第2話 魔族とよばれた少年



 一年前。

 ヴァンダーは、地下牢に降りていった。


 昔、王都マイラントで捕縛された魔族が、牢屋の錠を髪につけていた髪留めでこじ開けて脱獄したことがあった。まだ十七歳くらいの若い女だった。


 再逮捕され、脱獄の罪で首を刎ねられた。断頭台で狂ったように笑いながら。


 魔族とは一体何なのか。師匠の知恵をもってしてもいまだよくわかっていない。


 それからしばらくたって、また魔族の少年が捕まった。


 会っていきなり言葉をまくし立て、通じないとわかると身ぶり手ぶりで剣をよこせといってきた。当然、ヴァンダーは拒絶した。それを示すために剣を牢屋の外に投げ捨ててみせた。


 すると今度は補助のダガーをよこせと指さす。刃物なら何でもよかったらしい。もちろん拒絶した。少年は癇癪を起こして、自分の指先を歯で噛み切った。


 その血で、床に文字を書き出した。


「あ……い、う……え、お。 ワカルカオッサン?」


「a,i,u,e,o」


「アハハハッ、ソウダヨ、オッサン!」


 少年は涙を流しながら破顔して、赤い文字を次々に書いていく。

 魔族にも言語がある。それを報告した時、閣議は大騒ぎになった。


「ヴァンダー。もっと情報を引き出すのだ」

「おい、グラッグ。俺は牢番じゃねえぞ。あと呼び捨てにすんな」


「だまらっしゃいっ。若造が右尚書のワシに楯突くではないわ!」


 右司馬・翼衛将軍は右尚書と同格だ。三十も離れた同僚は、さぞ気に入らないことだろう。


 魔族の少年は、ソウヤマコトと名乗った。


 警戒心を溶かし、会話を理解するまで二ヶ月ほどかかった。食事も市場から買った物を運んでやり、炭と亜麻あま布も用意してやった。


 マコトはうれしそうに文字や絵をかいて自分の境遇を話す。どれも知らない異界の絵だ。


「ボク、学校が嫌でさ、でも好きな男子がいて、頑張って通ってたんだ。でも夏前にその子にカノジョがいたことがわかってさ。そしたら何もかもどうでも良くなっちゃって。二学期が始まる朝にビルから飛び降りたんだ」


「びる、とびおり……死んだ?」


「そう、死んだ。死んだはずだった。そしたら……女神が現れた」


「めがみ?」


「うん。女の、人? 胸と尻がやたらデカくて、顔が暑苦しい感じの」


 そんな人心をたぶらかしそうな神がいるなら、邪神なんじゃないのか。


「そのめがみが、ここに?」


「うん。ここに転生してくれたらしい」


「テンセイ?」


「死んで、生まれ変わること。生まれ変わるって、こっちの死生観は違うのかな」


「マコト。テンセイガチャシッパイ、これ何?」


「てんせいがちゃ? あ~。はははっ。うわぁ、最悪っ」


「これ何?」


「この世界に生まれ変わるのはたぶん、運なんだ」


「うん?」


「そう。運だ。えーと、ヴァンダーにどう説明すればいいんだろう。幸運、偶然?」


「こううん、グウ、ゼン?」


「予想できないこと。じゃあ、こういうのはどうかな。ボクらは死んで、この世界に生まれ変わった。だけど、その生まれる場所や時期までは選べないんだ」


「生まれるばしょを、選ぶ?」


「そう、この世界の男と女を親にして生まれることもあれば、幼い子供の状態のまま森の中で生み落とされることもある。貴族に生まれたり、貧しい家に生まれたりさ。たぶんね。そのどこに生まれ変わるかもわからない、誰にも予想できない仕組みを、その人達は〝ガチャ〟って呼んでたんだと思う」


 仕組みか。ヴァンダーは頭の中で何度も咀嚼すると、バスケットの中から小さなリンゴを三つ取り出した。それをマコトの前に一列に並べ、次に場所を並び替えていき、そのうちの一つを手にとる。


 マコトにそのリンゴを手渡し、ある一点を指さす。


「テンセイガチャシッパイ?」


 そのリンゴには黒い穴――、虫が食っていた。


 マコトは目を見開いてコクコクと頷いた。


「そうだよ、そういうことだ! ヴァンダー、本当に頭いいね」


 そういって、マコトは酸っぱそうにそのリンゴをかじった。

 最初は虫が食ったリンゴを嫌がっていたが、半年も牢屋にいると気にしなくなった。生の果実を食べられることの貴重さが身にしみたのだろう。


 魔族が死に際でつぶやく「テンセイガチャシッパイ」の意味はなんとなくわかった。


 要するに、わが身の不運を嘆いていたのだ。


 まったく手前勝手な言い分だ。彼らはこの国の何十という町村を襲って奪い、何百という王国の民を殺して回った。にもかかわらず、勝てない。敵わない、死を悟った途端に生まれた場所を間違えただと?


 魔族どものいってることが、盗賊のそれとどう違う。


 わかってみれば、なんともくだらねぇ話だった。


     §


 冬。マコトが牢の中で火を焚いたので、叱った。


「いや、これ魔法だからっ。煙出てないでしょ?」


「わかってる。俺も魔法を使う。だからこそ、普通の火より性質タチが悪いんだ」


「えー、でも火って世界を構成する四大元素で、水と金には相剋ネイコス、木と土には相生ピロテスなんじゃないの?」


 マコトは魔法の基本知識を持っている。

 師匠にだけ報告しておくか。さぞ興味を持つだろう。


「マコト、それは自然則の火だ。魔法則とも似ているが、そのまま魔法に当てはめてはだめだ」


 魔法則の[火]も木や布を燃やすが、土壁や瓦、鉄、銅の金属も燃やす。自然物で消す時は、水や土ではなく砂や灰、塩をかける。生の水や土には魔素マナを含んでいるため、火勢は増す。ぶつけ合うと拮抗しなければ爆発する。万物から発生する火とはまったく別原理なのだ。


 ヴァンダーの説明を聞いて、マコトは楽しそうに目を輝かせた。


「ねえ、ヴァンダー。ボクに魔法を教えてよ」

「さっき自分で火を使ってたろ。教えることはないよ」


「それじゃあ、竜が吐くブレスは? あれ魔法なの。自然物なの」


「あれは、ちょっと特殊だ。魔法則の[火]なんだが、[竜]という本来この世界にとどまれないはずの属星シャリオ、不純物が混じってる」


 他国の魔術師が教本通りの魔法則[水]で対抗して、あえなく火に飲まれたことで発覚した。[竜]には不確定要素が多い未知の属星だ。わずか二十年前の発見だ。


「ふんふんっ。それでヴァンダーはどうしたの?」


「俺たちは岩山から切り出した石で杭を作り、それをヤツの口にぶち込んでから逆鱗を刺し貫いた」


「でた、逆鱗。やっぱり竜の弱点はそこしかないんだ」


 なんなんだろう。マコトの魔法知識には偏りがある。魔族のいた世界がさっぱり見えてこない。


「眼を狙う手もあった。ヤツは瞬きをする。だがそのまぶたは鱗だ。矢は通らん。ほかに狙うとすれば眼球の下。口吻こうふんの奥に火炎嚢とよばれる火を吐く袋がある。そこを破れば魔法則が破綻するから、ただの鼻水をだすトカゲに変わる。だがそこを狙うのが難しい」


「へえ。そっかあ。面白い」

「魔法は誰から教わったんだ?」

「女神がくれた」


 また、女神か。


「女神の名前は」


「知らない。名乗らなかったよ。私は女神です、とだけ」


 胡散うさん臭い。子供の魂をもてあそんで、どこの悪魔だ。アシュタロトに通報するか。


「わかった。とにかく牢で魔法を使うな。上の城まで焼けてしまったら、みんなが困る」


「ごめんなさい。ここ寒くて」

「牢だから当然だ。午後までに毛布を差し入れよう」


「ヴァンダー。ボクいつまで、ここに入ってなくちゃいけないのかな」

「さあな。俺もそこまでは聞かされてない」


 ヴァンダーは少しだけ役目に戻った。


「マコト……仲間の所に戻りたいか?」


「ううん。あっちはもういいよ。仲間に入ったけど、全然楽しくなったし」


「何が気に入らなかったんだ」


 少年は少し考えて顔を左右にふった。


「佐藤さんって女子高生が魔法強くて、みんなを仕切ってるんだけど、山田くんとデキてるから彼氏の言いなり。山田くんはボクらに食料を集めさせて佐藤さんに養ってる感だしてて、食料の配給も能力主義だっていって水だけだったりするんだ。でもボクらはどこにも行く所がないから仕方なく従ってた」


「マコトはどこからこの王都まできたんだ?」


「え……ヴェレス城って、古いお城。ここから北西の」


 よし。魔王の居場所は聞き出した。


「マコト。ここから出る方法は、たぶん一つだ」


「出れるのっ? どうすればいい?」


「この国の役に立て。俺がこれからも王国のことを話して聞かせる。その中で、自分の知識が使えそうだったり、こうしたら町はもっと良くなるんじゃないか、そんな風に考えてみてくれ」


「そんな、そんなの急には、無理だよ」


「わかってる。だがマコトは賢い。人のために知恵を絞るのは立派なことだ。今度、上に掛け合って街の中を歩けるように交渉してみる」


「ほんとっ!? わかった、やってみるよ」


 少なくとも魔王の居城の方角と名がわかれば、場所は特定できる。

 これをマコトの功名にすれば、この子を牢獄から出してやれる。

 グラッグ伯爵がうるさいだろうが、無視すればいい。


 師匠から情が移ったと笑われそうだが、実際、人族だろうが魔族だろうが子供は子供だ。

 知らない土地に来て知らない言語で怒鳴られれば、身をすくませるか、牙をむき出すしかない。

 この幼さであれだけの魔法が使えば、仕方ないだろうが。


 それにしても、女神という存在がどうにも気にかかる。


 今度、休暇をもらってアシュタロトに訊いてみるか。



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