第4話 罪作りな女神を思う



 北西国境の町ヴェレス。

 パラディーゾ山脈と高峰ヴェラン山の谷間を行く街道沿いに点在する城塞町の一つだった。


 国境防衛の拠点をさらに北西のウェニスに建てたので、ヴェレスの丘に鎮座する一辺三〇メートルの四角い砦は放棄、町の住民もそちらへ引っぱられるように移っていった。その空白になった町ごと魔王に居抜かれたようだ。


 街道に向いたその城壁に、〝みの虫〟がぶら下がっていた。


「くっ。遅かったか……マコトっ」


 ヴァンダーは馬上で強く目を閉じるとうなだれ、強く歯噛みした。


「おい、おっさん。何の用だ」


 十代らしき若者三人がぞろぞろとやってくる。それぞれに槍を持っているが握り方、足運びを見れば素人なのが見て取れた。


 王国軍はこの程度の練度に負けたのか。指揮官は誰だ。ロッホ・ライザーではあるまい。


「あそこから、ぶら下がっているものが、ほしい」


「おいっ。コイツいま、日本語で話さなかったか?」


「どうする?」


「マコトの死体は他の連中への見せしめだ。一応、なんか来たって山田さんに報告してみっか」


 意外と親切だ。名前が出た時点で、彼らに決定権がないことはわかった。


「ヤマダに会わせて。ここ、待ってる」


 ヴァンダーが呼び水を与えると、若者たちは顔を見合わせてそそくさと城に戻っていった。 


 それから十五分ほどして、城から五騎が飛び出してきた。


 先頭でやってくるのは、獰猛な目をした青年だった。

 彼らが乗るこまは王国軍の鹵獲ろかくだ。くらの形状でわかる。


「おっさん、マコトの死体がほしいって?」

「そうだ」


「金は」

「ない」


「ふんっ。なら帰れ。金もってこい」

「いくらだ」


「五百。銀貨でだ」


「どうせ周辺の街から奪って貯めこんでいるのだろう。金で取引してるわけでもない」


「そう思ってたんだが。あんたみたいに日本語を使える手合いがいるとわかって、気が変わった。金だ」


「断る」

「じゃあ、帰れ」


「マコトは連れて帰る、埋葬する。彼は友だちだ」


 馬がぐずる声だけが場を支配する。ヴァンダーとヤマダの眼光は相手から一歩も譲らない。


「帰れ」

「マコトを引き渡せ」

「ふーん、なら仕方ねえな」


 ヤマダの手許に弓が現れた。弦を引く構えに合わせて矢が現れた。


 あれが女神から授かったという特技か。


「死ねやっ、おっさん。スキル[武芸百般]!」


 矢が手許を離れたと同時、ヴァンダーはすでに剣を抜き放っている。儚い金属音が跳ねた。


「こいつヤベェぞ、山田さんの矢を叩き落としやがった!」

「あいつ、何者だ?」


 取り巻きが興奮した様子で叫ぶ。ヴァンダーはそこはかとなく悲しくなった。


「賊に落ちるには惜しい腕だったな。ヤマダ」


「うるせぇよ。オレらはオレらで生きていくしかねぇんだ!」


「俺は友人として、マコトを埋葬してやりたいんだ」再度いった。


 ヤマダは敵意を剥き出しにして弓を横へふった。


「だめだ。あいつの死骸で、オレ達は結束を強める」


「結束?」


「マコトはこの世界の軍隊をここへ連れてきた。オレたちは転生者だ。前の世界から持ってきた知識技能を使って、国を造る!」


「そのために町や村を襲って人々を殺し、奪うお前たちを、誰が受け入れると思う?」


「お前たちの古臭い国なんか誰がいるかよ。オレらはオレら独自の国を作る」


「それなら、お前たち転生者とやらは、あそこに今、何人いる?」


 ヴァンダーは断崖の上に建つ城塞を見上げた。


「言う必要はねぇな」


「五十人いないだろう。三十でも多すぎか?」


 ヤマダは表情を変えなかったが、周りが動揺した。ヴァンダーが口の端だけで笑う。若いな。


「国というものは、百人二百人じゃできなんだぞ? 学校で習わなかったのか?」


 学校という言葉に今度はヤマダも含め、若者たちは反応した。


 未練だな。ヴァンダーは内心で肩をすくめた。

 なまじ生前の記憶があるから過去へ帰りたがって未来が見えていない。でも諦めるしかない。その繰り返しだ。


 ヴァンダーはマコトと一年間ちかく毎日話をしてきて、彼らも魂の根っこでは同じなのだとさとった。


 同じ境遇の子どもたちが集まって共同生活をすれば、安息は得られるが未来展望がない。自分たちがどこへ進めばいいか導くリーダーがいない。だから一人のワガママに付き合わされることになる。


 彼らは前を向いていない。下を向いている。目の近い地面しか見えないだろう。空も世界も広いことにまだ気づけてない。


 このままじゃ駄目だと気づいたマコトみたいな賢い転生者が、気づけない連中によってこれからもあの城壁から吊り下げられることになる。


 女神とやらよ。あなたは罪作りな女だ。


 ヴァンダーは剣の切っ先をヤマダに向けた。


「殺しはしない。だがお前が負けたら、マコトをここに持ってきてくれ」


「ボスはオレじゃない」


「国を造ると口走った者が、今さら決断から逃げるのか?」


 ヴァンダーの挑発に、ヤマダの顔が屈辱に紅潮した。


「お前が決めろ。俺に矢を射かけた時点で、お前たちは俺の敵になった。それは変わらんぞ」


 剣の切っ先を返し、刃を横へ構える。

 先ほどの弓の腕前はたしかに優れており、騎士並みだった。


 だがその程度の域で一騎打ちなら、この〝屠竜〟スレイヤーの首はやれないな。


 ヤマダは討って出ざるを得ない。マコトを渡す選択がないのなら、日和ひよればリーダーとしての資質を仲間に見限られる。矢を射かけて凌がれ、逆に挑まれた以上、もはや力でこちらを屈服させるしか、若者がこの場で威を保つ術はない。盗賊レベルの支配形態なら下に舐められたら終わりだ。


「なあ、おじさん。この場はそれくらいにしといてや」


 突然、後ろから十七、八歳くらいの若い女に声をかけられた。


 いつの間に。魔王か?


 黒の長髪。緑の上着と赤のフェーリア(タータン柄のスカートのこと)。白い脛下ソックスと革靴。厚ぼったい唇に封環を通していた。


 ヴァンダーはすぐ剣を納めると馬を降りた。彼女の纏うマナのゆらめきが魔法をいつでも発動できる態勢にある。だがどこから飛んでくるのかわからなかった。


 この若さで俺以上の、師匠クラスの魔術師か。


「翔馬。あんたも退き」


「けど、美城みき!」


「それにさあ。あそこに五日もぶら下がったままで、いい加減クサイしさ」


 言葉は辛辣だが部下の手前、意図的に悪ぶってる。芝居じみてると言い直してもいい。思慮がないわけではない。その証拠に騎馬の少年たちは同意の笑みを浮かべたが、ヤマダは笑っていない。


「マコトは、オレらを殺すための兵隊を連れてきたんだぞ!」ヤマダが吠える。


「でも、うちらで追い返せたじゃん。あたしらン中でそんなでかいことできたの、翔馬くらいだし」


 マコトが言っていた、男への媚びは感じない。魔王の言葉は力を持っていた。仲間への洞察も鋭い。少年たちの顔に自信が蘇る。


 ヤマダは城壁の死骸をなぜか見上げた。マコトへの嫉妬もあった、ということか。


「ねえ、おじさん。あたしらも群れでいる以上、ガキなりのメンツはあるんよ」


「めんつ?」


「王の威厳。群れのボスである証明。そんな感じ?」


「ああ、わかる」


「うん。だからさ。真琴を城壁から下ろすことはできない。でも勝手に落ちたもんを引き取ってくれる分には、ええよ」


 ヴァンダーは少し考えて、頷いた。


「翔馬。弓と矢。出したげて」


「はっあ? なんでおれがっ。ふざけんなよ!」


「ええから。鏃のでかいやつ。一本でいいから」


 くそがっ。悪態をつきながら、ヤマダは馬上から弓と矢を投げ落とす。


 虚空から武器を取り出すなんて、まったくどんな手妻てづまを使っているんだか。

 ヴァンダーは拾うと、鏃の重さに眉をひそめた。


「だが、悪くないブロードヘッドだ」


 細長い穂先ではなく、横へエラを張った形状の鏃だ。鉄を多く使うが、固く作れて貫通力も高かった。高級品だ。そしてこの大弓ロングボウも王国に欲しくなる。魔族には資金力がある。


「それでマコトを吊ってるロープを切れば、持って帰っていいよ。はずしたら黙って帰って。外しといてここでまだ粘るようなら、殺す。オーケェ?」


 ヴァンダーは頷くと、躊躇いなくよっぴいた。距離は八十メートルの打ち上げ。風は西風。


 ビッ。弓勢ゆんぜいの音とともに、矢は城壁に放物線を描いて飛んだ。


 およそ四秒ちかく遅れて、城壁から〝みの虫〟が落下した。


「まじかよ」

 馬上から誰かが呟いた。


 ヴァンダーはひと息ついて魔王を見る。


「いいのか?」


「二言はないよ。あたしらもう城に戻るから、そのあとは勝手に拾えば」


 魔王はヴァンダーの目の前で〝ドルイドの鏡〟を作り出し、その中へ入っていった。高位の移動魔法だ。使えるのは、王国でもマーレファだけしか知らない。[竜]を操る魔王は初めてだ。


 ヤマダたちもこちらを恨めしそうに一瞥くれて、馬腹を蹴った。


 彼らを見送ってから、ヴァンダーもまた馬上の人になる。


「技術は一流だが、心はまだ子どもだ」


 彼らに道徳を説く親がいれば、賢人の教師がついていれば、栄達する未来は確実にあった。


「だがもはやどこで道を間違ったのかなど考えても、たどり着く未来は変わらん」


 ヴァンダーは馬に坂を登らせると、城門前で砂を浴びた幼い亡骸が横たわっていた。彼を寝具に使っていた鹿革で包み、抱きかかえた。すでに腐乱もかなり進んでいたが、それ以上に余りの軽さに涙があふれる。


「マコト、帰ろう。お前は悪くない」

 

 鞍に乗せながら、ヴァンダーは悪いヤツのことを考えた。



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