたぁっ」


「行って来いよ。そして店を開けろ。俺はバルデシオから頼られれば動いてもいいが、頼まれないうちは動かないことにしてる。お前だってそうだろう?」


「そりゃあ、まあ、そうだけどさ……」


 頬を染めるな。そういう意味じゃない。


「友人として支えてやるにも節度は必要だ」


「それはまあ、そうかも」


「ただ面倒事になってるのは、わかった。伝えてくれてありがとうな」


 ロッセーラが片手をあげて駆け出して去っていくと、ヴァンダーは玄関のドアを開けた。


「師匠を呼んできてくれ。市庁舎へいく」


〝了解〟オゥカピート


 いつの間に言葉を覚えたのか。やはり子どもの成長は早いようだ。



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