第12話 対岸のゴブリンと豚の行方
川が近づくにつれて、水流の音が強くなった。
地下水路を南へ進んでいくと三十メートル先の側道にゴブリンが二匹、立っている。
「あんな所に脇道があるのか」
ポー通りは倉庫街だ。地下に通じるタテ穴があるとは聞いたことがなかった。
それにしても、ゴブリンがなぜあの脇道を見張っているんだか。
「とにかく百ゴブリンは一見にしかず、よね!」
「お見事」
マーレファとカレンが背中でハイタッチする。
まさか
ありえない。遠隔式が無属星術式とは言え、[火]から[風]へあっさり応用できるのか。
ヴァンダーは小さく頭をふり、そっと吐息すると、油断なく金棒を構えて脇道を伺う。
脇道は細い通路となっていて、奥に急階段がある。階段の先、上階から女のすすり泣く声が洩れていた。それにしても妙な作りだ。川から地上へ揚げたものを、また地下へ運びこむ必要もないはずだ。もしかして密輸倉庫か。
「師匠」
「ええ、カレンは預かります。〝
ヴァンダーは背嚢をおろして身軽になると、両手で金棒を構えて階段で待機する。
マーレファが右手に白い光球を作ると、弟子の背中ごしから地上へ投げこんだ。
ぎゅわ!
先程の女性ではない複数の濁った悲鳴がおきた。
ヴァンダーは突入するや、眩しさでのたうち回るゴブリンの頭を五つ、叩き潰す。
残るゴブリンは三体。うち一体がシャーマン。奥の壁際に、目を覆う女性が二人。チェルス家から連れ去られたエステラとパオラ母娘だ。
金棒を受けに構えると、いち早く立ち直ったシャーマンが詠唱を始めた。
ヴァンダーはダガーを腰から抜きざまにシャーマンへ投げつけた。細いしわ首を刃が貫き、小さい体がもんどり打った。その間に、残った二匹も片づける。
「群れに指揮官クラスのシャーマンが混じってた時点で、対岸の巣は
シャーマンの頭を踏みつけてダガーを引き抜き、絞りでる悲鳴ごと踏み潰す。人では固い頭蓋骨も、ゴブリンならあっさり砕けてしまう。
ゴブリン退治は頭部破壊が基本、死んだフリを得意芸とする連中の頭に詰まっているのは、欲望と狡猾のみ。情はかけるだけ時間の無駄だ。
「うう、ヴァンダー様っ!?」
エステラの緊張した声で、振り返るとマーレファが背嚢を背負って登ってきた。
「ご安心ください。私も救援です。連れ去られたと伺いましたが。ここで何を?」
「わかりません。ただここに連れてこられて、何かを待っているようでしたが」
「ゴブリン、なんか相談してたよ」娘パオラが涙声でいった。「下っぱがこれ以上先に進めないみたいな素振りしたら、そこのゴブリンが杖で
「パオラ。……すみません、子供の言うことなので」
「いえいえ。案外、的を射ているかもしれませんねえ。――ヴァンダー、舟です」
「了解」
ヴァンダーは急階段から地下へ戻ると水路を走り、川岸にでた。
ポー川の斜陽が射しこむ。そこに突然、
ヴァンダーは後ろ歩きのまま詠唱する。
〝
煉獄の怒りもて 卑劣なる侵犯を燃やし貫け〟
――
振りかぶった体勢から前に繰り出された拳から火炎の団塊が放たれた。
炎弾が舟の舳先を圧壊させながら水路から川へと押し返す――だけでは終わらず、対岸まで押し流し、下流にあるポー橋の手前で爆発四散した。
乗っていた十匹のゴブリンたちが川面に投げ出されて次々と水柱を立てた。
「ヤツら、対岸から地下水路の鉄柵を舟で強行突破してきたわけか」
ヴァンダーは水路口の破れた鉄格子を[火]魔法で溶接補修する。
戻ると、ちょうど水路の脇道からチェルス母娘が現れたところだった。寝間着がひどく引きちぎられていて、地上を歩ける状態ではなかった。
「師匠」
「水路口は封じましたか」
「はい。間一髪でした。ゴブリン十匹を乗せた漕ぎ舟が突っこんできたので対応しました」
ゴブリンの体質属星は
一匹がほんの好奇心で舟遊びをしていたら舟が岸を離れて対岸へ突っこんだ。だが川は渡れることを知った。あとはここへ流れ着く術を試行錯誤したのだろう。
ゴブリンの恐ろしさは、人にひけを取らないほどの学習速度の速さだ。
だがゴブリンは学習した知識を集団共有しない。個で独占する。
戦いは仲間が思いついたのを見て、盗む。教え合うという提案思考がない。それが魔物の限界だ。
さっきの強襲で水をおそれず、舟をあつかう知恵をつけたゴブリンは全滅したはずだ。
「ここの地下水路はしばらく無事でしょう。次善策はバルデシオと協議が必要のようです」
「マーレファ、お腹すいたぁ~」
師匠の背中でカレンがぐずり始めた。
「私もお腹が空きました。途中まで彼女たちを送ってから帰りましょう」
師匠は背嚢を負い直すと、チェルス母娘を追っていった。
居候、わが物顔で、帰路につく。
ヴァンダーも後に続くが、おもむろに後ろを振り返った。
「ゴブリンが水の危険を顧みず、対岸の農場を襲った。それなら向こう岸は、戦場か?」
その夜。
バルデシオが、ワインと〝トルタ・クレモナ〟を持って報告にやってきた。トルタは、切り分けて食べる焼き菓子のことだ。クレモナの伝統的なトルタはナッツとあんずジャムが特徴だ。
冒険報酬に、カレンを含めた子どもたちは大喜びだ。執政官は顔こそいかついが、マメな心配りができるあたり、やはり人心掌握に
「チェルス夫人に懇願されて、小作人たちを起訴猶予にした」
ヴァンダーたちが危惧したとおり、チェルス家から蓄財と契約証文がなくなっていることが、衛兵の調べでわかった。
チェルス家の終焉を悟り、小作人らは金品を盗み出したことを認めたが、主人殺しは否認した。
「そしたら逮捕の直前に、連れ去られたチェルス夫人と娘が戻ってきてな。死んだものと諦めていた衛兵も小作人たちもびっくり仰天だ」
チェルス夫人はボロボロの姿のままで、衛兵に頼んだそうだ。
『夫の葬儀が終わるまで、いえゴブリン騒ぎが終わるまで、この件は少し待ってもらえませんか。今は手近な人手がほしいのです』
『しかしですな、奥さん』
『ゴブリンたちは川を渡ってやってきたそうです』
『川を渡ってきたですって? その話を誰から』
『私たち親子をゴブリンから救い出してくださった、
「――というわけで、飛んできたわけだ。うまくやってくれたようだな」
ワインの酌を受けつつ、ヴァンダーは渋い顔を浮かべた。
ライザー家といっしょに夕食をとる。今夜はマルビーニ・イン・ブロードだ。肉と野菜で出汁をとったブロード(スープ)にひき肉のラビオリを浮かべる。ごちそうと言うほどではないがロンバルディアではごく一般的な家庭料理だ。家庭によっては週四日という所もあるようだ。
「なんだよ、〝屠竜〟。やけに浮かない顔だな」
今回の功労者は、満たされた酒を舐めると、
「俺と師匠が市街の地下水路で潰したゴブリンは十二。倉庫街で十。そして舟でこっちの町に移ってこようとした一団が十だ」
「んー、全部で三二、か?」
「そうだ。バルデシオから最初に聞いた報告とジェルマーにも確認をとってクレモナに現れた規模は
「残りは十八。それがどうかしたのか?」
「そう。十八だ。チェルス農場の、豚の数だ」
「ん、てことは……ゴブリンはチェルスの農場から二手に分かれた。豚は陸路かよ」
ゴブリンライダー(豚)である。ヴァンダーは我が意を得たりとうなずいた。
「そして、もう一方は水路を選んだ。ところが対岸に撤退する舟がなかった。急遽、十匹が対岸に渡り、なんとか舟を調達して戻ってきた所を俺と出くわした」
酒の入った執政官の赤ら顔に酔いとは別の、怒りがたまり始めた。気づいたらしい。
「昨日から今日にかけて、対岸の橋番から通報は?」
「ない! メッツァ伯爵めっ、なんのために橋を検問してやがるんだっ」
「バルデシオ。頭をよく冷やして聞いてくれ。まだメッツァ家の不手際と決まったわけじゃない。対岸のゴブリンがこっちに来た事態こそ、もっと重く見てくれないか」
「対岸のゴブリンをもっと重く?」
「そうだ。〝対岸の火事〟って言葉があるだろ。だが今回はその火事が舟に乗ってこっちに飛んできたと考えてみてくれ。幸い、火は払えたが犠牲が出た。チェルス農場だ」
「主人と、豚十八頭……対岸の火事はあらかた燃え尽くし、燃えひろがる燃材を川向うへ探してた?」
ヴァンダーは神妙にうなずいた。
「もし、だ。もし仮にゴブリンが深夜、対岸のクレモナを襲い、チェルス家の豚を奪って橋を渡ることをたまたま見ていた奴らがいたとしたら、今回、その豚たちは橋を渡ってゴブリンの胃袋に収まったと思うか?」
「なにぃ? おいおいおいヴァンダー、まさか橋の検問官が、ゴブリンの上前をはねたってのかあ?」
「今さっき自分で言ったろ。対岸の火事はあらかた燃え尽くした。だとしたら、焼け野原に残された人間たちも飢えてると見るべきだ。だが十八頭もの豚をつれて越境したゴブリンから横奪できたとして、人が一夜で処理する方法は限られてる」
「朝市の競売っ。だが生憎、明日からクレモナで開かれる六斎市は生花と青果だ。となれば、川向こうのメッツァ領カセヌオーヴェ市場だっ。よしっ。今夜中に代執行令状を書き上げるぜ」
バルデシオは酒のグラスをひと息に乾すと、悪友の肩をひとつ叩き、しっかりした足どりで家を出ていった。
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