第3話 アシュタロト・データバンク株式会社



 王都ロンバルディアから南へ馬で丸二日。

 ヴィブロス帝国の山岳地帯ボマルツォというひなびた村の裏山に、魔界への門がある。


 その先に、比喩でなく魔界が通じている。


 魔界門をくぐると、鼻先にツンっとした油のニオイが漂った。


 馬もいていない悪魔を乗せる魔象が時々、パパァアアンとけたたましい咆哮があちこちから聞こえてくる。


 ヴァンダーの前を行き交う悪魔たちも無言で忙しそうに先を急ぐ。

 歩いて十数分といったところだろうか。目当ての建物は、大聖堂の尖塔より高い。


 [グリモワール・ド・ソロモン]


 巨塔の名前だ。直立にそそり立つ塔に近づくと扉が勝手に開き、奥の鉄扉から女悪魔が顔を出す。


「あの、乗りますか?」

「いや結構。歩いていくよ」


 やんわり断ると扉が閉まった。閉まる直前に、扉の隙間からせせら笑う声が聞こえた。

 チンッ。甲高い金属音が鳴り、中に詰まっていた悪魔たちを上階へ運んでいるという。


 ヴァンダーはこの〝えれべーたー〟が苦手だった。


 扉の中には狭い部屋があり、体を下から突き上げられ、上に引っ張られるような感覚と、次に止まる時の上から抑え込まれるような感覚が人界から魔界へ一線を超えたことを体に伝える。戻れなくなる不安と恐怖がひどい。


「たしか……アシュタロトの居室はぁ、二十と、九階だったか」


 ヴァンダーは意を決して奥に進み、階段を登る。


 英雄譚にも、大魔術師から崇高な魔法を授けてもらうため、勇者が艱難辛苦かんなんしんくを乗り越えたものだ。とはいえ、休憩を二回入れた。大悪魔の塔はやはり、おいそれと近づけないようになっている。そして、


[アシュタロト・データバンク株式会社]


 着いた。ヴァンダーは息を切らせながらドアを押し開いた。扉は意外と軽い。


「いらっしゃいませ。ご予約はございますでしょうか」


 門前で見目麗しい女悪魔が声をかけてきた。この牙城では女性に門番をやらせているのだ。


「二日前に、アシュタロト大公爵と面会の約束をした、ヴァンダーだ」


「ヴァンダー様ですね。少々お待ちください……ご予約ございましたので、お繋ぎいたします。――社長、ヴァンダー様がお見えになっておりますが、どちらへお通しいたしましょうか」


 前に来た時も気になっていたが、この魔界は取次ぎを魔道具で伝えるのだ。ほしい。


「はい、畏まりました。失礼いたします。――ヴァンダー様、アシュタロトが直接お会いすると申しておりますので、こちらへどうぞ」


 女悪魔に通されたのは、前と同じ明るいが狭い小部屋だった。喫煙室といっていたか。


「よぉ。久しぶりやな。ヴァンダー」


 女悪魔と入れ替わりに、熊みたいに大柄な銀の髭面がスーツ姿で入ってきた。

 アシュタロト。階位は大公爵。人界の爵位ではないらしい。


「相変わらずゴテゴテしたもん着てきたなあ。重ぉないんか」


「重いに決まってる。旅の装備だ。それよりあんたに教えてほしいことがあってきた」


「おお、そか。なんか飲むか?」

「酒はいい。水をくれ」


「水て、お前。まぁたあの階段登ってきたんか。社員でもあそこからはよう登らんで。急いで降りる用や」


「えれべーたーとかいうのはたくさんだ。水でいい。ここの水はうまい」


 ちょっと待っとき。軽快に言いおいて熊男が部屋を出ていくと、少し待っているとカップを二つ、両手に持って戻ってきた。


「ほれ、ウォーターサーバーの一番うまいとこすくってきたで」


「助かる」


 俺は一気に飲み干して大息した。確かにうまい。


「で、手紙には女神とかいう女のこと知りたいんやて?」


「そうだ。みずからを女神と名乗り、転生と称して死者の魂を天上にあげず、再び肉体を与えて地上におろしている者がいるそうだ」


「ふん。その話は最近、多なってるって聞くな」


「その女神の素姓が知りたい。魔界の貴族ではないのか」


「いや、魔界で魂を扱ぉてるのは罪人だけや。十代二十代の元気な魂はなかなか扱わんし、扱っても親殺し、主人殺しくらいや。夭折した魂は天使の管轄やでな。それにしたって神の出番はないな」


「えっ。神の管轄でもないのか」


「そもそも、死者の魂の初動所管は冥府ハデスやぞ? 天上も、うちもタッチできん」


「そう、なのか」


 思わずヘナヘナと後ろに倒れ、壁にもたれる。水一杯のために丸二日、無駄足になったか。


「そういえば、お前ンとこの国。また魔王が出たんやて?」


 ヴァンダーはうなずいた。


「もしかしたら、魔王というのは、女神という魂の仲介者がこの世界へ若い魂に肉体と力を与えて、好き勝手に暴れさせているのかもしれん」


「ほーん。それで」


「その魔王を傍で見ていた少年に話を聞いたら、どうやら生前の記憶を消さずにこちらへ送り込まれてるらしい」


「生前の記憶を……そらつまり、天上の仕業じゃない?」


「と思ったから、アシュタロトに直談判しに来た。あんたなら何か知ってるんじゃないかと思ってな」


 アシュタロトはあご全体をきれいに切り揃えた銀髭ぎんひげを撫でながら思案していた。


「よっしゃ、こっからはビジネスといこか」


 ヴァンダーは一瞬顔をしかめると、背負ってきた背嚢リュックから革袋を狭いテーブルに置いた。


「金貨二百枚。この前と同じ額だ」


「毎度おおきに。そしたらまず軽いとこから。ヴァンダーが保護しとる魔族の境遇を、こっちでは〝転生者〟と呼んどる」


「転生者?」


「彼らの魂は元の世界で死んで、新しい体をもらって別の地上世界で生まれる際に、スキルという技能をいくつか与えられて降ろされる」


「技能……魔法とか、か」


「それも一つやろな。それ以外にもいろいろや。ただ、どういう悪戯あくぎか過失か知らんけど、この世界の言語を与えていない場合もある。わざっと現地の人々と交流させへんようにして送り込むことをするんやな」


「でも、マコトは両親から生まれる場合もあると聞いた」


「その場合は言語能力を赤子の時期から育てるから、一定の年齢になれば言葉が使える。せやけど、お前ンとこの少年みたく、向こうの言葉がわかるモンから教わるまで言葉が使えなかったりする」


「そうか。マコトが来る前に牢に入れられた女の魔族は言語を与えられていなかったのか」


「たぶんな。そこから広く解釈すれば、転生者は与えられる他の技能に目を奪われて、言語を選ばんかった。とも考えられるな」


「それはくだんの女神の詐欺じゃないのか?」


「いいや。女神は用意してたはずや。それに気づかずに選ばんかった落ち度は、与える方にないで。自業自得や」


 ヴァンダーは抗弁する言葉をなくして、押し黙った。アシュタロトが自分のカップからコーヒーをずずっと音を立ててすすった。この大公爵は猫舌だ。


「転生者を作り出している女神の名前は」


「たぶん、ペルセポネ」


冥府神ハーデスの妻の?」


「これはあくまでもワシの推測や。根拠はない。この話を本人に聞かれとったら菓子折り持って謝りにいかなあかん。ただ冥府におって、ごっつ暇してる女神いうたら、あの女しかおらん」


「夫のハーデス神は何もいわないのか?」


「言わんやろな。地上から強引にかっさらってきて、冥府長の女房に据えてしもうたんやから。暇つぶしに若い魂を地上に戻してやるくらい、あの御柱も目をつぶっとんのやろ」


「そうだ。あと、その女神は、胸と尻が大きくて、顔が暑苦しいんだそうだ」


「どぅわはっはっはっ。ドンピシャや。ハーデス神の好みにもあっとる」


「こちらからペルセポネにやめさせることは……できないか」


「ヴァンダー、人ごときが神格の為す御業を妨げることはできん。それが暇潰しであってもや」


「あ、ああ……そうだな」


「転生者にしてみても、もう一度生き直せると思えば、そう悪い話でもない。言葉が通じんなら学べばええだけの話や。もらった特技をうまく利用すれば地位も金も思いのままや。せやろ?」


「それなら、首をねられた少女はどうなる」


「ヴァンダー。すんだ話蒸し返しても、死んでしもたら終わり。感傷はやめーや」


「そうだな。すまない」


 ヴァンダーはコップの水をもう一度乾した。ここの水は不思議で、飲んでも飲んでもなくならない。

 コンコンッ。ドアがノックされ、女悪魔が一礼すると、メモを差し入れた。

 アシュタロトはそれを受け取り、一読して灰燼に変えた。テーブルの小皿に灰を払い捨てる。


「ヴァンダー。もう帰ったほうがええぞ」


「なにか、あったのか?」


「ロンバルディア王国が、魔王の居城ヴェレスに進軍を開始した」


「なんだって!?」


 アシュタロトはカップの中の減らないコーヒーを見つめた。


「規模は五百。威力偵察やろが、その道案内にあの小僧が使われたらしい。間に合うかどうかはギリギリや、はよ行き」


 ヴァンダーはアシュタロトに軽く頭を下げると、部屋を飛び出した。

 さすがに友好を示したくても、ヴァンダーでも悪魔と握手はできなかった。



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