第四章 リーゾの花が咲く前に

第41話 わたしが目指すべき無双世界



 死にたくて、死んだんじゃない。

 やり直せるなら、もう一度農業がしたい。


 野良仕事なんて肉体労働で大変なことばかりだけど、実りの喜びを知ってる。

 また食べる物を自分で創るところから始めたい。


 でもあの女神のお品書きアラカルトに、農業はなかった。

 そのかわり農業をするためのスキルなら、あった。


 わたしは、それらを手当たり次第に選択し、この世界に来た。


 本日の成長。転生ガイドに、曰く


capire: [軽装歩兵Ⅱ]武器や鎧の重さを中度に感じなくなる

    [格闘蹴撃Ⅰ]剣技の補助としての蹴り追撃。パッシブ低

    [土星魔法Ⅰ][風星魔法Ⅰ][水星魔法Ⅰ][火星魔法Ⅰ]


eos:[門衛兵士]称号


evolutio:[緑の手Ⅲ][植物図鑑Ⅲ]


capire: [豊穣神の加護]育てた作物が上質になりやすい

    [秘密の花園]魔法薬の素材になる希少植物を育てる


 チェーザリ家騒動の後、くたくたになった夜に獲得スキルが表示された。

 やっぱり獲得するスキルはどれも剣士と魔術師クラス用だ。


 そもそもが、だ。


 農業に必要な土地面積が洗濯桶三つとプランターしかない家庭菜園どまりの現状では、農業関連のスキルを刺激することなんて、できっこない。


 それに魔法各種詰め合わせといっても、具体的にどんな魔法が使えるかは一切ない。魔術書を読んで覚えたら使えるという意味らしい。いわゆる素養だ。

 そのことをマーレファに説明したら、無から魔法をひらめいたらゴブリンシャーマンだと気味悪がられた。


「魔法は日常会話ではありません。先達の叡智の源泉である書を開かず、文字をそらんぜずして、どうして習得できるというのです」


 ごもっとも。


 それから転生時から持っていた初期スキル[緑の手Ⅱ]と[植物図鑑Ⅱ]がついにランクアップした。Ⅲまで上げて転生したかったけどポイントが足りなかった分が今ということのようだ。


 この[緑の手Ⅲ]獲得にともない、[豊穣神の加護]という派生スキルを獲得した。これにしても、マーレファの言葉が身にしみた。作物を育てなければ、上質にもならない。


 よって、土を耕さずして実り無し。農業スキルなんてご都合主義は存在しない。証明終了QED


 絶望した。


 おまけに農業に固執したせいで、言語をとり忘れたことをマーレファに言われるまで気づけなかった。それでも、あの自堕落な吸血鬼は、わたしよりも前にこの世界へ転生者から日本語を教わっていた。

 なんて、ご都合主義があるんでしょう。女神ざまぁ。先輩転生者に感謝したい。


 そしたらその先輩とは元魔王――佐藤さんだったらしい。なんという偶然。まさにご都合主義的展開のパレードだよ。


 だからわたしは、彼女にリスペクトしなければならない。

 彼女にならって自分のやりたいことを目指すんだ。


「実際に、米づくりは、できちゃってるんだよね」


 でも何か足りない。どこか寂しい。少しも満足が得られない。自分が真に目標とするのは米づくりだけではない。その先にこそ、わたしの目標がある。気がする。


「ねえ、今あるスキルから派生したスキルってないの?」


responsum: [緑の手Ⅲ]→[豊穣神の加護]

      [植物図鑑Ⅲ」+[品種改良Ⅱ]→[秘密の花園]


「[品種改良Ⅱ]。そんなの獲ったっけ?」 


responsum:[品種改良]育てた動植物の弱点を打ち消す(ただし専門の道具や魔法薬が必要)


「もぉ、〝植物〟の単語だけ抜き出してスキル獲ってたな。わたしも道教のこと笑えんなあ」


 転生したら農業スローライフするつもりで、初期段階から植物系スキルを獲って、初期ボーナスポイントを集中的に割り振って進化させてる。忘れてた。道教と発想が瓜二つで笑えない。


「だ、大丈夫よ。米づくりはお祖父ちゃんの知識がまだ残ってるし、昨日の修道院の薬草学講義でこの世界の農業水準もだいたい理解した。なんとかなるわよ、きっと」


responsum: ……。


「なによぉ。言いたいことがあるなら言いなさいよぉ」


responsum: [植物図鑑Ⅲ」+[動物図鑑Ⅱ]→「博物図鑑」(未達)


「は? 図鑑? ちょっと何言ってるかわからないですけど」


 responsum: Fungi animalia in hoc mundo collocantur.


「フンギて、たしかぁ……ラテン語で菌類のことでしょ、えっ!? もしかしてこの世界で菌類って動物扱いなの、なんで?」


 わたしは素っ頓狂な声をあげた。


 前の世界において菌類は生物だ。でも植物にも動物にも分類されない「第三の生物」と位置づけられていた。例えばキノコも、以前は葉緑素を持たない分類学上の下等「植物」と位置づけられていた。


「ていうか、それ以前に、この世界の人たちはカビをカビとして認識すらされてない気が……。とすると、あれか。天使の分け前とか悪魔の取り分的な妖怪じみた……あーっ、麹菌!」


 道教とのウイスキーと日本酒の話を聞いていたらしい。転生ガイドが何を言いたいのか、ようやく合点がいって、わたしは目を見開いた。こいつ、天才か。


「[博物図鑑]が手に入れば、アスペルギルス菌の見分けがつくわけね」


responsum: Ita.


 アスペルギルス菌。

 前世界一八七六年にドイツの生物学者ヘルマン・アールブルクが微生物として分離した不完全菌の一群の総称で、わたし達が一般的なカビといったらコレを指す。


 アスペルギルス菌は種類が多く、大半は未分類のまま。有毒無毒に限らず空気中にあり、天然環境ならどこにでもいる。その中で毒性が強いものが肺に入れば重病化する怖い症例もある。

 アールベルク博士は日本で、種麹たねこうじのアスペルギルス菌群からニホンコウジカビを発見した。


 日本における「麹」とは、広義には発酵食品全般、狭義では日本人がアスペルギルス・フラバスを〝家畜化〟して伝統的に発酵食品に使用してきたニホンコウジカビと、同じく日本で使用されてきたショウユコウジカビを特定して指すそうだ。


 そう、発酵食品だ。――日本酒、みりん、お酢、醤油に味噌だ。


 種麹の発生には蒸した米が適している。麦や大豆でも繁殖は可能だけど、なにより良質なデンプンだ。そして味噌とお醤油。このロンバルディア王国にはすでに米があった。高いけど。


「よし、いけるかもっ。わたしはこの世界に、日本を創ろうっ!」


 この世界の料理は肉と魚。でもそれらは塩漬け製品。そこへバターとにんにく、唐辛子にマスタード。塩胡椒の調味料をこれでもかとぶっかけて、エールで流しこむ。チーズは直接かじるもの。


 パンは町内共有の石窯で燃料と小麦を持ち寄ってみんなで焼く。柔らかいものは高級品。保存用の場合は膨らまないので黒くて固い。おまけに修道会から税として徴収される場合もある。

 そんな食文化だ。


 一方で、味覚に作用する調味料の価値が高い。塩からして胡椒ほどでないにしても高い。低所得者層はきっと無塩で食事をしてるはず。

 砂糖にいたっては、まだお目にかかってない。たぶん薬扱いされてる可能性が高い。一度だけバルデシオがくれたケーキはかろうじて砂糖の果実ジャムの味だった。


 影武者でも一国の王になれば、その辺の物産情報も手に入るかも。

 この比較的自由な一年、無駄にできない。


「カレン……ねえ、カレンっ?」

 目が覚めると、佐藤さんの顔があった。

「大丈夫? だいぶうなされてたよ、どうかしたん」


 わたしはベッドから上体を起こす。


「佐藤さん、わたし決めました」

「は、決めた? 決めたて、何を」


 自分の掌を見つめて、力強く握りしめた。


「わたし、この世界の人たちの胃袋を征服する魔王になります!」


「……寝ろっ」



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